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謝りすぎな先生たち

子ども指導や保育・療育・教育・医療など、人に関わる仕事をしていると

『傾聴』という技術が必須になります。

大切なお客さんや患者さん、お子さんの困ったを解決する糸口として

クライアントさんのお話に耳を傾けて、ただ聞くのではなく

心を傾けて話を聴くことは、とても大切なテクニックですね。

しかし、僕の見てきた医療や介護、子ども指導の現場ではこれってどうなのッていう現場に良く遭遇します。

例えば、保護者さんがお子さんから聞いた話を鵜呑みにして、その勢いで苦情をぶつけていくことなんて日常茶飯事です。

「安心して預けられない」「子どもに〇〇する・させるなんて」などなど

世間を賑わす事件を考えると保護者さんの心配も理解できます。

それに対して指導者の皆さんはどのように反応しているでしょうか?

「すみません」「このようなことが無いように」などなど謝罪すること

そして

担当した現場職員に事実確認と称して「やっている」前提の吊し上げなんてまさかしていないですよね?

保護者さんや施設の管理者の方は是非知っていて欲しいのは

これって先生たちの指導や保育への熱意を大幅に奪う行為です。

少しでも良い指導をするためにみんな努力しています。

時には実験的なことも、挑戦的な取り組みもあるでしょう。

当然、たまにはやり過ぎちゃったことだって

でも長い指導時間の中でそんなことなんて殆どないんですよね。

お子さんのことを心配するあまり、そのたった数回の失敗や行き過ぎをつるし上げて、専門家である先生たちを追い詰めてメリットってあるでしょうか?

無味乾燥で無難な当たり障りのない指導、誰も泣かない、笑顔だけが指導のゴールなのであれば

ただ玩具を与えて見守っていれば良いですよね。

そんなの子ども指導と言えますか?

僕の知る限りキャリアの長さに関わらず、熱意を持った先生たちはたくさんいますし、殆どの先生たちは志を持って指導しています。

そんな先生たちの数少ない失敗を教育委員会レベルまで持っていく保護者さんがいて

それを鵜呑みする上司や管理者がいて

傾聴と称して保護者さん達の言いなりに現場の先生を追い詰める

結果

保護者さんや上司の顔色だけを窺う指導のなんと多いことでしょうか?

そして

あとから事実と違ったといってつるし上げた先生をどれだけフォローしても

上司や保護者さんから信じてもらえなかった現場の先生の絶望感は生涯消えることはありません。

そうやって「やる気」自体が無くなる

これこそが話題の「学習性無力感」ではないですか?

僕が思うに学習性無力感に陥っているのはお子さんではなく

先生の方です。

そして、そのことで一番損をするのは、何よりも大切で守りたい「お子さん」自身なのです。

先生たちも「謝りすぎ」です。

悪いことなど何もしていないのだから「謝る」必要はありません。謝る必要の無いことを簡単に謝って済まそうとするから、もっとおかしなことになるんです。保護者さんが求めているのは「その行動の根拠」です。

簡単に謝った結果

保護者さんは支配的になり、もっと不安になって保護者さん自身、歯止めが利かなくなるんです。

では建設的な聞き方は?答え方は?

まず、保育や指導で疑問がでてきたら

「〇〇って聞いたんですけど、これってどういう意味と効果があるんですか?家庭でもできそうなことなら試してみたいんですけど、教えてもらえます?」

と聞かれたら先生も防御的にならずに答えやすいですね。

答える方も

「ご心配をおかけしてすみません。これは〇〇という方法で〇〇な効果があります。ご家庭でも〇〇な時に〇〇してみるといいかもしれません。是非試してくださいね」

と答えれば謝罪ではなく、一緒に子育てを楽しむ関係が築けそうですね。

特に子ども指導の現場では、子どもからの見え方や外から見た見え方と先生の真意が異なることが多いのですごく勉強になりますし、家庭で役立つアドバイスをもらえたりします。

誰の為の何のための指導なのか?

これが最大の論点です。

できることなら、保護者さんや先輩たちと共にお子さんの素敵な未来を議論したいですよね。

先行きが不安なこのご時世だからこそ

考えたい大切なことです。

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