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今の自分を認められると見える景色が変わってくる話

ここのところ、漠然とした不安を抱えている、という話を聞く機会が多くって、漠然とした不安の正体について考えてみた。

僕も数ヶ月前は、不安だらけでした。
前職を退職して、やりたいことが見つからない時、それはそれは今後が不安でした。

やっていきたいこと(コーチングやイラストレーター、47都道府県旅するとか)が見つかり、いざ始めれば、やっていけるのか?という不安。

少しずつ認知も高まり、依頼もくるようになった中でも、目標に到達できてないことによる不安。

だいたいは金銭的不安ですけど。

でも、数ヶ月前にふと思ったんです。
僕の場合、そもそも不安って大なり小なりずっとあったかも、と。記憶が辿れる限り、小学校の時から。

周りの評価が聞こえてくるようになり、その期待が高いと思ってしまったり、人と比較される状況を理解してしまってから。

就職しても、大体の期間は日本の平均月収以下。おいおい大丈夫か?って。
でも、信頼を経て、それなりのポジションにつけば、金銭的不安も無くなったけど、このままステップアップしても、老後が不安になりました。
このままの延長では、つまらない人生になりそうだなと。

一方で、不安じゃない時って、がむしゃらにやりたいことにフォーカスしてる時。いつも不安ではない。時々不安になる期間があるだけなんだと、人が抱える不安に寄り添ってみた中で、だんだんと不安の探求が進む。

そして、不安の裏側で「ほんとはどうなっていることを望んでるんだろう?」と探ってみる。そうすることで、「そうそう、こういうふうになりたい・したい」がちゃんとあることに気づけるのです。

そして、だいたいは、今の現状が続くことを無意識的に前提にしたまま未来を想ってしまうこと、その考え方によって不安が出てくるんじゃないかと思います。実際は、ちゃんと望む方向に踏み出せばその現状も変えられてきたことも知っている。

だから、不安を認めてあげることにした。そして不安の裏側の望みも認めることにした。認めるまでには少し訓練が必要だったけど、改めて認めてしまえば、不安に支配されないことが、体感的にわかったのです。

そして、もう一つ。
自分でかけてる色眼鏡で、自分も見てるということ。何年も前からヒト・モノ・コトにレッテルを貼らないことを意識して、自然とできてきてたと思っていたけど、自分には色眼鏡を通して見ていることがあること。

ヒト・モノ・コトに関しては、「自分と違う考えや価値観もあるよね」って考えられるのに、自分に対しては色眼鏡をかけてみてしまってたりする。それが自分を縛り付けることがあること、これもようやく体感としてわかってきた感じです。

例えば、同僚や家族や友人など、ヒトに想いを伝えたいと思っても、「〜と思われるかもしれない…」と躊躇してしまう。でも、そう思っていることが色眼鏡。相手はそんなふうに思わないかもしれないし、それは伝えてみなければわからない。

あと、色眼鏡が厄介なのは、自分の価値観であったり、道徳感であったり、時に集団的無意識だったりいろんな眼鏡をかけてたりする。

だけど、かけてる色眼鏡に気づくこと、認めることができると、ふっとその締め付けから解放されて、望みの方へ向かう行動ができるのです。

これらは、まさにコーチングしてても見られる傾向で、抱えてる不安も自分がかけてる色眼鏡も、一旦否定せずに自分自身を認められた時、これまでとは違う景色や考えが浮かんでくる。

そして、数ヶ月前は「やれなかった」「出来なかった」ことを少しずつ選択していく。その影響が身の回りに変化をもたらし、望んだ方向に進んでいることが見て取れるのです。

もちろん、過程には紆余曲折あるけど、都度湧き上がってくるポジティブな感情もネガティブな感情も一旦認めて、その裏側にあるものを探ってみましょう。

そして、今の延長で先を見通すのではく、本当の望みに従って、今できる選択をして生きる。

不安や恐れもあっていい、そしてその裏側の本心も認めてあげて、本心に従ってアクションしてみてくださいね。

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