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車いす、旅に出る(沖縄・3日目)最終日 ゆいレールで観光


3日目:ゆいレールで観光

翌朝、最終日だ。今日はWHILLでゆいレール周辺を回ろう。リハビリのルーティンを一通り終えて一息つくと、8時を過ぎていた。身支度を整えて、9時前にはフロントに降りる。チェックアウトをしてホテルを出ると、残念なことに雨だった。がっくりと肩を落としてレインコートを着る。

実は前から気づいていたのだが、レインコートのフードを被ると前が見にくい。移動するだけならそれでも構わないが、観光で見て回るとなれば不自由この上ない。顔を上げて下の方から前を覗くと首が痛くてかなわないのだ。キャップを被れば良かったのだが、ついうっかり持ってこなかった。レインコートとキャップはセットだと、身に染みてわかった。

旭橋駅からゆいレールで首里駅に向かう。駅員さんに補助が必要か聞かれたが、前回で自信がついたので遠慮する。この列車は観光モノレールという側面もあるようで、高い桁の上から眺める那覇の街を見ると、それだけで観光気分になる。白いコンクリートのビルやアパート。オレンジの屋根瓦。特徴のあるものが多い。途中、おもろまち駅では綺麗なショッピングモールがあって、若者が集まりそうな雰囲気だ。そしてゆいレールは首里駅に向けて徐々に坂道を登って行く。住宅が減り、緑が増えてきた。首里城は丘の上。とうとう来たという気持ちで思わず顔がほころぶ。駅からは距離があり、首里城までは15分ほど歩く。

前回、仕事で沖縄に来たときは、帰りの飛行機までの空き時間に見学しようとして来たものの、この事情を知らず、時間が無くなり守礼門だけ見て引き返したという、情けない経験があるのだ。今回は観光で来たので、しかも朝イチで時間はある。余裕の顔で改札口を出た。

雨はまだ止むようには見えない。仕方ない、フードを被るか。レインコートを被った姿はどのように見えるのだろう。まるで行軍しているようではないか。途中、池があって綺麗だったと記憶しているが、全く関知せず。ただただ進むのみ。

ふと、思いついた。フードを耳にかけて頭にぴったりと貼りつければ、周囲が見えるようになるではないか。ところが他人からは巨大なてるてる坊主がうろうろ動き回っているようにしか見えないだろう。しかも雨の中で、明らかに「てるてる効果」はない。それは恥ずかしい。客観的に考えても、フードを耳にかけているのは見るからにおかしいので躊躇する。でも周りを見るためには仕方がないだろう。でも恥ずかしい…。堂々巡りだが、最終的には旅の恥は掛け捨てで、気にしないことにした。

首里石鹸で雨宿り

やがて、その先の緩い坂を下った先にある「首里石鹸」という小さな沖縄家屋のお店が見えた。どうやら泥パック的な石鹸らしい。泥パックなら妻と娘のお土産にいいだろうと思い、外から覗いてみた。すると定員さんが気が付いて、お店の中は狭くてWHILLでは入れないため、雨のあたらない軒下に商品を持ってきてあれこれ紹介してくれた。丁寧で、親切だ。衝動的に買ってしまった。レインコートに隠れているナップザックに購入した商品を入れてもらい、お店を後にする。

後から気づいたのだが、国際通りや那覇空港にも広くて綺麗なお店があり、有名らしい。いいものを見つけた。因みに首里のお店は小さいけど本店だ。名前に納得。

首里城にかける思いを見た

守礼門

やがて首里城公園に入り、守礼門の前まで着いた。ここで引き返した情けないあの日を思い出して、感慨深い。門をくぐると、そこでレインコートを着て立っていた守衛さんが、丁寧にバリアフリーコースを説明してくれた。なぜか同士のような気がする。

車いすは左の坂(右は写真ではわかりにくいが急坂だ)

