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Fingertip spectacle! Draw a line. 作品解説Tips 6「絵の世界は宇宙です。私にとって線は現実。人の大切な手元の世界に不用意に踏み込まないようくれぐれもご注意を!!」

人間の手元の世界には無限の宇宙があります。その宇宙は私の場合絵画の制作と繋がっています。
私の絵画はつまり宇宙です。すごいでしょ。

私の制作のモチベーションは幼い頃に家にずっとひとりでいた頃の手遊びから来ています。私を癒やしたり、時間をもたせたりするのは手遊びです。他所様からはネグレクトの家庭の小汚い子供の手遊び。くだらないと言われるかもしれません。事実、私自身と私の作品は高尚なものではありません。俗なものです。権威もありません。低俗なものです。値段は1億円にしているので高価ですが、貴族が描いたものでもありませんし、偉い人間が描いた絵でもありません。

人とはえらい人間だとか、高尚な人間に価値があるものではありません。
私にとって偉いと称される人間も高尚とされるというか自称高尚な人間もクズです。人は誰も平等です。
それと同じように私にとっての絵画は誰にとっても平等です。
私の絵は人を選ぶような絵画ではありません。

私の大事にしている手遊びは誰にでもあるものです。誰にとっても大切なものです。権力のある美術館は私の作品と手遊びをゴミのように扱うでしょう。しかし私の作品は私にとって価値のあるものです。そして美術館にとっては違いますが私にとって絵は私の描いた絵でなくとも全ての絵が大事なものです。
紙に1本線が引かれているだけでも、私にとってそれは宇宙です。ポンコツ美術館にはその心はわからないと思います。しかたないでしょう。生活するために学芸員の免許をとって絵を扱っているだけなのですから。絵に命をかけている人なんかいませんね。だから徒党を組んで権力を振りかざさなければならないのです。

絵が権威のあるものとされ、手遊びを低俗なものとするなら私は手遊びを全面的に打ち出します。そして権威とする者の後頭部の髪の毛を鷲掴みにして顔面を私の作品に押し付け引きずり回すでしょう。(実際にはしませんが)まあ、このように言えば権威という糞の傘に見を隠したくだらない弱い人間は何もできないのです。ゴニョゴニョと口ごもるかな。その程度の人間です。

私は幼い頃学校から帰ると家の外に出ることは許されませんでした。我が家は鬼と悪魔の住む家。当時の権力者は母です。絶対的権力者。この世のどこでも見たことのないような形相で包丁を振り回し、幼い子どもを容赦なく殴る鬼です。彼女はあまりのプライドの高さ故に外に出ることを嫌いました。長い人生の中で一度として仕事が長続きしたことがない。誰かに対等に話されるだけで切れる。そのため、人に何かを言われる切欠になる私が外に出ることを徹底的に嫌いました。なので、小学校低学年の時に片手で数えられる位友達と遊んだ事があるだけで私は外で遊んだことはありませんでした。今思い出しただけで憎悪が湧いてきます。

幼い頃の私は友達が大好きでした。母はその友達を一人ずつ私から引き裂いていきました。当時、私の心が引きちぎられる感覚は今でも心に焼きついています。幾度となく心を引きちぎるうちに私の心は死んで行きました。死んだ心は小学校高学年の頃にはすでに出来上がっていました。友達の要求に一切答えられない私は嫌われていました。当然です。
学校では何かあれば私は腹いせに標的にされました。少しずつ学校に行くのも辛くなった。私の顔からは笑顔は完全に無くなりました。今でもなかなか笑うことができません。油断するとすぐ仏頂面です。

人間には心があります。どこかで宇宙と繋がっている。何と繋がっているのかはわからないけれど人間の心は宇宙と繋がっています。多分そのさきは友達だったり幸せな何かだったり。鬼に仮に何もするなと言われても、心は止まることはありません。心のなかで活発に活動しています。家の中で歩き回るなと強制されても座っている場所で手は動かします。

幼い頃私の目の前には油粘土がありました。粘土で戦車やスター・ウォーズの戦闘機を作って自分で戦争して延々と遊んでいました。私にとって自分の対象となる世界。粘土の世界と私はやり取りをしてきました。私にとってのリアル。誰が否定しようと私にとって手遊びは現実世界なのです。

私にとって絵画は宇宙です。そしてその中に描かれるLineやClayは私にとっての現実世界です。誰になんと言われようと私の世界です。
仮に権力者が私の世界を犯そうとするなら、今の私は何のためらいもなく権力者を打ち崩すでしょう。
手元の世界にはくれぐれもご注意ください。

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