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自由とは動き続ける△である(青山拓央『時間と自由意志:自由は存在するか』を読む)

自由の正体見たり△(三角形)

尾崎豊とともに「自由っていったいなんだい?」と叫び続けて30年の私でしたが、先日、自由の正体がわかったのでご報告します。

意外なかたちをしていました。

△(三角形)です。

それを教えてくれたのは青山拓央『時間と自由意志:自由は存在するか』。「自由意志」について論じた哲学書です。やや難解ですが、できるだけわかりやすくご紹介したいと思います。

自由意志について論じた哲学書

青山拓央によれば、自由は3つの円とそれらを内包する三角形からできています。(こういう複雑な概念をどうにかこうにか図にしたものは、私の好物です)。

3つの円「自由意志」「両立的自由」「不自由」とは、自由の「現われ」なのだそうです。「われわれが自由であるとは、あの三角形全体の内部を動き続けること」だと言います。

なるほど。自由というのは、3つの要素を、この三角形の中を「動き続ける」ことなのですね。3つの要素を順に追ってみましょう。

1.自由意志

自由意志とは「何をするのかを決める自由」です。

自らの意志が何かの行為を選択した起点であるという「起点性」と、他の選択も可能であったという「他行為可能性」があることが、自由意志の前提となります。

しかし、可能性を選択する起点というものは本当にあるのか。「この時点で私自身が決断した」と私が(一人称の観点で)起点を定めることは実はとても困難です。「分岐問題」と呼ばれるこの問題が、当書では大きな位置を占めています。

突き詰めると、自由意志なんて本当は人間の中にないのではないか?

では我々は、なぜ他者に怒るのか。雪や金魚や文房具に対しては抱かない怒りをなぜ他の人間には抱くのか。それは他者の内面に(本当はないかも知れない)自由意志があると信じてしまう(認知的エラーが起きている)からです。

人は、不可視である他者の中に自由意志を感じることで自由を感じる。これを自由の他者性と言います(上図で自由意志が二人称に位置しているのはそのためです)。自分自身を、他者にとっての他者と見なすことによって自分を自由と見なせる、という構図です(私の他者化)。

自由を求め、葛藤し続けた尾崎豊はこう歌っています。

本当の自分の姿を失いそうなとき、君の中の僕だけがぼやけて見える

自由意志は他者の中にある。しかしそれはぼやけているのですね(『永遠の胸』より)。

2.両立的自由

両立的自由とは「したいことを妨げられずにする自由」です(森博嗣が言う「剣豪が刀を操るような自在」とはこれのことです)。

両立的自由の体験(したいことができた体験)は、個々を見ればどれも平凡で、自由の核を担うものとは言えません。せいぜい「自由感」を支えるものです。盗んだバイクで走り出しても「自由になれた気がした」だけなのですね。しかし平凡な要素があるからこそ、見えない他者の中にも同様の自由感を想像できるのです(他者の私化)。

3.不自由

あるものから不自由ではないこと」も自由の一形態です。「何から自由であるのか」を示すことなく自由を理解することは難しいのです。

不自由は、自由意志か両立的自由を脅かすものです。そして自由意志と両立的自由は、不自由に脅かされることによって、つまり不自由の再否定として「自由」の呼称を堅固なものにしていきます。

自由の△を動き続ける「葛藤」

自由は、3つの成分が不均一な合金(アマルガム)で、自由の成分比率として正しいものはありません。そして自由は、不自由と相反するものでなくむしろ不自由は自由の一部なのです。

自由である、とは三角形全体の内部を動き続けることです。どこかの1点を出発点にぐるぐるとダイナミックに動き続けるそのエネルギーこそが自由なのだと私は解釈しました。

そう、つまり「自由」とはそれを求め続ける「葛藤」なのではないでしょうか。

感想:意志を持つことへのこだわり

この本を読んで、自由意志とは他者の中に朧げにしか存在しないものだと書いてあることに、まず驚きました。

私のいたリクルート社には内省の機会が多く用意されており、在籍当時はことあるごとに自分を振り返ってばかりいました(それは苦しくも楽しかった)。

当時の自分が書いたワークシートを眺めるとこう書いてあります。

意志ある仕事がしたい」「意志を持って動けたのが良かった」「意志の感じられない方針は最悪だ」「意志のない判断に振り回されるのは辛い」「意志ある仲間との協働こそが喜び」

意志、意志、意志、意志。

客観的に見ればおかしいくらい意志にこだわっています。

座右の銘は「指し示す」です。

「自由意志」の存在を、ここまで強く自分に言い聞かせなければならなかったのか。その理由が、当書のおかげでわかった気がします。それは本当はないかもしれないもの、だから立ち止まっていては保ち続けられないものだったのです。そして自由の三角形を苦しみながらもぐるぐると回り続ける「葛藤」こそが実は生きていくエネルギーだったのかもしれません。

そして、意志を持つことの大切さを私に教えてくれたのは、やはり師匠という「他者」なのでした。


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