説明の通りに進むと、歓会門や瑞泉門など有名な所は通らないが、趣のあるルートだ。木挽門という門に向かって坂を登っていくのだが、その坂が二手に分かれていて、右は車いすには厳しい直線的な坂で、左はつづら折りで登っていく坂だ。角度を抑える車いす専用の道で、石畳だが登りやすく、緑も近くてとても親切に感じた。

坂を登ると木挽門

木挽門をくぐるとほぼ平坦で、いよいよ正殿が近いという雰囲気が出てきた。やがて広場に出てそこの建物で受付を済ますと、奉神門という大きな門で改札を受け、そこをくぐると正殿だ。しかし見えてきたのは、工事中のため正殿を覆った建物だ。

残念ながら、2019年に起きた火災で正殿が焼失してしまって、今はその復旧工事が行われている。当時は火災の様子をニュースで見て驚いたものだ。以降は復旧の様子を伝え聞いて、沖縄の人たちの力強さを感じてきた。今回はその様子を間近に見たい、またエールを届けたいという事で見学に来たのだ。私の他にもたくさんの見学者がいたが、建物の構造に興味がある人、首里城の歴史に興味がある人などで、午前中から混雑していた。

歴史上、首里城は何回も焼失していて、そのたびに復興させてきた。今回も「令和の復元工事」として、太平洋戦争後の「昭和の復元工事」を越えるのだという意欲のもと、若い技術者も含めて非常に燃えている。その様子を、私たち来場者にもわかりやすく紹介する“見える復元工事”というテーマにして展示していた。

モニターで様々な情報が見られる
3階まで登れば屋根の作業もすぐそこで

例えば、正殿を覆った工事用の建物は、復元作業を間近で見ることができるよう、外から3階建てで見せてくれる。見学者に危険が及ばないよう、ガラス張りにしてある。因みにバリアフリーで、もちろんエレベーター付きだ。

また、火事で焼け残った瓦や木材など、本来なら手が届かずに触れられないものが、手に取れるように展示してある。貴重な遺構である大龍柱は保存してあるが、ガラスを通じて見えるようになっていた。とても面白い展示だった。普段は見られない裏側を見たという感じだ。歴史的建造物は動かないものを見て楽しむのが本来の形だが、ここはライブ感さえも伝わる気がした。

火災を耐えた大龍柱

復興展示室を見て回り、車いすでの見学エリアはこのくらいだ。ここから先は階段があるので写真だけ撮ろう。上は見晴らしがいいだろうな。来た道を引き返すのがバリアフリールート。残念だが、どこへでも行けるわけではない。

ここから先は車いす通行止め(当然)

だいぶ雨で寒くなってきたので、一息つこうと休憩所に入る。そこは「首里城茶屋」といって、お茶と琉球菓子を合わせて500円で提供するサービスもある。琉球菓子なんてちんすこうしか知らない。見てみたいな、私ももらおう。

首里城茶屋

琉球の衣装を着た店員さんに「お茶は温かいのと冷たいのと、どちらがお好みですか?」と聞かれた。「今日は温かい方でしょう」と伝えたら、「そうですよね」とにっこり笑った。お盆にお茶とお菓子を乗せて持って来た。お茶は体の芯をあたためる。ホッとする。2口目。あれ?おいしけど日本茶とちょっと違うような。これは何というお茶だろう?おかわりはサービスらしいので、遠慮なく2杯目をいただいた。琉球菓子は見た目も可愛らしく、品のある素朴な甘さだった。

部屋の中もバリアフリーに心がけているようで、通路は車いすでも通れるように広くとられていた。障害者専用のエリアも設けられており、とても安心していられた。

優先席からゆったりと窓の外をながめて

首里城茶屋を出る。雨の中、木挽門に差し掛かった時、女性の方が出て行く人に声をかけていた。「お疲れ様でした。ありかとうございました」その他にも観光客と少しだけ会話をしていたのだが、私の格好を見てすぐに歩み寄り、バリアフリールートのスロープを紹介してくれた。「雨が降っているので見えにくいですが、あそこに穴が開いています。お気を付けて」と丁寧に案内してくれた。舗装に穴が開いているとは、登るとき気づかなかった。何事もなく降りて振り返ると、その方は私が降りるまで見ていてくれたようだ。軽く会釈をすると、お辞儀をしてくれた。気遣いに心が温かくなった。

