見出し画像

「線を描くために朝気持ちを一歩前へ」FDL Tips 12−5−3

私の絵(FDL)のコンセプトの元になる懸念は皆がつまらなそうに電車に乗って、つらそうに仕事をしていることです。毎朝そういった姿を見ながらアートのやるべき皆様への働きかけを悩み、考えています。

勉強が嫌いで、仕事が嫌い。昔の私はそうでした。
今の私は、毎朝早く仕事に行きたくて、行けることが嬉しくて家を出ます。
仕事は楽しい。
勉強も、仕事も好きです。

毎日スイッチを入れるために、気持ちを一歩前に出す。逆に気持ちを絶対に後ろに一歩引かせたり、前にでないように立ち止まるようにはしません。そのようなことは絶対にしてはいけません。
そんなことをすれば心と体。脳や精神は嫌がります。
皆さん朝から逆のことをしていませんか?

私は弱い人間です。その弱さを克服するために少々荒療治で乗り越えています。必ず気持ちを一歩前に。そのために派手な服を着て、高級外車の屋根をオープンエアーにして、好きな音楽をかけて、出勤します。馬鹿みたいですよね。
でも心にはそれがいいというこがあるのです。
犬の散歩をして、お決まりのカフェで朝食をとって、カフェで執筆と読書をします。今読んでいるのはシンニホンです。

朝気持ちを一歩前へ。
そうすることが鍵となって仕事ではいつも気持ちが前に出ています。
学校ではあえて生徒にもその姿を見せるようにしています。
余談ですが派手な格好は、生徒が怖がらないようにとか、この人なら話せるかもと思えるような仕掛けでもあります。
逆はどうでしょう。
ひょっとしたら話しかけたくないかもですよね。

先生が華美な格好をする必要はないのは良くわかります。
でも、先生が地味な格好をして浮かない顔をして、社会的にも浮かない存在に思えてしまったら、本当にそれで子どもたちは明るい未来を感じることはできますか?
私は無理だと・・・存じます。

勉強と仕事が好きになるか、嫌いになるか。
好きになるとはそう簡単ではありませんが、変えることはできる。
そう確信しています。
そして皆を変えることができる。
気持ちを一歩前へ。後ろへ引いては絶対に駄目です。立ち止まっても駄目。

一歩前に出るとは目立つということでそれは出る杭で表現でアート
気持ちを一歩前に出るということは出る杭になるということです。
学校が嫌うものだと思います。
前髪が少し長いだけで危険因子。
でもそれは少し学校独特の偏見で、社会を知らない人間の考えなのかもしれません。
社会は学校と違って指導要領に沿って仕事をすればいいというものではありません。自分で考えて想像し切り開いて行かなければなりません。人の考えをなぞったり、言いなりになったり、人の考えや意見をただ口を開けて待っていればいいものではありません。その逆です。自分で考え、想像し、それが通用するかどうか勇気を持って打ち出さなければなりません。口を開けて待っている人間では社会では生きていくことはできても、より良い社会を生き、これからの日本を作り上げることはできません。

一歩前に出る。これは表現であり、アートです。
皆と同じ前髪にする。それは皆と同じ美しさ。でもアートは美しさを壊す所に本質があります。自然に伸びるもよし、わざと可愛い形に伸ばすもよし。いずれも先生からすれば統率を乱す醜い前髪かもしれません。でもアートはそれで良いのです。
先生に美しいと褒められてどうしますか?先生に好かれた所で気持ち悪いかもですよね?先生うけはどうでもいいので、友達や大事な人達に綺麗と思われる前髪にしてください。

校則違反にしている事自体を考えてみて下さい。本当に悪いことをしていますか?前髪が少し伸びていることが誰かを傷つけましたか?
そのようなことはただの一度もないはず。


皆を変える鍵はアートが握っていると私は感じています。なので、アート、私にとっては絵画でそれが実現できるように、FDLの制作を始め、そのコンセプトを説明するためにこの文章を書いています。

まず、アートとして言わせてもらいます。
地味で心がおどる子供は一人もいません。
なので、日本中の先生方の服装や髪型は自由にしてください。
それから当然ですが子供たちも自由です。
と宣言しますが、色んなことを立証することが先ですね。頑張ります。

さて、勉強が嫌いになる原因の一つ。
それは余計な所でコントロールするからです。
必要ないコントロールは一切なくしましょう。凌辱のようになってしまう。
気持ちを上げる大事なポイントで出鼻をくじいいてしまう。これをやめるべきです。心当たりはありますよね?

