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大空の下で食べよう【歩くこと&食べることは脳の幸せ】(4-04)

大学山岳部時代の話である。

毎年5月になると新人歓迎・練成合宿があり、谷川岳へ向かう。

この合宿にはOBがたくさん集まり、入部したばかりの新人を叱咤激励する。

我が山岳部の最重要合宿だが、OBが山菜を摘んで、自然の恵みをいただく会でもある。

都会育ちの新人には、山菜を摘むだけでも、かなりのインパクトがある。
筆者にとっても忘れられない、一生の思い出だ。

結論:自然の中を歩き、お腹を空かせて外で食事するだけで、『美味しい』という感覚を思いだせる


食べることを喜びと感じない人がいる

食べることは本来、最高の喜びのはずだ。

しかしそれを喜びと感じない人がいる。

こんな話を聞いた。

「何を食べても美味しくない」
というのだ。

「ひょっとしたら最近、こんな人が増えているのかもしれないな」
と感じるようになった。

こんな人へ向けて、簡単な解決方法を提示したい。

「外で食べてみたら?」

とはいえ、
「外食をしよう、美味しいレストランを探そう」
という話ではない。

お弁当を持って野山を歩き、景色のいい場所で食事をすることを提案しているのだ。

景色のいい場所まで歩いて向かい、お腹が空いたらお弁当を食べよう。
こんなシチュエーションなら、何を食べても美味しいはずだ。

経験上、おにぎりが実に美味しく感じられる。
テルモスのお茶が、ありえないほど喉を潤す。

お弁当は、できれば手作り弁当がいい。

手作りの弁当に勝るものはない。

というより、手作りのシンプルな料理の美味しさを思い出させてくれるのが、野外で食べる食事なのだ。

美味しくない食事などない

料理の基本を知らずに作るのでなければ、基本的に美味しくない食事などないはずだ。

それを『美味しくない』と感じてしまう側に問題がある。

だから
「最近、何を食べても美味しくないんだ」
という人に、
「お弁当を持って、家族や仲間たちとハイキングに出掛けてみては?」
と勧めたい。

今までの経験上、ハイキングから帰ってきて『美味しくなかった』という人に、出会ったことがない。

「塩だけの握り飯が、こんなに美味しかったなんて」
や、
「ご飯と梅干しのありがたみが、本当に身に沁みた」
とか、
「おにぎりと漬物が最高だった。お茶が何より美味しかった」
など、
「美味かった、最高だった、ありがたみを思い出した」
のオンパレードだ。

まとめ

料理とは本来、美味しいものだ。

歩いたり、身体を動かしていないと、ついそのことを忘れてしまう。

よく晴れた気持ちのいい日に、自然の中を楽しく歩き、お腹を空かせてみよう。

そんな状態で景色を眺めながら、外で食事するだけで、『美味しい』とはどういうことなのかを簡単に思いだせるはずだ。

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わたなべあずま
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