人はいつかその時を迎える
今日は主人の叔父の告別式でした。
主人と結婚するときにはすでに義父は亡くなっていたので、叔父が実質義父のように思っていました。
結婚当初は元気で、口が悪く、「お前は随分ブスと結婚するな!」と初めての顔合わせの食事の時に言われたのですが、私としては「おじさん、私のこと気に入ったな」と思いました。
東京メトロにAEDが設置された12年前、おじさんが新宿の駅で倒れ、出産して1ヶ月で長女を連れて里帰り先の北海道から戻りました。あの時は本当に危ないと言われたのですが、そこから短い時間でしたが親族としてのお付き合いをしてきました。駅で倒れた際、初めてAEDで蘇生したというのがYahooニュースに載りました。そのおかげでAEDが普及したと私は思っています。
おじさんはその後も元気に口悪く悪態をつきながらでしたが、春のお花見、夏の小湊と毎年当たり前のように過ごしてきました。
晩年は寝たきりではありましたが、私たちの子供を孫のように可愛がってくれて、毎年お年玉を用意してくれ、今年の元旦も三人に手渡ししてくれました。
「おじさん元気?」って聞いたら、「元気だよ」って言ってくれて、「来年もお年玉もらわないとだから、元気でね」って言ったのが最後になりました。
おじさんがおばさんと口喧嘩していたうるさい声も聞けないと思うと、とてもさみしいなと思います。
人はいつかその時を迎える。
その姿はなくなっても、思い出して語ることで私たちはその悲しみを癒される気がします。
私はいつも、大切な人を亡くした時、生前の声を思い出すようにしています。
その人の声を忘れないように、そして思い出して、私の人生に関わってくれてありがとうと心の中で呟きます。
それは、節目とかではなく、ふと、思い出す時に。
おじさんが次の世界でまた悪態をついていますように。
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