見出し画像

まさかの91歳で、『葬送のフリーレン』や『薬屋のひとりごと』を語れて、しかも現役で『名探偵コナン』の脚本に携わっている名古屋出身の作家さんがいた。

作家さんの対談イベントに参加する


すみません。
正直、私この方のお名前を知りませんでした。
ファンの方々に先に謝っておきます。

ミステリー小説をあまり読んでこなかったのに
なぜ、この人の事を知ったのか?

それは、以前記事に書いた本棚探偵さん(@大須)
でチラシをもらいすすめられたから。
ミステリーでは有名な方らしいです。
ご存じの方は多いのかな?
辻真先さん。
人にすすめられたら行かなければ。

このチラシだけじゃ行く気にならないけど、二葉館の入場料200円のみで参加できるのはお得。
当日イベントをなめていて、まさかの会場キャパオーバー。私は2階から耳だけ参加。

辻真先さん

この方、すっごーい人でした。
91歳で杖をつき歩いておられましたが
今も聡明で記憶力が半端ないのです。

ご職業は、脚本家・作家。
名古屋生まれで、戦争も経験。
NHKに勤め、手塚治虫の元で仕事をする。
才能を見出され脚本を書きました。
その後、脚本以外にもミステリー小説も
多く書かれています。
現在は、東京で仕事をしつつ
熱海で暮らしているそうです。

会場に展示してある作品や絵コンテがすごい!
ホントに一見の価値はあると思います。
みなさん一度は耳にしたことのある、
『サザエさん』、『鉄腕アトム』
『おばけのQ太郎』、
『ひみつのアッコちゃん』
『ジャングル大帝』、
『Dr.スランプ アラレちゃん』
などなどのアニメの脚本(絵コンテ付き)

この本も置いてありました。
基本的に展示物は撮影不可なので
写真が載せられませんが、
名古屋で3月10日まで展示されているので
二葉館まで足を運ぶのもおもしろいはず。

文化のみち二葉館 入場料200円


入館料は200円ですが、本好きな方は絶対うける。
このジブリ風なお家(さつきとメイの家みたいな)は、
窓にステンドグラスもあって、普通に観光としてもいい。
実際、デートしている方もいました。
何も知らずここに訪れて、今回のイベント混雑に
巻き込まれ若干困っていました(笑)
(後から話題になるおもしろい出来事になるはずさ)

私は名古屋に住んでいるのに、初めてここに来ました。
このあたり、文化のみちっていうスポットらしく
文学に興味のある方にいい感じ。
また来ようと思います。
(周辺のお宅の高級感に圧倒されましたが)

というか、手塚治虫って……。
私の中でだいぶ昔の人っていうイメージが
あるのですが、お話を聞いていると
あぁ、今私の目の前にいる方と一緒にお仕事を
していたってことは、そこまで昔じゃないのか
と思いを馳せちゃいました。
(歴史は繋がっているなぁ)

アニメや漫画の作品がこんなに世の中に
あふれかえっている令和だけど、
それは手塚治虫さんたちが牽引してきたのかと
ルーツが垣間見えておもしろかったです。

今は「時をかける少女」や「君の名は」や
異世界もののお話がたくさんありますが、
初めて、アニメーションの世界で
時間をこえる作品をエンターテイメントに
昇華させた第一人者が手塚治虫と辻真先
らしい。
知らなかったです。
だんだん、私はここにいていいのか
不思議な気分になってきました。

手塚治虫の『ふしぎな少年』という作品。
これをテレビ放送していた当時は、
タイムパラドックスという概念が
みんなの中になかったそうです。

概念がないものをテレビで放送するのは
大変で、当時はバカにされていたそうです。

この方のお話のうまい所は、
時間をエンタメにするのは
僕が先駆けだったんです!と自慢げに言い
会場から拍手を受けたあと、
ありがとう、名古屋にきてよかったです。
と言ってまとめる所。

講演などこういう場所でうけるネタは、
お金系と失敗談!
なんて言って、話し始めてしまい
予定時間をオーバーさせてしまう場面も。
そんな時だって、
「これが、しっぱいですね。」と笑いにかえます。
本当に、機転の利く方。

子ども心を忘れていない大人

すごい方と出会うと、自分との距離感を感じ
「あぁ、この人はすごいから。」と思考を
止めてしまいがちです。
すごい人と言うのは十分わかりました。
私は、そこから学びを頂きます。
何か参考になる話を持ち帰りたい!

