旧版をつくった想いと新たな形で出すことの意味 (長瀬正子)

 作者の長瀬正子です。

長瀬さん

「社会的養護」という、保護者といっしょに生活できない子どもの権利について研究をしています。この20年ほど子どもに権利を伝えるとはどのようなことか、考えてきました。カナダ・トロント州の子育てに特化した書店Parent Booksにならい、2017年から、子どもと大人の対話を助けてくれる多様な絵本を紹介したWebサイト「ちいさなとびら」を運営しています。

小見出し2_コロナ禍がはじまって

WHOが新型コロナウイルスを確認したのが、2020年1月14日。遠い国の出来事だと思っていたら、2月末に始まった学校の一斉休校をはじめ、あっという間にコロナとともにある日々に突入していた…これは私の実感ですが、多くの人と重なるものではないでしょうか。

4月に入り、社会的養護で育った友人が、職場から自宅待機を言い渡され、その先行きの見えなさに対する不安を話してくれました。私自身は、小学生の子どもとの日々をなんとかやりくりしていました。デンマークやノルウェー、カナダの首相たちが子どもたちに会見をひらくニュースを耳にし、なぜ日本では、これほど子どもたちの日常が変わったにもかかわらず、誰も子どもたちに対して説明をしないんだろう、と怒りを抱えていました。説明をするのも、子どもの日常をまわすのも、そして学習までもが保護者の責任になっている状況にも…。

家族を頼れない状況にある若い人たちの不安と、子育てを家族でのみ引き受けなければいけない苦しさには、何か共通したものを感じます。子どもの育ちに社会の応援が足りていないのではないか、だからこんなに苦しいのではないだろうか。コロナによる影響は、もともとあった問題をより色濃くうつしだします。家族というものに強く期待される何かと、そこに依存した形でつくられている今の社会のありようを考えさせられます。当時は、このような思いが今のような言葉になっておらず、私自身もなんとか毎日を過ごしていましたし、そのような混乱のなかにいた人たちが多くいたことと思います。

そのような中で、2020年4月8日、国連子どもの権利委員会が新型コロナウィルス感染症の世界的流行にかかわる声明を出しました。2日後の4月10日、子どもの権利にかかわる国際文書の翻訳家である平野裕二さんの発信で、私は、国連声明の存在を知ります。声明を読み、私は、自分の置かれている状況をようやく理解し、頭が整理されていくのを感じました。私には、自分が最も苦しかった中学生の頃に「子どもの権利条約」を知り、励まされたという経験があります。子どもの権利条約と通底しているコロナ禍の国連声明も、その頃と変わらず、この世界がどうあるべきかという基準を示していました。

小見出し3_国連声明が伝えること

声明は、11の項目により構成されています。コロナ禍において奪われやすい子どもの権利とそれを保障していくうえで大切にする視点が述べられています。

国連声明の骨子_ひだまり色

休み・遊ぶ権利が2番目にきていることに、こうした非常時において、子どもにとっての休息や遊ぶことがどれほど大切なのか、教えられます。

感染対策が重視されるなかで子どもの権利の視点を置きざりにせず最善の利益を追求すること(項目1)、子どもの生きる・育つ権利の保障をとめないこと(項目3から6)、どんな時も子どもの声を聴くこと(項目10・11)、そして、最もつらい状況におかれた子どもたちの立場から考えていくこと(項目7)…A4の用紙2枚ほどの声明に、権利条約の理念はぎゅっと盛り込まれていました。

小見出し4_ワークブック型絵本をつくる

当時、子どもの居場所活動を運営していた人たちは、どのように活動を続けるかを試行錯誤しておられました。「ステイホーム」が呼びかけられるなか、家庭が安全でない子どもの支援をされてきた方たちは、なんとか子どもたちを支えようとしていました。感染対策を優先することだけを考えていたら、失われてしまうものがある…。先が見えない時期だからこそ、声明は、子どもにとって何が一番大切かを考えるうえで、その方向性を指し示すコンパスのような存在になるのではないかと思いました。

とはいえ、難しい言葉で書かれた国際文書を読むのは大人でもエネルギーが必要です。
もう少し読みやすい日本語にしてみよう。

2020年のこどもの日を目指して、友人とともに中高生の子どもから大人が読めるかんたんな日本語訳を自身のサイト(ちいさなとびら)で発表したところ、多くの反響がありました。

「もう少し小さな子どもが読めるように」というお声もいただき、友人のmomoさんに11の項目を絵にすることを依頼していました。ⅿomoさんの描く子どもは、伸びやかに一人のひととして生きています。子ども自身の内側にある強さへの信頼があって、声明を絵にすることを考えた時に真っ先にmomoさんが浮かびました。