木挽門でお見送りしていただいた女性
瑞泉門 車いすは登れないが下から見ると迫力がある
歓会門
園比屋武御嶽石門

首里城の次は玉陵。すぐ隣にある第二尚氏歴代の王墓だ。ホームページにはバリアフリーと記載があったが、観光タクシーの社長さんは、昨日「車いすでは厳しいかもしれません」と教えてくれていた。行って分かったのだが、入り口の始めの木製のスロープがえげつない角度になっている。それさえ登れば緩くなるのだが、入り口のえげつなさに引いた。それに今日は雨だ。晴れていればチャレンジしてみてもいいかもしれないが、タイヤが滑るかもしれないし、助けてくれる人もいない中では無謀ではあっても冒険にならない。やめておこう。入り口の横にある説明看板を読んでよしとしよう。

説明が外にあったのは良かった
最も手前に躊躇

沖縄そばは遠い

さて、お昼の時間だ。この周辺の沖縄そばの店を前もって探していたら、「首里そば」が人気らしい。場所を探して行ってみよう。首里駅の近くまで戻ってきた。見ると、店の外まで大勢のお客さんが並んでいた。観光客と思われる人たちもいて、明らかに混んでいる。頭を抱えた。冬とは言え、人気店にお昼の時間に来る方が間違っているのだ。知らん顔で入ることはできるかもしれないが、何かと配慮が必要な障害者が一人でもいると、迷惑じゃないまでも大変だろう。残念だがやめておいた。次に来るときはピーク時間を変えて再チャレンジしたい。

「首里そば」は行列ができる

それではと引き返して、首里城へ行く途中に見つけたお店へ行く。そこは県道沿いにあって目立っていた。ぽつぽつとした雨には濡れそうだが、レインコートを上から被せてやれば少しの間は大丈夫だろう。ここでWHILLを降りる。入り口に少々段差があって苦労したが、思い切って入ってみた。そしてその奥にある扉を開けると、なんとそこには下駄箱が置いてあった。靴を脱ぐべし、という圧力だ。自分の上履きはあるが荷物になっている。無念。

「いらっしゃいませ」と言って店員さんが来たので、ダメもとで「すみません、装具では無理ですか?」と聞いたら、「あ、うちダメなんですよ」と瞬殺。「そうですよね」と言って、すごすごと引き下がった。また来ます。装具を履かなくても良くなれば。

さて困った。13時を回っている。仕方なく昼食はあきらめて、とりあえず牧志駅まで戻り、そこから国際通りを通って伝統工芸館へ向かうことにする。
国際通りはきれいであか抜けており、若者をターゲットにしたお土産屋さんなどで賑わっていた。私も途中で「お得!」の文字にひかれてちんすこうを一つ買ってしまった。

その並びに、道端にひっそりとたたずむような、みすぼらしい小さな沖縄そばのお店があった。お腹もすいていたし、店もすいている。怪しい感じがしたが、入ってみよう。

この店に入った

お店の屋号ははっきりとわからない。テントが破れているし、「そば屋」が屋号とは思えない。小さな看板が道端に出ていたのでかろうじて沖縄そば屋だと分かったが、知らずに通りすぎてしまいそうだ。ガラスの扉の向こうには店員も客も誰もいなかった。イメージだが、ムスッとした男が店の奥から出てきて、何も言わずに注文を聞きに来るのだろう。なんかいやだな。

恐るおそる扉を開けると「カランカラン」と喫茶店のような音がして、奥から女性の「いらっしゃいませ」と言う声が聞こえた。出てきたのは、40代ぐらいで笑顔が印象的な女性だった。私はホッとして席につき、500円の沖縄そばを頼んだ。すると、奥に入ってしばらく出てこなかった。おそらく他に店員はいなく、1人で切り盛りしているのだろうなと思った。10から20名、入るかどうかの小さなお店だった。

