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悩むこと、よりそうこと

関西/大学院修士課程文系/校閲志望

 「校閲ってどんな仕事?」とよく尋ねられる。「血眼で誤字脱字を探す」? もちろん誤字脱字の発見は大切だ。「正しい日本語を守りたいんだね」? いや、実は日本語の正しさを決めるのは世間のほうで。「究極の裏方タイプだね」! いやいや、実は私は目立ちたがり屋で……。毎度いろんな会話が飛び交うけれど、私自身は校閲を「悩む」行為だと思っている。
 優柔不断の極みのような人生を送ってきた。好きなことが山ほどあって、面白そうな誘いには二つ返事でOKする一方で、肝心の大きな決断はなかなかできず、「判断保留」という言葉がよく似合う。講談社へのエントリーも締切当日の0時だったし、気まぐれに前方へ放り投げた割れ物を「やばいやばい!」と追いかけるような就活だった。
 そんな私と親和性の高い「悩む」という行為。現代の「タイパ」を意識する社会構造からは一見逆行していて、ある面では損している気もする。しかし、その圧倒的な豊かさを感じる瞬間がある。
私は校閲のアルバイトを6年ほど続けてきたのだが、校閲をしていると魔法に包まれたかのような瞬間が訪れる。どんな瞬間かはあなた自身で(?)確かめてほしいのだが、取り組むほどに「沼る」のが校閲だ。ふつうに生きたら悩まなくていいこと、一見無駄そうなこと、自分の存在についてさえ、たくさん悩んでしまう。これは果たして損だろうか?
 「悩む」こと。それは、言葉やものごと、世界のあり方にこころを砕いて対峙することだと思う。校閲を通じて著者や読者によりそうために、悩む。こころを通わせようとする。本質的な豊かさの礎を形作るための贅沢な時間だ。
 ……とまあ、わかったような調子で書いているが、正直何もわかっていない。来年から自分がどうなるのか不安で仕方ない。京都の厳格な景観条例下で育まれた私は、根っからの大都会恐怖症だ。
でも、月並みな言葉だが、楽しみなのだ。一歩踏み出すことを楽しみだと思うこと。それが一番大切かもしれない。

面接と面接の間に、気まぐれに滞在した鹿児島県。電車を間違えて桜島からもっとも近い秘境駅にたどりつきました。そんな瞬間がいちばん好きなんです。
創作活動のためのメモや、思考を書きためているメモ帳アプリ。言葉にすること、それを基に出会った人びとと対話することが、人生の根幹を作っているように思います。

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