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子どもたちに紙とペンを。


子どもたちの創作意欲をつぶすのは省エネ思考。
無駄遣いは、いけないという正論。

制約のある世界は、
もしかしたら未来の子どもたちに
「もっと、欲しい!」という
反動の想いをつのらせてクリエイターになる
いい機会をつくっているのかもしれません。

それでも、今の制約が
子どもたちにとって、
本当によい道なのか……。
保育現場は、お金がない
だから、制約するしか道はないのでしょうか。
私は、疑問に思いました。

「お絵かきの紙は、1日3枚までね」
「塗り絵はきれいに全部塗ってから!」
こういう約束はどこにでもありそうですが、
その理由が、本当は足りないからだとしたら?

「モノを大切に扱うことを知らせるために」

レッジョ・エミリア

私は、大学で「レッジョ・エミリア」を学びました。
これは、イタリア発祥の先駆的なアート教育のようなもの。

子どもの自主性を尊重しながら、
造形に詳しい大人がサポートして
子どもたちの感性を伸ばしていく教育法です。

こういう世界もあるんだなと驚きました。
ただ、ちょっと日本の文化と
違いすぎると思うこともありました。

おそらくそう感じたのは、
イタリアという芸術に重きを置く土地柄も
関係しているからでしょう。

ただ、私の中にこんな気づきがありました。
「すべては真似できないけれど、
子どもたちの表現力を上げるために
これだけの環境を作るのが大事なんだ!」と。

保育園のアート活動

実際の現場でやっていたことは、
日本ならではの、四季折々のテーマにあった
制作をみんなでつくっていく事でした。

これはこれで、その年齢にあった課題を考え、
2歳児クラスならのりづけをやってみようとか、
3歳児クラスなら個別にはさみの練習をしようとか、
4歳児クラスなら折り紙でテントウムシを作ろうとか。
5歳児クラスなら共同制作に挑戦してみようなど。

これはこれで必要なことだったと思います。
こういうテーマのある活動をきっかけに
普段の遊びの中で再現してやってみる子も
現れていました。
個別に必要な手先の課題も把握できます。

ただ、普段の遊びの中のお絵かきに
私は不満がありました。

自由に描ける白い紙が全然、足りない!と。

学年で1組だけの小さな園だとしても、
80人くらいの子どもたちが在籍しています。
その子たちが毎日紙を使うと、
相当な量が消費されます。

だから、保育園には約束があります。
「1日3枚まで」とか。

私はここに予算をとってほしかったです。
でも、現実的には耐震費用や絵本や遊具購入
行事に必要なもの、テーマのある素材購入費など
に消えていきました。
保育園では年間の予算の中で
やりくりするしかない構造だったので。

普段のお絵かきの紙が必要だけど、買えません。
でも、子どもたちはそれを求めていました。

そうなると、みんなが自前で寄付してくれます。
職員(正規もパートさんも含め)が
新聞広告の裏の白いもの(最近少ない)や
小学校からの配布プリントの裏の白いやつを。
(なぜか小学校はやたら裏白のプリントを配布してくる)
保育現場は福祉の世界。
予算繰りなんて考えはなく、寄付や善意の世界でした。

それでも、やはり紙は足りません。
そんな裏の事情を知ってか知らずか
ある保護者の方が大量の紙の寄付をしてくれたのです。

その方の職業は印刷関係らしく
年度末に、納入されなかった前年のカレンダーを
どうせ処分するからよかったらどうぞ。
と持ってきてくれたのです!

これには、みんな大喜びでした。
だって、裏の白い紙が大量に手に入ったのですから。
カレンダーなので、サイズが大きいため
職員が描きやすそうなサイズに切って
部屋に置いておきました。

素材によっては鉛筆では描けないため
そういう時は、ペンも用意しました。

あんなに大量にあった紙でしたが、
半年もたたずに、あっという間になくなりました。

その分、あの年の子どもたちは
たくさん絵を自由に描けました。

継続されない寄付活動

でも、保護者も子どもとともに卒園し
また同じような日々が繰り返されます。

「お絵かきの紙は1日3枚までね」

レッジョ・エミリアの世界は、程遠く
保育園の先生が、近くの企業さんなどに
紙は余っていませんか?なんて営業に出るなんて
そんな事できやしません。
そもそも時間がないのですから。

今の日本は、少子高齢化。
もっと、税金を子どもたちの予算に使って欲しい。
せっかく子ども家庭庁ができたけれど、
喰えない芸術分野にお金を割くなんて
優先順位が違うって言われそうです。

だったら、私にできることは……。
せめて家庭内では、たくさん描ける環境を。

家庭では、コピー用紙が最強だった

そんな保育現場を見てきてしまったので、
我が家にはお絵かき描き放題の白いコピー用紙が
子どもの手の届くところへ置いてあります。

小学生になった今も時々キャラクターを模写したり、
記念日にはお父さんへのお手紙を書いていたり、
いろいろと活用されています。

キッチンの横にホワイトボードもとりつけ
そこでは日々のメモや、時々らくがきを楽しみます。

いつでもすぐに取り出せて
たくさん描いてもいい白い場所。

せめて、家庭の中では制約を少なく
子どもの表現の自由を守りたい。
そう思っています。

この思いは、
おそらく、私が昔そうして欲しかったのもあるでしょう。

らくがき帳にたくさん描いていたあの頃。
もっと、もっと白い紙が欲しかった。
それが思う存分できなかったから大学ノートも
もったいなくて、ぎっしり詰め詰めで書いていました。

ノートを買うタイミングを少しでも遅らせようと、
もったいないから余白を作らずに。

後から気づきました。
あれじゃあ、見返せたものじゃありません。
ぎちぎちに詰まって書いたノートは
何だか真っ黒で、苦しそう。
朝のラッシュの満員電車のようです。

今は同じ大学ノートでも余白をたっぷり使います。
見返したときに、何が書いてあるかわかるように。
こういう使い方ができるのは、制約がないから。

ノートはいつでも追加できる力がついたから。
私の心に余裕ができたから。

ただの、1枚のコピー用紙。

欲しい時に、そこにある。
白い紙が、そこにある。
そんな幸せをふと感じます。

それでも、もったいないと思うなら
大人たちはデジタル世界に描けばいい。
こっちの世界はゴミがでないから。

さぁ、子どもたちには紙とペンを与えよう。


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