さほど待たずに沖縄そばが出てきた。具は豚バラの他に魚肉ソーセージが乗っている。まずはスープをいただこう。温度はちょうど良く、澄み切っていて温かさが体に染み渡っていくようだ。とても優しい味だと思った。麺はそばというよりも細めのうどんか冷や麦に近い。しかし歯切れの良さはそばに近いのかな。外が寒かったからか、一気に食べてしまった。

そういえばスプーンがついてきたな。スープを飲むために付けるのなら蓮華だろう。もしかして私が片麻痺だから、普段付けないものを用意してくれたのだろうか。気づかずに使っていた。ありがたい。

優しいスープ。飲み干した

沖縄そばは詳しくないのだが、普通においしくて感激した。最初、妙に警戒していた自分が恥ずかしい。次に食べるときはこれが基準になるので覚えておこう。スープまで全部飲み干し、ご馳走様と言ってお店を後にした。

市場周辺は楽しい所

寄り道をしたが、次に伝統工芸館に行って昨日作ったロックグラスを受け取った。ちょっと無骨だが、良くできている。ひびも入っていて、キラキラとしていい。満足した。

せっかく来たのだからと店内を見て回る。シーサーやかりゆしウエアなど、いろいろなものがあって面白い。ふと見ると、沖縄織のコースターがあった。これは良いな。手作りのロックグラス、土地の人に紹介された古酒、それを沖縄織のコースターに乗せて。沖縄の思い出に浸るにはもってこいだ。これも買った。

伝統工芸館を出ると、次は近くにある牧志公設市場に行く。その周りには平和通りなどの商店街がいくつもある。雨が降ってもここはアーケードがあるので問題ない。平日なのに人がたくさん出ている。観光客と思われる人も多い。まずはこの商店街をぶらぶらと歩こう。お土産屋や、若者向けのショップ、手相やタロットなどの占い、古本屋など。まさにごった煮だ。

通りがかったお土産屋の前で立ち止まる。あそこはお茶のコーナーではないか。それなら先ほどの首里城でいただいたお茶があるのかもしれないと思い覗いてみた。しかしお茶は似たようなものばかりで違いが判らない。お店の人にも聞いてみたが、そのお店ではわからないらしい。ところが「この先にお茶の専門店があるので、そこなら知っているかもしれません」といって、詳しい場所を教えてくれた。ありがとうと言って、何も買い物はせずにそこへ向かった。何か買えばよかった。丁寧に案内してくれたのにすみません。

着いた所は牧志公設市場だった。1階の外周にある店は外に向かって開かれていて、個別に小売りしていた。その中の1つがお茶の専門店だった。年配の男性を捕まえて事情説明をし、「そのお茶がおいしかったので、同じものを買いたい」と伝えたら、考えた末、3つを提案してくれた。3つとも「さんぴん茶」といい、最高級・高級・普通だ。お代わりをサービスで提供してくれるのに「最高級」はないだろうと思い、私は高級さんぴん茶を1つ買った。因みに商品を手渡すときに、さんぴん茶の美味しい淹れ方を教えてくれた。沸騰したばかりのお湯で入れる方がいいとの事。日本茶とは違うらしい。覚えておこう。

当初の目的地だったので、そのまま牧志公設市場の屋内に入った。魚介のお店が多くて、沖縄独特のカラフルな魚や貝が、所狭しと並んでいるのを見ているだけで楽しい。生魚はお土産に向かないので、購入は諦めた。2階では市場で買った魚介を料理してくれるらしいが、お昼を食べているので無しにする。

でも何か買いたいな。そう考えながら通りがかると、お母さんに呼び止められた。島ラッキョウのお店だ。試食を進められて、醤油漬にかつお節をまぶしたものを食べてみる。すると、ピリッと辛いがラッキョウの風味とお醤油の甘さがふわっと香り、なかなか美味しい。これも買おう。100gからが標準なのだが、多いのでとても食べきれそうもない。相談したら50gでもいいそうなので、お言葉に甘えてそうさせてもらう。幸いにもアテまで手に入れた。これは帰ってからのお楽しみだ。

