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2022/05/14

今日は、夢見がちょっと悪かったです。
頑張って言い返してたけど(!?)、なんというか、性格~って感じでした。夢の中でも自分に駄目出しというか、なんというか。
夢は夢だからあんまし気にしなくていいですかね。
いい夢だけ浸らせてくれ~。

今日は、そんなわけで午前中はダウンしてましたが、玄関をひたすら往復していたので外には出ていました。
ゆるーくね。過ごした。
今日は夢を見ずに眠れるかな。


とある結婚式とその披露宴に出席したときの話である。
流れる新郎新婦の幼少期から現在に至るまでの映像や、挨拶や友人たちからの余興や、きょうだいで向かうお色直しや、新婦から両親への手紙や、たくさんの祝福の声、幸せしかないような新郎新婦の二人……
結婚式~披露宴の一連の流れを見ながら、「私にはこんな幸せな結婚はできないだろう」と思った。それから、かれこれ5年以上は経っている。勿論結婚はしていない。
まず幼少期の写真を流されるというのが嫌だ。
私は写真嫌いな子供だったのか、客観的に見てもあまり可愛いとかポジティブな感情を抱ける写真がないのだ。大抵、カメラを親の仇か何かのように睨み付けている。目が悪かったのもあるかもしれない。
まともな笑顔の写真があるのは大学の頃になってくらいで、それも大学卒業後数年経てば、写真を撮る機会を失ったためそもそも写真がないし、カメラを向けられてとっさに笑顔を作る表情筋はもうしんでいる。
ひきつった笑顔の写真が残ってしまう。嫌だ。

また、友人もそんなに多くないし、そもそも家族仲がけしていいわけではない。特にきょうだいに対しては本当に無理という感情すら持っている。お色直しが決してきょうだいと連れ立っていく必要がないことは何度かの披露宴の経験から知っているが(おばあちゃんだった知人がいた)、あれは母だとだめなのだろうか。お色直しに会場を出る際に伴うアナウンスにエピソードが必要なのも、流せるようなほほえましいものはないし、嘘を流すのもきもちわるいのだ。
そもそも相手がいないので、結婚自体が無理という話なのだが、結婚願望のある友人と話していると、はて、結婚とは、と連動して自分が経験した結婚式の思い出が浮かび、「私には結婚はできない」とふと考えてしまうのだ。

うつを抱えるようになってからは、一層その思いが強くなった気がする。勿論、うつでもなんでも、結婚は自由だし、したい人、する人を否定したいわけでは決して、ない。私自身の問題である。


そんなわけで、今日のよかったこと。
朝マックした🍔お昼ごはんにたまごを焼いて食べて美味しかった。おさんぽには行かなかったけどたくさん動いた。本の音読、二日継続してます。







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