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02: 外に出なくたって... のNEWノーマル

加藤隆弘(九州大学大学院医学研究院精神病態医学准教授/九州大学病院「気分障害ひきこもり外来」主宰/医学博士・精神分析家)

 久しく更新していなかった「みんなのひきこもり」連載を再開しようと思って、木立の文庫の津田さんと相談したところ... この機に発信スタイルも刷新して【note】連載にしませんか! ということでリニューアル再開となりました。
 前回の原稿が2020年8月だったので、10ヵ月ぶりです。この一年で私たちの生活は大きく様変わりしました。以前の日常を取り戻すまで、もうしばらくかかりそうです。
 リニューアル01では《新型/現代型うつ》を紹介しましたが、それを接ぐかたちで、今回の02では《社会的回避》について皆さまと考えてみようと思います。


 これまで連載で紹介してきたように〔←連載リンク〕、「社会的ひきこもり(ひきこもり)」は〈社会回避〉現象と捉えることができます。ひきこもりと「新型/現代型うつ」の共通点が〈社会回避〉なのです。私は、「新型/現代型うつ」と呼ばれる若者による社会回避行動の長期化・慢性化こそが、病的なひきこもり状態に陥るゲートウェイのひとつと考えています。ところで、精神病理的現象(つまり病気)として捉えられてきた両症候群ですが、そこには〈社会回避〉イコール“良くないこと”という暗黙の了解が存在しているかのように、私には強く感じられるのです。


 しかしながら、新型コロナウイルス(以下COVID-19)感染症によるパンデミックによって、こうした暗黙の了解に疑問符を付けねばならない時代に突入したといえるのではないでしょうか。COVID-19の感染拡大により、2020年4月以降、幾たびも緊急事態宣言が発出され、「人との接触を避けなさい!(三密の回避)」「外出を避けなさい(ステイホーム:STAY HOME)」〔←参考リンク〕というスローガンが奨励され、こうしたスローガンは若干弱まりはしたもののいまでも続いています。つまり、人と生身で積極的に関わることは“良くないこと”になってしまったといっても過言ではありません。
 他方、〈社会回避〉というかたちで、これまで“悪”とされてきた「ひきこもること」のネガティブなインパクトが弱まったようにも感じられます。実際に、これまで「外に出ることが出来ない自分は情けない」と自責の念に苛まれていた長年のひきこもり状況にあった青年たちの苦悩が軽減したという声をしばしば耳にします。
 私たちが2020年2月に発表した「病的ひきこもり(pathological social withdrawal)」の定義では、『週4回以上外出しないこと』を最も重要な診断基準にしたのですが、在宅ワーク・オンライン授業が日常化しつつあるコロナ禍のいま、この基準を満たす会社員・学生は少なくありません。面目一新とまではいかないかもしれませんが、健康な「ひきこもり」という生き方もニューノーマルとして定着するかもしれません。外出できないストレスにより精神的不調を呈するようになった人がいる一方で、外出自粛によりストレスが大幅に軽減した人も少なからずいるはずです。


 そもそも、〈社会回避〉という現象は、本当に“悪”なのでしょうか? ついつい私たち臨床家でさえも、社会回避しなくなることを“良し(appropriate behavior)”として、社会回避しなくなることを目指す治療を行いがちです。〈社会回避〉を余儀なくされるコロナ禍において、この価値基準がゆらぎつつあります。
 動物界では、逃げ遅れることは生物学的な死に直結するわけで、《逃げるが勝ち》の価値観の方が圧倒的に優性なのかもしれません。人間界においても、《逃げるが勝ち》の時代は、歴史を振り返れば幾度も訪れています。「逃げる」者に対して、私たちはどうしてもネガティブな感情を抱きがちです。こうした気持は、「ひきこもり」あるいは「新型/現代型うつ」という状況に身を置いてきた方々に対して“悪”の眼差しを向けてしまう種になってなっているかもしれません。

 withコロナ/afterコロナの時代においては、こうした“悪”の眼差は、ブーメランのように私たち自身に向けられるリスクすらあるのです。彼ら/彼女らに“悪”ではない眼差を向ける社会の構築が、いま、私たち一人一人に求められているアクションなのかもしれません。


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