市場を出るとまだ15時過ぎ。飛行機には時間があるので、このあとも商店街の散策を続けよう。興味のある方へとWHILLを走らせていくと、なにやら怪しげなバーや居酒屋が多くなる。例えていうなら、アメリカナイズされた新宿ゴールデン街のようだ。奥に行くほど暗く、時間を忘れさせる。平日でもお店に人は多く、みんなお酒を囲んで賑やかに楽しそうだ。ディープな雰囲気にひかれてしまう。まずい、これで飲んだらきっと規則の時間に遅れてしまうような気がする。このような空間があると知っていたなら、前もって早く来たのに。

外にいると寒くなったので、後ろ髪を引かれる思いがしながら商店街を後にする。

国際通りを西へ向かい、県庁前駅から那覇空港に向かった。定刻の2時間以上前に着いたが(規則は1時間前)、前回と同様に2人がかりで車いすをじっくりと吟味されても、慌てずに笑顔で応じることができた。

振り返ると雨と人

今回の旅行は、さすがに雨にたたられたといっていいようだ。気温は期待していたより低く、寒いこともあった。

思い返せば、波上宮からついていなかった。おみくじなど当てにならない。なにが「たたりなし」だ。むしろ、私の柏手の音が小さすぎて神様に聞こえなったのではないか。そんなことも考えて意味なく地団駄を踏み、ふてくされてしまう。

しかし、人との出会いはあたたかかったと思う。めぐりの社長さん。bistro bombaのスタッフさん。首里城で私を見送ってくれた女性。首里石鹸の店員さん。名前も知らない沖縄そばの従業員さん。沖縄茶専門店のお父さん。島ラッキョウのお母さん。1人で旅行しているからか、出会う人すべてに思い出がある。沖縄の人はあたたかいと何かで読んだことがあるが、それを実感した。

特にめぐりの社長さんにはお世話になった。行程を考えている時からメールでアドバイスをいただいて、行程変更にも対応してくれたし、移動中は楽しい話だけではなく、興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。このスタイルのタクシーは全国的にまだ少ないようだが、もっと増えたらいいのにと思った。割と自由に行程が作れるし、知らないところにも付き添ってくれて安心して行ける。鉄道旅行もいいが、介護観光タクシーもまたいい。

今回、何気なく自分が叶えたい目標を社長さんに話した時に、さらっとプランを提案してくれた。その内容に私の心の針がピクンと反応。これは体力つけてまたく来なくては。


羽田空港に着いた。京急で横浜駅に行き、そこで乗り換えてホームで次の電車を待っていた。さすがに疲れて、体を伸ばそうと車いすを降りて軽くストレッチを始めた。すると突然、2人組の女性が声をかけてきた。「どうかしましたか?何かお困りではないですか」

びっくりしたが、何も起きてはいなので、お礼を言ってお断りした。障害者が突然見慣れないことを始めたので、心配して思わず声をかけたのだろうか。親切な人は横浜にもいるのだ。
その2人組を見て、アメリカンビレッジで声をかけてくれた2人の女性を思い出した。もしかしたらあの人たちも沖縄の人ではなく観光客かもしれない。カメラでお互いの写真を撮っていたっけ。

親切な人はどこにでもいる。沖縄の人の心遣いには感謝するが、横浜の人だって負けてないのかもしれない。全国でも同じだろう。沖縄でもどこでも出会う人の何気ない親切さに支えられて、このように家まで帰ってこられた。

そういえば、多くの知らない人たちから、短時間をつなぎ合わせて見守られ続けていたような気がする。「障害者も一人で旅行に行けるぞ!」と張り切っていたが、少なくとも「一人きり」ではないようだ。

夜はだいぶ冷え込んできたが、心はあたたかくなった。(終)

参考:介護タクシー「めぐり」


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