校則で子供の服装を規定する目的は生徒を支配し管理するためです。
そこにあるのは先生の悪意?。もしくはどうしても言うことを聞かない生徒の悪意を抑え込む大人の都合。それ以外の何物でもありません。
悪を改めることは当然のこと。但し手段がナンセンスです。
子供は先生に助けられれば従います。つまり、人生を好転させてあげれば従うのです。逆に何もしてくれない大人だとすれば困窮している子供からすればうざいの一言です。
服装を改めさせるというより、服装を受け入れるということの方が大事。
抑え込む所に頭と体力を割くのではなく、だめかもしれないけど人生を大逆転させられる方法を考え出すことに集中する。その方が建設的。

言うことを聞かない悪意のある生徒の立場に立って考えてみて下さい。
必死の抵抗ではないですか?
彼らが不条理を前に一歩引いたり、立ち止まったりすれば損をするのは彼ら。
彼らは仮にそのまま黙っていればいいことはありません。
せめて気持ちだけでも一歩前に押し出すために言うことを聞かずに自由に服を着るのです。反抗はなんとか状況を良くしようとする心の現れ。
子供達を変えることに必要なことは制約で押さえつけることではありません。
先生方の教育によって彼らを人生を逆転成功に導くことです。
かなりの大逆転をしなければならないのですから服装から気合を入れるくらいで丁度良いのです。

校則は生徒を支配するためにあります。
なんでもかんでも規則にすれば、生徒にすぐにペナルティーを与えられます。
前髪、スカート、靴下。
社会のどこにそこまでの支配を行う場がありますか?
社会に出たら・・との説明をされますが、そのような社会はどこにも存在しません。
学校だけです。

私は企業やアーティストなど様々な人と関わることが多いですが、私はそのような社会を眼にすることはありません。

といったことは私は勉強と仕事嫌いの端を発していると思います。
勉強と仕事は前髪のように整える問題ではありません。
勉強の進捗状況はバラバラで構いません。
前髪のように簡単に揃えられることが可能だと誤解しているから皆が勉強嫌いになるのです。
バラバラの個々を最大限に飛躍させる教え方は何か。
先生とはそこに全てをかけるべき生き物です。
優秀すぎる生徒は迷惑。そうなっていませんか?
優秀な子は学校の指導の物足りなさに言いようのない不満を抱いています。
子供に必要な教育が教科書のように個々に同じであるはずはありません。

1日は朝から始まります。
まずは世の中が楽しくなることから。特に朝を変える所からはじめて下さい。

私は毎朝オープンカーで出講します。

制約に勝つ

線、つまり仕事を自由にのびのびすることができないのは制約があるからです。
勉強と仕事が嫌いなのは、簡単に言えば制約に負けているからです。
好きになるには勝たなければならない。
とても難しいことを言うようですが、実現不可能なものではありません。

線を自由に描くことができない。
これは制約を超える線を引かないように心が怯えているからです。
そんな調子で良い作品など描けようはずありません。
仕事も同じです。

思った線を自由に描くことができない。
これは残念ながら世界中のアートの世界も含めて、絵画の世界全体、日本では特に日本人全員に当てはまることです。

誰も線を自由にひくことができない。
日本では特に誤った描き方の指導をします。それによって、暗黙知で自由に線を引くことができません。愚かなのは〇〇メソッド等と称して良い成績をとるための描き方を信じる先生が多いこと。成績をとるために描く事自体、自由に描く機会を奪う絶対にやってはならないことです。メソッドの悪い絵の仕上がりなど絵画の世界は求めていません。求めているのはその子が自分の感覚と頭でその瞬間に引きたいと思った線です。

自由に描くことを知る機会がなかった人は自由に描く勇気を持つ機会に恵まれなかったことも意味します。先生のすることは描き方を教えるのではなく勇気を持たせて自分の力で前に一歩踏み出させることです。
大人しく大人の指示に従うのが正解ではなく、勇気を持たせることが正解です。
くだらない先生のエゴが邪魔ならそれをバッサバッサと即座に打ち砕く子。そういった子が正解です。

自由に描くことを知る機会がなかった人の多くは才能の神話に騙されています。
勇気を持って自分の思った通りに行動すれば絶対に結果が出せます。

自由に描く勇気を持つ機会に恵まれなかった人の多くは大人に管理されて有無を言わさずレールにのせられた人です。自分の思ったとおりに行動すれば必ず結果は出せていたはず。

絵はオシッコをするように描く。
これが私の理想です。
実際には誰もが自由にどこでも好きなようにオシッコができないので、絵画だけでも自由にのびのび描けるようにするべき、具体的に言えば自由にのびのび落描きができるスペースを沢山設けるということです。
突然何を言い出すんだと思われた方。ごめんなさい。
冗談ではなくいたって本気です。

