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一日一善

一日一回善い行いをする。
という心がけを持って人生に臨む。
そんなスタンスです。

ですが

善い行いとは?一体何を以て善い行いなのか?
という疑問も同時に湧くわけですが。

私の会社に「周りの人にいかに迷惑をかけないで生きていくか?」ということに全てを捧げてる女子が居ますが。
ある意味八方美人で、傲慢な考え方に感じました。
そして何より三浦がそれの皺寄せとしての被害を受けて居るという事実。(後日後述)

物事の捉え方は多面的且つ多角的。
すなわち見る人、角度、時間、場所、によって結果(見え方)は違って来ます。

コレすなわち、善い行いをしたとしても。
どこをどう頑張ってもどこかしら?
誰かしら?
何かしら?
の人、モノ、概念にとっては悪い行いになってしまう。
という圧倒的な現実があるということだと思っていて。

「人は生きるためには」
「人は人を傷つけながら生きて居る」

という結論にも至ります。
ただそれは、同時にどう頑張ったところで、変えようのない物理法則のようなモノで、ある意味考えたところで無駄なエネルギーだと思うのです。
(無駄なエネルギーを使うくらいなら筋トレに使いましょう)

だから日本の教育の大きく歪んだ点を一つ挙げると「人様に迷惑をかけては行けません」という観念。
コレに縛られて生きてる人は大勢いて。
大人になるとそれが故に心を痛めてしまう人がいて。

それよりも三浦が大切にして居るのは「人に迷惑を生きていたらかけてしまうから、自分が迷惑をかけられた時にちゃんと受け入れてあげよう」という事が本質的なのかと思います。

じゃあ、一日一個善い行いをする。
ということはできないじゃないか?
と思う人も居ますが。
一周回って分かることは、傲慢かもしれないし、自己満足かもしれないが自分の中にとって道徳心から善いと思った行動を一個だけでもすればよいのかな?
ということです。

何故なら、
それはやらない人も
やる人もどの道人に悪い影響を(迷惑を生きてる時点でかけているので)与えて居るので。
善いと思ったエネルギーを発した方がより前向きで。

あとは自分の在り方として、やらない偽善より。
やる偽善でありたいと思うからです。

最後にヒントとしてあげるのであれば、『アンパンマン』の筆者のやなせたかしは『万国共通でいい行いがあるとすれば、それは目の前の困って居る人を助けることだ』とも言っています。

※チャットGPTに、聞いたら間違えていました。彼も間違える事があるんですね。

#退職まで299日

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