最初にmomoさんから届いたのは、子どもたちが休んだり遊んだりする権利にかかわる項目2を絵にしたものでした。ピンクのくまのそばでくつろぐ女の子を見て、私自身がホッとした穏やかな気もちになりました。もし、これが絵本になったら、こんなふうにホッとする時間を子どもにも大人にも届けられるかもしれない…そんなふうに思いました。

イラスト2

そこで、友人のmai worksのmaiさんに相談しました。ⅿaiさんは、自分で本をつくりたい人の本づくりをサポートされています。難しいテーマであっても、書き手と読者を丁寧につなげる作品をつくることへの信頼がありました。

こうして夏頃には3人での絵本づくりが始まり、オンラインミーティングを何度も重ね、2020年9月25日に自費出版で出版しました。

3人

ワークブック型絵本の特徴のひとつめは、コロナ禍で奪われやすい子どもの権利を「やさしい日本語」で伝えているということです。当初は、「子どもにやさしい(child friendly)」ことを意識していましたが、「やさしい日本語」が阪神・淡路大震災で日本語を母語としない方に必要な情報が届かなかった反省のもとに生まれた、ユニバーサルデザインとしての表現であると知り、より多くの人にとってわかりやすい日本語という視点で、声明の言葉を再検討しました。また、項目のもとになっている権利条約の条文も紹介しています。子どもが感じている気もちや日常の出来事と、一見遠くに思われる子どもの権利はつながっています。子ども自身が大切な存在で、その大切さには根拠があることを伝えたいと考えました。

特徴のふたつめは、子どもが気もちを書き込むことができるスペースがあることです。コロナの日々のなかで、子どもは、たくさんの気もちを我慢していると思いました。例えば日記に思いを書きだすとスッキリするように、絵本の書き込みスペースに気もちを書きだすことで、子どもがこの危機を乗り切る助けになればと考えました。それを大人が読むことで、ともに語り合うことができるように……そんな願いをこめました。

旧版見開き
小見出し5_絵本に寄せられた感想と新たな課題

2020年9月25日に発刊して以降、絵本は口コミで広がり、複数の新聞やメディアで紹介されました。改訂を重ね、現在までに4版約3,000部を販売しました。

手に取ってくださった方から、さまざまなご感想もいただいています。


・「この絵本がなければ、子どもの気持ちを分からなかった」 読み聞かせのなかでの小学生の娘さんの言葉にはっとさせられたと、保護者の方。

・「大切なことが書いてあるから学ばなくては」と手に取ってくださった保育所の所長さんは、保育所の行事を行うかどうか、感染対策と子どもの最善の利益でのバランスで悩んでおられました。

・6回かけて、母子生活支援施設の子どもと絵本の書き込みのワークをしてくださった職員さんは、子どもたちは「聴かれる機会があるから意見を言うのだ」と気づきを伝えてくださいました。

学校現場でも、子どもの権利条約の学習に位置づけて、絵本の紹介と子どもが気持ちを書きこむ授業が行われています。
このほかにも、市民団体の方、福祉施設の職員、政治に関わる方等、さまざまな方が購入してくださいました。
権利が制限されている現在だからこそ、子どもの権利の視点を広げようという方たちのアクションに勇気をもらいます。

また、絵本の売り上げの一部を、夕刻を支える場(学校や放課後児童クラブが終わってから夜にかけての時間や学校が休みの期間に、子どもたちが安心・安全に過ごせるような取組をおこなっている場所の総称)に寄付することもできました。

その一方で、この絵本の抱える課題にも気づかされました。

現在の内容では、大人のサポートなしに小学生が一人で読むには難しいということ。
そして書き込みスペースがあることや、背表紙のない大型の冊子であるという理由で、図書館に配下するのが難しい、ということです。

図書館に置けないということは、養育者(大人)が購入しない限り、子どもがこの本と出会うことができない、ということです。また、単に図書館における形に変更したとしても、大人のサポートなしに読むのが難しい内容であれば、伝えたいことが子どもの元まで届きません。コロナ禍が長引き、もともと脆弱な環境にいた子どもの状況は、ますます苦しくなっています。子どもの自殺が増えていることにも危機感をもっています。

このような課題を感じていた中で、ひだまり舎さんと出会い、本当に必要としている子どもたちにこの絵本を届けるため、ひだまり舎さんのお力を借りて、新たに制作チームを結成し、内容を再構成したハードカバーの絵本をつくることになったのでした。

