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理屈ではない感覚

最近、物事がうまく進んでいる。

ボクの場合は行動からというより心からという感覚なのですが、それはどちらでもよく、うまく拮抗してきたら上手く行っているような感覚になるんだと思います。

ただ、はたから見たら何が変わっているのかはわからないかもしれません。

人それぞれ自分が世界で、他の人が見ている世界とはおそらく違います。

本当に物理的に見えているものも違うのかは確かめようがありませんが、少なくとも物事の捉え方が違うので自分が世界なのです。

上手くいくようになったキッカケはテニスを始めたことでした。"ただ、キッカケなんてなんでもいいです。"

ボクは高校生の頃ソフトテニス部でした。
3年間だけしかやっていなかったので成長はこれからというときに引退しました。

紆余曲折ありましたが、すごく楽しかったのを覚えています。大学生になり、硬式テニスをしてみたいと思っていましたが、遠い別のキャンパスにテニスコートがあったため、断念してアルバイトをすることにしました。

大人になってから、心の片隅でテニスはずっとしたいと思っており、何度かスクールの体験に行ったことがありましたが、色々な理由をつけて結局入会しませんでした。

その時に感じていたことは、「今もっとやるべきことがあるだろう」「お金がかかるからやめておこう」「落ち着いたら入会しよう」そう思っていたら10年程経ってしまいました。

今はスクールにも入会し、週末はスクール外でも新しくできた友人とテニスをする日々です。

ふと気づいたこと。
スクールに入会する時を思い返すと、体験後、なんの迷いもなく入会していました。

数年前と何が違うのか考えてみたところ、心境が違いました。うまく説明できないのですが、いい気分だったのです。

ここ最近の習慣は、自分の機嫌を取るように生活していました。無理に意識はしていません。無理に意識していることに気づいたら、すぐやめることにしていました。

機嫌を取るとは、自分がやっていて心地良いこと、気分が良くなること、目的やその行為に意味付けされていなくても楽しめること、ワクワクすることなどがしっくりくる表現かと思っています。

今見つかっているモノのリストを下に書きました。

  • テニスをすること

  • 夜にクラシックピアノを聴くこと

  • 散歩をすること

  • 近所の野良猫を撫でること

  • 料理をすること

  • 歌を歌うこと

今のところこれらがあげられますが、気づいたら無理をしていることもあります。しかし、そこからニュートラルに戻すのが早くなった実感があります。

テニスをしていても、苦手な部分が上達しないと何故だろうと問い過ぎると無理をしだします。歌を歌うことなどは昔はかなり依存していましたので、何故自分はこんな声に生まれてきたんだろうとまで考えていたことを今ふと思い出しました。純粋に楽しめている状態のときはこんなことは考えないのです。

心地いいことを自然にやっていると、
うまくいかないと感じていた物事や苦手なコトに対しても捉え方が変化していることに気づきました。

もちろん、今でも上手くいかないとイライラしたり、一時的に嫌になることもあります。

でも以前に比べて明らかに精神状態が安定しているのです。ずーとニュートラルな状態をもつ人など存在するのかは定かではありませんが、良くない方向にメーターが振り切ったままになる時間が極端に減りました。

どこかで聞いた話。
仕事とは全く別分野の趣味を持つといいと聞いたことがあります。その効果が実感できている気がしています。

ただ、これは自然にそうならないと意味がないのです。言葉で説明するのはとても難しいのですが、なんとも絶妙な境地なのです。

自己啓発本に上記の事が書かれていたとして、以前のボクなら「さがすべき」「さがさなければ」「こうしなければ」と考えていたと思います。結局、どんなにいいアドバイスを人から聞いたとしても自分次第ということです。

捉え方が十人十色なので、教えやアドバイスに正しいものなんて一つも存在しないのです。これさえやっとけばみたいなものもありません。

最近、ゴールや目標なんていらないと思っています。会社員である以上、いやこの社会にいる以上、表向きではその様に振る舞うことになるかもしれませんが、必然ではないと思います。

それよりも抽象的な、漠然とした、夢や願いの方が、表現的にはしっくりくるのかなと思います。

漠然と心では思っていますが、日々の生活でほとんど意識することはないのにもかかわらず、自然とそこに連れて行ってくれるような気がしています。

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