辻真先さんのお話を聞いていると、
少年時代の悲しい気持ちが感じられました。
それを取り戻すべく、アニメの世界に
身を置いていらっしゃる。
わくわくしたあの頃を思い出しながら。

時は、戦前。
当時の名古屋の中心は栄のあたりだったようで
栄から伏見あたりに呉服屋さん、
映画館などがひしめき合っていたようです。
少年だった辻さんはお小遣いを握りしめ
映画館に通っていそうです。
当時わくわくしたのは、アメリカでつくられた
アニメーション作品。
子どもだった辻さんは夢中で見ていたそうです。

ところが、ある時から
アメリカでつくられたものは上映禁止に。
アメリカは敵。
そういう思想がじわじわと広がります。
そんなこと、少年には関係ありません。
とにかく、おもしろいアニメが見たい。
ただ、それだけなのに。
とっても、悲しかったそうです。

そして、戦時中。
辻さんは学校でペンをにぎるより
やすりをにぎる時間の方が長かったと言います。
お国のための武器をつくるために
学生が駆り出されていました。
当時を振り返り、空襲にあって
燃えさかる栄の町をみて「こんなもんか」と
早めに諦めてしまった少年がそこにいました。

戦後。
復旧してきた栄の町で仕事の募集がありました。
テレビの映像の仕事ができる人がいないか?と。
昔アニメを見ていた少年は映像の仕事に興味を持ちました。
NHKで募集があって手を挙げたのは辻さん1人。
そこで働いているうちに東京に呼び出され、
東京で生放送に携わり、手塚治虫さんと出会い
脚本家となっていくのです。

「考えてみると、昔話になっちゃったんだなぁ。
つい、この間のことだと思ったのになぁ。」
と辻さんはつぶやきました。

戦後復興の中、ガムシャラに働き続けて
今も現役でアニメーションの世界に
携わっています。

会場から、
「先生が最近見た作品でおもしろいと思ったものは?」
と質問がありました。

すぐに
「フリーレン、おもしろいよ!あれは、自分で脚本
描きたいなと思ったけど、どう料理されるかとみたら
ぼくより上だった。」とのお答えが。
「ダンジョン飯」
「戦国妖狐」
「惑星のさみだれ」
「薬屋のひとりごと」
といろいろな作品をあげられ、
時に、
「あれはぼくが描いた方がおもしろいかな。」
なんて評価もしながら、作品を語る姿は
91歳のおじいさんには見えないほど
少年の姿でした。

子どもの頃のわくわくを忘れない。
それは、すごい人だからできることじゃなくて
誰でも持ち続けてもいい心の話。

子どもの頃に奪われた楽しさを追い求め
今も子ども心を忘れていない大人が
人生を一番謳歌しているようにみえました。

だったら、私自身も我が子だって
子どもの頃の喪失感とわくわく感を忘れず
生きていけば、楽しい人生になる
はずです。

こんな話をきいたら、
私もちょっと子どもの頃を思い出して、
図鑑を見ながら、新しいことを知るのが
楽しかった少女時代のあの頃へ
タイムスリップしてみたくなりました。
お金がなくて、マンガの続きを読みたくても
読めなかったあの喪失感を思い出し
今は、読める幸せを噛みしめて
毎日楽しく生きていこうと思います。

誰でもできる身近なことに落とし込んで
楽しく生きている大人の姿を
子どもたちに見せていくのが
一番の教育になるような気がしました。

そんな学びを頂いた、今回のイベント。
〝名古屋”関係のお話は、
作家の太田忠司さんとの対談として
また別の記事にしたいと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?