小見出し6_新版の絵本の特徴

製作中の新版絵本『きかせてあなたのきもち 子どもの権利ってしってる?』(B5横判 予価 税込1980円)は、旧版の国連声明を丁寧に伝えるというワークブック型絵本から、内容を大幅に改変した、新しい絵本になります。

① コロナ禍に「国連子どもの権利委員会」が出した声明をもとに、コロナのような非常事態下で権利が制限されるときに奪われやすい「子どもの権利」に着目

旧版は現在進行形でコロナ禍に直面している子どもと大人に向けて、指針となる国連声明をわかりやすく伝えるという目的で作りました。
新版の絵本は、権利が制限されたときに出された国連声明という特徴を踏まえ、コロナが収束した後でも参照できるよう、非常事態時において大切にされるべき「子どもの権利とは何か」という点に着目しています。

② 子どもの権利が日々の暮らしにどう当てはまるのか、気もちを手がかりに「子どもの権利」を知ることができます

子どもが権利について学ぶ時には、単に知識や情報を得るだけでなく、自分たちの権利が日々の暮らしにどう当てはまるのかを学び、活かしていくことが重要です[1]。子どもにとって身近な「コロナ禍」だからこそ、日々感じている気もちと「子どもの権利」がつながっているのを学ぶ機会になります。
[1] 小・中学生が「子どもの権利」を知り、支援につながるには?英国教育現場の取り組み https://bigissue-online.jp/archives/1078808560.html

③「子どもの権利」とは何か? 問いかけに答えていくなかで自然に学べる構成

旧版では、「権利という言葉を、小さい子にどう説明すればいいのか」「子どもが一人で気軽に読むにはハードルが高い」など、「権利は難しい」といった声が複数寄せられました。
新版では、10歳前後の子どもがひとりでも読むことができるよう、特に大切なことに内容を絞りこんでいます。一人で、親子で、友達やクラスの同級生と、さまざまなかたちで絵本を読み、問いかけに答えながら読んでいくうちに、自然と「子どもの権利」を学ぶことができる構成です。

④ 全編、色鉛筆による優しい手描きイラスト

旧版でも多くの方から「ずっと眺めていられる」「かわいくて、夢のあるイラスト」「絵が子どもの権利の理解を深めてくれた」等のご感想をいただいてきたmomoさんのイラスト。眺めるだけで心が和むような、優しいイラストに導かれて、「権利」の世界にはいっていくことができます。新版のために描きおろされたイラストもありますので、お楽しみに。

⑤ 自分の気もちを書き込めるワークブック付録付き

旧版で読者の方から好評だった子どもが気もちを書きこむスペース。
コロナ禍では、子どもが気もちを我慢する場面が多かったからこそ、そのスペースに気もちを書きこみ、外に出して心を軽くしてほしいと考えていました。
新版絵本では、「自分の気もち」を書き込めるワークブックが1冊付録で付いています。
読者の子どもさんから要望のあったmomoさんの描き下ろしぬり絵もお楽しみいただけます。
ワークブックは追加でご購入いただけますので、子どもたちとのワークショップなどの際にご活用ください。

小見出し7_新版に寄せる思い

私は、これまで社会的養護で育った当事者の方たちの「声」を聴いてきました。
社会の不十分さが、いかに子どもの人生を直撃しているか、子どもがひとり、人生のなかで困難を引き受けさせられているか、ということを実感してきました。

「よりつらい状況になっている子ども」が「声」を発することは容易なことではありません。それでも、子どもの小さな「声」を聴こうとする大人が目の前にあらわれた時、子どもの「声」は引き出されます。そして、そうした大人の存在の有無が、子どもの人生を大きく変えていきます。

「子どもの権利」という視点は、子どもが一人のひとであるという当たり前の事実に気づかせ、
その「声」を正当に尊重することを助けます。

それは、一人ひとりの子どもと大人の意識を変え、
今ある社会の仕組みを変えていくことにもつながります。

コロナ禍で浮き彫りになった家族の孤立。
家族だけで子どもを育てるのではなく、社会に応援されていると感じながら子どもが育つことができるように…。
血縁による家族だけでなく、多様な大人が子どもや若者を助ける社会になるように…。

子どもがひとりの人として尊重される社会は、「よりつらい状況の子ども」の状況を変えていくだけでなく、全ての子どもにとっての豊かさにつながるのではないでしょうか。

「知る」ということは大きな力になります。
今は、子どもも大人も、子どもの権利について学ぶ機会が与えられていません。
まずは子どもの権利を知ること。
その手段としてこの絵本を手に取っていただきたいと思うのです。


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