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楽しくなければ保育じゃない!

発達心理学の授業で

 保育短大に通っていたころ、今は亡き神田英雄先生のあの独特な授業が好きだった。風貌はちょっと髪が薄くて、ぽっちゃりした、優しい眼鏡のおじさん。授業中ちょこちょこ動いていてかわいい感じ。
 何が好きだったかというと、授業が分かりやすくて情熱があった所。
そして笑いをちょこちょこ挟んでくれる。それを考えた自分の苦労まで暴露してくれていたのがまた面白かった。
 「俺だってな、お前たちに教えるためにがんばってるんだぞ!1つの事を教えるためには、裏に10個の知識がいるんだぞ。しかもな、笑えるギャグまで必死で考えるんだ!」って一生懸命伝える先生に好感がもてた。

 このセリフが今でも私に残っているという事は、先生はそういう裏の知識が沢山あって今教壇に立っているんだ!というリスペクトが生まれた瞬間でもあるからだ。
 そういうのって、実は生徒は気づいていないものだから。少なくとも私はこの時、初めて先生側の苦労を知った。

就職してから

 私は保育園に就職した。ちょうど3年目の頃だ。この先生が保育現場の研究と新しい本の執筆の取材もかねて、卒業生にインタビューをしていた。その一人に私が当たった。神田先生は、新人保育士たちの悩みを集めていて何か悩んでいることはないか?と聞いてきた。
 ところが、そんなこと聞かれてもその頃の私といったら「悩みはないです!自分ができないのは実力がないだけなんです!職場に恵まれてとても楽しいです!」と笑顔で答えていたんだ。
 これでは、先生のお役に立てそうもない(苦笑)それでも、毎日保育をしているといろいろあるわけで、4歳児の担任だった私は子どもたちに振り回されて四苦八苦していた。鬼ごっこで子どもたちがまとまらない…と落ち込んでいた。今となっては、青臭い悩みなんだけど。まとめようとしちゃダメなのに気づけるのは、もっと後になってからだ。その時の、レポートを少し報告して、職場の先生に助けられて乗り越えたエピソードを神田先生は取り上げて、本に載せてくれていた。
「これ、お世話になったから園長に渡して!」と新刊を手渡され、正直そんなこともするんだ!と驚いた。

ずっと心に残っていた支えの言葉

 名前は匿名だけど、私の保育を本に載せてもらってとっても嬉しかった。だからかもしれない。あの先生の事をよく覚えているのは。
 私には17年間保育を仕事にする中で、ずっと心の支えとなっていた言葉があった。それは、神田先生が言っていた
楽しくなければ、保育じゃない!」という言葉。
これに何度も救われたし、助けられたし、軌道修正してもらった。保育は養護と教育の2つの軸から計画を立てる。今の保育現場は正直、養護でケアが必要な子が多くなっている。もちろん生活の基盤は大事だから、養護も大事なんだけど、保護者の要望は教育面が強い。見える所でしか評価はされない。子どもの育ちは見えない所にあるけれど、それを言語化していくのは忙しい保育士には難しい。伝えたいことはあるけど、うまく言葉にできなかったり、忙しすぎてそれをアウトプットする時間が足りない。1枚の写真で伝えるのも個人情報保護のファイルに逐一記入する手間があった。
 忙しかったけど、「楽しくなければ、保育じゃない!」という強いフレーズがいつも私を正した。私じゃなくて、保護者に媚びずに、クラスの子どもたちが楽しめる事って何だろう?という視点に常に立ち返らせてくれていた。もちろん、楽しい事には準備がいるから、その当時の私の保育力にみあう活動内容になってしまっていたけど、常に楽しいを意識できていた。
 
 私は、子どもたちの想いを一番代弁できるのが保育者だと思っている。日中の多くの時間を保育園で過ごす子どもたちが、どんなことに興味をもって、何を感じて、何に夢中になれるのか?それが分かるのが保育者。
 制限のある環境だけど、その中で子どもの遊びを楽しく創れるのが保育の仕事だ。正直もっと人と遊具は必要だけど、いつも「楽しくなければ、保育じゃない!」を心に置いていた。
 この言葉をくれた神田先生には感謝しかない。ありがとうございました。

#大切にしている教え


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