えべっさんと福祉

子どもの頃の話。
わたしは大阪市内出身で、親も3代大阪の人間なので、大阪の文化がわりと染み付いている方だと思う。祖父母宅ではおやつにホルモンやお好み焼きを食べ、住吉大社のお祭りに行き、お盆は四天王寺さんへ行くような家庭で育った。

そんな我が家には新年早々恒例イベントがあって、それは1月9〜11日に行われる。えべっさんである。福男選びのために全力疾走する男たちがいるのは兵庫なのだけれど、福娘がミスコンみたいになっているのは大阪の今宮戎である。我が家は1年ごとに笹を頂いて、古いものを納めて返すのが恒例行事だった。

ちなみに京都にも祇園恵比寿があるけれど、大阪のように騒がしくない。ものすごく静かで最初祭りを間違えたのかと思った。今宮戎はあちこちから大声が聞こえてくる。太鼓の皮のような巨大な幕をバンバン叩いて「えべっさん!!!今年も頼んまっせ!!!」とマジで大声を張り上げて祈願する。

明らかに他の神社と雰囲気が違うので、なんで?と父に訊ねると、「えべっさんは耳が遠いから大声で言うねん」と説明されたとき、子どもながらにそういう神様なんだ…と妙に沁み入ったのを今でも覚えている。多様性というかユニークというか。なんだそれ?というか。

そうしてド派手に商売繁盛祈願をして笹を新しくすると、祭りの出店をみる。出店は子ども向けもあったけど、それよりもわたしには不思議なことがあった。金太郎飴を買うのも我が家の恒例行事だったのだけれど、父は必ずある出店を探し回って買うのである。飴自体は、他の出店でも売っているものなのに。

何故ここで買うの?と訊ねると、「これは障害者の人達が作った飴や。こうしてお父さんがお客さんになったら、その人達にお金が入るやろ」と言われた。わたしは長らくそのことにモヤモヤしていた。障害者だから買うの?それってなんかズルくない?儲けたいのは他の出店の人達も同じなのに?と思った。

けれど、障害者福祉の現場でアルバイトをしたときに、はじめてその考え方こそが障害者差別だと知った。彼らの作るものは商品として当たり前に市場価値がある。障害者が作ったから不良品がありますなんてことはない。けれどなかなか市場に乗らないし生計を立てることが難しい。儲けるなんて話ではない。

だからこそ、父は少しでも福祉施設の製品を買おうとしていたのだと、大人になってから初めて気が付いた。そのことを父に話すと、「逆差別だなんて、そんなことを考えていたのか…。でも、分かるようになって良かった。社会そのものがもっと変わっていたら、本当は一番いいんやけどなあ」と言われた。

今でもえべっさんの時期になると、父に連れて行ってもらったえべっさんのお祭りと飴を思い出す。商売繁盛のえべっさんは耳が遠いから大きな声でお願いするんやで。えべっさんは大きな声でお願いする人の願いは叶えてくれる。市場経済と福祉と文化と人と人との繋がり。えべっさんはおるんやろなあ。


(この記事はわたしが昨年別のところで公表した文章に一部修正を加えたものです。)

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