Tips12−4では太古の人間が洞窟の中に自由に手形を描いたことを描きました。
その当時は本当に自由に衝動的に絵をそこいらに描くことが可能だったはずです。
でも、現代では皆さんご承知の通り、そこいらに絵を描くことはできません。
太古の昔は日本でもそこいらに絵を描いていたはずです。日本人も誰もが自由にのびのび絵を描くハートを持っていたはずです。
それが今では誰も自由にのびのび絵を描くことができなくなった。
文明が進歩し産業革命で暮らしが豊かになった功罪です。
これは私は個人的に、人類がアートの進歩を忘れて科学だけを進歩させてしまった功罪だと思っています。功罪の実害の部分はストレス、幸せではないことです。


正確には場所を選ばす、自由にオシッコができるような感じで描く。
私が提案する最高の技芸、最高の絵の楽しみ方です。
ということは現実的にはできないので、実際にはどうするべきか?が絵画の世界にとっても、絵画の外の皆さんにとっても大切なことだと考えています。
抑圧されている部分をいかに開放するか?人が幸せに生きるために考えなければならないことだと思います。

人に本当に心から皆が絵に興味を持ってくれるには絵画の世界が超えなければならない壁だと思います。
今の絵画は制度を設けてそこに呼び込んでいるだけ。絵の本質が人を集めているわけではありません。つまり、今の絵の集まりは全て、絵に集まっているのではなく制度に集まっているのです。
そのため私は絵の集まりに参加すると、良い面はありますが、そういった意味で絵は死ぬとか、絵の未来を切り開く切欠は死ぬと考えています。
人間の行動は神がかり的なものです。
本当に心から絵に人が集まるようにするには人の行動の神がかり的な部分をよく理解しなければなりません。それに気づけば絵は大きく花開く世界です。今はそれと逆に行っているため暗く、狭く、閉じた世界です。

人間の行動は神がかり的なもの。
自分の意思で動いているようで動いていないことが多い。
人間は食べて予期せぬ飢餓に備えて脂肪を貯めようと頑張ります。でも現代人の多くにとって脂肪を蓄えることは美容や健康の面で害です。脂肪を減らそうと思っても体は脂肪を一生懸命蓄えようとします。そして脳は脂肪を蓄えるために、あんなものやこんなものを食べたくなるように脳をコントロールするための指令を出します。

人間の脳は神がかっています。
人間は兎に角長生きしようとします。そのために無駄にカロリーを消費しないように眠たくなります。勉強とか仕事をしなければならないとわかっていても眠ってしまいます。

勿論、たべものの誘惑や、勉強と仕事をする量には個人差があります。
完全にコントロールできている人もいます。


人間の行動は神がかり的なもの。
才能でも、なんでも無く。
行動は、なんでも無い引き金で決められるものだと思います。

蟻が女王アリになったり、働き蟻になったり、兵隊アリになったりするように、人間の脳も、何かの切欠を境に、脳が女王アリとして、又は、働きアリや兵隊アリとして働けるように意識や心や体に指令を出すように思います。

私はディスレクシアなので、語学が誰よりも苦手です。
日本語を書くことはある程度できるようになりました。でも読む方はなかなか進みません。読む力が弱く、ある程度、30分から1時間読めるようになっていても、そのくらいの時間で凄く疲れます。読んだ後は睡眠が取れる状況であれば脳がもとに戻るように軽い睡眠を取るようにしています。

ディスレクシアの私が良く思うのは、私が野生の動物だったなら既に天敵に食べられて死んでいるだろうなということです。
でも、多分あたりです。
人間は障害があっても死にません。
良くも悪くも守られています。
正直申し上げて、私の半生は地獄です。
当時はわからなかったのですが、この歳になってほかの方たちのことを知るにつれて良くわかってきました。

人間は自分の意思で行動しているようで実はしていないと思うことがよくあります。
ダイエットしようとしてすんなり食事の量を減らせるかといえばできないし、
タバコをやめようとしてもやめられない。
わかりやすく言えば麻薬は完全にやめることは不可能だといいます。

私の仕事に関係することで言えば、
勉強が手に付かない子はつかない。
仕事を楽しくさせようとしてもできない。
毎日を幸せにすごさせようとしてもできない。

私は長い人生をかけてやっと毎日の通勤を楽しくすることができました。
毎日早く遊びに行きたいといった感じで家を出ます。
ほんの少し前まで仕事に出るのが嫌で仕方なかった。
それと今では勉強も楽しいものになった。
昔は勉強が本当に大嫌いだった。

私の仕事は主に、画家と先生です。
皆が油絵を楽しく描けるようにすることと、勉強を楽しくできるようにすることはどうしても私の頭からは離れません。

いつも自分が変われた原因を探り、世の中の役に立てることができるのではないかと考えます。
私が気付かない所にもっと簡単に油絵と勉強が楽しくなる方法があるのかもしれません。ですが、世の中を覗いて視る限り、どうもなさそうのなの、念のためにやっておかなければと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?