酒場1人飯ーその23「谷根千路地裏のサバの押し寿司」

ある日、強烈にインパクトに残っているトンカツを亀戸で食べた。 


『萬清』のロースカツ。数年前偶然にも僕が亀戸の天満宮を訪れた時に駅前の裏路地で見つけたその店はラーメン屋ととんかつ屋が隣り合った不思議なお店だった。そこで食した横綱の名を模したロースカツ。忘れようにも忘れられない衝撃を残した。からりとした衣に肉厚すぎるロース。脂の甘さが食欲を掻き立てた。

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横綱たるロースカツの所以はその厚み。3cmはあるだろうとんかつにはあるまじき肉の厚み。これも肉が美味しくないとできない所業だった。 


2度しか食べる機会が無かったが、僕に与えた衝撃は頭の片隅に残っている。もう一度食べたかったのだが、行く機会を逃してしまいその間に閉店してしまったとのことだ。ああ、何と勿体無いことしてしまったのだろうか…。だが、調べてみると、オーナーさんが変わって去年の11月に再オープンしたとのこと。衝撃をもう一度味わいに行かなければと思う。 


思い出していると、印象に残っているお店の事が次々と浮かんでくる。お店ごとにそれぞれの世界観があり、その世界観に映し出される形は個性豊かだ。そんな豊かな世界観の中で僕の記憶に強い印象を残したある一軒のお店がある。 


そのお店があるのは今雑誌やTVで取り上げられている谷中銀座を囲む谷根千エリアである。谷中銀座を中心に大きく取り上げられているが、裏路地には多くの隠れた名店がある。その周りは神社や歴史のある建物がある。趣深く、とても懐かしく感じるような街だ。 


そのエリアの中で一際昭和を感じるのが根津かもしれない。タイルの歳を重ねたような渋味が出ている建物が路地と言う路地に立ち、そこだけ切り取られたかのような印象を与えてくれる。近くには根津美術館や根津神社等の名所もあるため、人気も高い。


そんな根津の駅の周りにはいぶし銀のように強調せずに街の雰囲気に溶け込んだ店が佇んでいる。「どこからどんなジャンルのお店が飛び出してくるか」が分からない中で、昔ながらの町並みを歩きながら当時にタイムスリップした気になりながら探し回るのが楽しくて仕方がないのだが、僕がその時に探していたお店は以前から話を聞いていたお店であった。


そして、目的のお店を発見した。

白塗りの壁と木部の柱が美しく映える古民家風の佇まいが昭和レトロな両隣のお店から少し別世界風な印象を与えるが、見事に一つの風景として成り立っている。細やかながら表示された看板には「両関・車屋」の文字。道に出た看板も控えめな気がする。そして入口に掲げられた暖簾には車輪をイメージさせる模様がある。車輪と言ってもタイヤなどと言った機械的なモノではなく、昔の木の車輪のような模様だ。

細部までにこだわりが見えるこの店こそ僕が捜していた店である『車屋』だ。


この佇み方が個人的にはど真ん中だ。派手でなくとも何か惹きつける物を持っている雰囲気と言うのだろうか、奥深さがそこにはある気がする。ふらりと歩を入口へと向け、ガラリ扉に手をかけてみる。扉を開くとそこには懐かしいような感覚に落ちていく。


黒い天井は意外に高く、昔の住居に近いイメージが当てはまる。何というか、根津らしいお店と言っても過言ではないと思う。案内されたカウンターは味のあるカウンター。お隣さんとの絶妙な距離感が実にいい。

ぎつぎつとも違う、この感覚が昭和風な大らかさであると思う。目線を変えてもいい。カウンターの右奥にあるショーケースと上に貼られたメニューの短冊、そして日本酒と焼酎の一升瓶が入口に近い辺りに並んでいる。

こういう銘柄を見せてくれるお店は僕的には当たりだと思う。そして調理をしているご主人の奥にある看板にはその日のおすすめのメニューがあった。やはり魚中心のお店とあって旬の魚の名前が並んでいた。

中には居酒屋定番のポテサラ、揚げ物、肉料理もあるのだが、魚が押しの店であるならば、今回は魚中心と決めていた。


僕が言った時は秋口だったため、新秋刀魚の時期だった。となると、新秋刀魚の刺身は外せない。新秋刀魚の刺身に、目に付いた栃尾焼き、そして日本酒1合を揃え、口火を切った。


姿を見せた皿がカウンターから手渡される。やはりこの時期の新秋刀魚は光り輝き、脂のノリが絶に尽きる。

その脂を日本酒で流す、季節ならではの楽しみ方。魚が美味い、季節ものが美味い。これって至福なんじゃないだろうか……。偶然にも名物の看板猫が玄関先でゴロゴロしていたのが秋刀魚をツマミにしていて見れた。

そんな無防備な猫の姿を見ていると、今までノスタルジーとかなんやかんや言っていた自分が、少し浮いていたのではと思ってしまう。襟を立てた余所行きなんかじゃなくて、あるがままでいることがこの町の本質ではないのか、とお猪口片手に思ってしまった。


物思いに耽っていると、栃尾焼きが現れた。栃尾焼きとは栃尾の名産の油揚げを焼いたシンプルなものだ。醤油をかけると、香ばしい香りがふわりと立ち上がる。シンプルだからこそ、食欲がそそられてしまう。一口いけば、焦げ目の香ばしさが心をくすぐる。


2品だけだが気持ちが乗せられたため、大根の食感がアクセントな車屋サラダを初めとした4品ほどを気づけば食欲の赴くまま食べていた。

どの料理もシンプルながら、仕立て方の良さが光る。この繊細さが地元でも評判の良さに繋がっているのだろう。


さて、ここで「鯖寿司です」と注文していたお目当てのものが出された。


「待ってました」思わず呟いてしまう。おおっと気持ちが盛り上がる。鯖が一本、堂々と押し寿司に陣取っていた。しかも、この鯖寿司、シメたてのため出てくるのに時間がかかる。そのこだわりがこの鯖寿司には見え隠れする。


この一本寿司を一人で食する。なんて贅沢なんだ。おお、と声が自然と出てしまうほどの衝撃。鯖のシメ方が巧みだ。肉厚の鯖にのった脂と酢のバランスがちょうどの位置で完成されている。下の米には胡麻が混ぜられているため、後味を整えてくれる。このバランス感覚、生きている鯖よりも生き生きしている気がする。あまりの美味さに無我夢中で一本食べ切ってしまった。


ああ、胃袋をなだめておけばあと一本いけるのにと後悔してしまったが、また来た時にと。


また色々と食べれば美味しいものに出会えていくのだろうが、記憶に、舌に残るのは大きな感動があった時なのだろうか、と疑問に思った所でシメさせていただきたい。


今回のお店 車屋
住所 東京都文京区根津2-18-2
電話番号 03-3821-2901
定休日 日、祝日
営業時間 平日 17時〜24時
土曜 16時〜24時


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