ぬらりひょん、立つ
関東/大学院修士課程理系/文芸・ライトノベル志望
「ぬらりひょん」なる妖怪がいると聞く。
知らぬ間に人の家に上がり込んできては、居間で寛いでいくのだそうだ。
危害等は加えず、ただ自然にいるだけ。
思えば僕も、ぬらりひょん的に生きてきた。
集団内に居心地の良い立ち位置を見つけ、その隙間にぬらりと収まる。隙間に収まっているとそのうちそれが本来の自分だったような気がしてくるもので、生意気なサッカー部員も、設計に熱を上げる建築学徒も、「あるべき自分」だった。そのうち本当に、サッカーを好きになったり建築を好きになったりもした。
コロナ禍とセットの学部生活を経て、気づけば建築仲間とも距離ができていた。
独りになったことで、ようやく気づく。
独りの僕は、あまり建築が好きじゃないのかもしれない。
ならば自分はどんな人間なのか。どう生きるべきか。
不定形な自己からは、何の未来も見えなかった。
ただ、一人になっても変わらなかったこともあって。
物語が好きだ。
特に京極夏彦の小説が好きだ。
東方projectの設定テキストも好きだ。
「本当の自分」など知らないが、「本当に好きなもの」はある。
ならば少なくとも、これらに心動かされているのは、確固たる「僕」の一部といえるだろう。
その小さな核を足場に、僕は建築業界からはみ出して出版社を目指し始めた。
講談社の面接にて。
やはりぬらりひょんの僕は、気づけばどんな人間が求められているのか、そこにどう収まるべきかを探っていたが、答えはついぞ見えなかった。その代わり、核にある「好きなもの」の話は十分できた。あるべき形を意識せず、ただ「本当に好きなもの」を語るのは、新鮮で心地よかった。
今振り返ってみても、面接をうまくやれたとは思わない。
収まるべき隙間が見えないことで、言葉に詰まることもあった。
でも、だからこそ自分を見て選んでもらえた感覚がある。この会社なら、隙間を探さなくても存在を保てる気がしている。
今、このような気恥ずかしい独白ができるのも、そのおかげだ。