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ダイエット日誌】限度を超える飢餓実験が教えてくれた3つの教訓

普段からみんなに忌み嫌われている体脂肪ですが、生命を維持していくのに欠かせない重要な役割を担っています。では、それが10%以下にまで削り取られてしまうと心身には何が起きるのでしょう?カロリーは通常の3分の1まで減らされて1日2時間の筋トレと1時間の有酸素。

自主的でない限り異常なダイエットはおすすめ出来ません。確かに飢餓に陥ることで多くのメリットが得られますが、それは短い期間で医学的条件下のもと実施される必要があり、長期にわたって好き勝手に絶食をすれば全てのメリットはマイナスに転じます。つまり最後まで食べなければ私たちは自分自身を骨まで食い尽くいつくことになる。

まず初めに3っの結論から報告します。
①限られたメニューを食べ続けていて飽きたりしないのか?
しません。実際にはそれと真逆のことが起きる。日が経つにつれより美味しくなっていき、違うものを食べていないか疑うほどでした。
②日常生活に支障はでるか?
いつも通りは無理だと思います。睡眠障害や体力の減少、精神的な疲弊が続く。落ちるとこまで落ちていくのですが底で真実を悟るようになる。
③最大の発見はなに?
見当違いな恐怖の発見。腹が空くより喉が乾くほうが100倍キツい。安全なときに危険を冒しててよかったと思う。


貧しく富む

顔が細くなっていくにつれ「どうやって痩せている?」っと聞かれることがある。「鶏むねとブロッコリーを食べてます」って答えると「そればっかりで飽きないの?」っと聞き返される。確かに普段のメニューで昼と夜、同じものが出されたら「あら…昼も同じもの食ったのに…」っと不満が漏れる。

かくゆう私も初めから素朴な人ではありませんでした。パートナーと食卓をかこった時の話です。ディナーで塩ゆでブロッコリーが直に出された。(ちなみに私は何も作っていない)「サラダの中にブロッコリーが混ざっているのは分かる。ブロッコリーにマヨネーズが付いているのも分かる。でもブロッコリー単体って味せんくない?」笑止千万。ブロッコリーよりマズいお頭が食卓を台無しにしてしまっています。

きちんと空腹になっていればブロッコリーにもご飯にも水にだってしっかり味はするし、食感ものど越しも震えるほどに美味い。たとえそれを繰り返し食べ続けたとしてもです。そう感じることができなかったのは正しい味わい方を知らない無礼者だったから。こういう奴は平気でご飯粒を残すようなタイプ。

お腹の中に余計なものが入っていなければ、美味しいと感じるために必要なもはほとんどありません。リンゴの入ったバケットを想像してみてください。一部のリンゴが腐っています。なら地続きで他の新鮮んなやつも悪くなってしまうのではと心配になるでしょう。腐敗を防ぎたいならバケットをひっくり返し、完全に空にして、リンゴをひとつずつチェックしなければならない。一度完全に空にししまわないと、どの程度腐敗が進み、どの程度新鮮さを保てているかチェックのしようがありません。

これは逆説的な美味さの追求です。常に刺激を追い求め足し続ける味わい方は味覚を鈍感に馴れさせます。結局、美味しさは遠のいていく。そうではなくて空にするんです。空腹でしか味わえない聖域が存在して、そこに感動と驚きが潜んでいて、毎日、努力も工夫もする必要がなく、ただ放っておくことで神々の恵みが味わえる。これが本当に衝撃的。一口で脊髄に雷が落ち、目を見開いて食っているモノをもう一度確認し、唸る美味しさ。「これがブロッコリーなのか!?」お花畑で美しさを探すことは誰にでもできる。はるかに衝撃的な美徳とは質素な暮らしに潜んでいる美しさを見逃さないことだ。

自分ルール

何が何でもやるべきをきちんとやって、控えるべきをきちんと控える。それが自分ルールです。どれだけ状況や気持ちが暗くなったとしても、継続しない限り何も変えることができません。

最終段階になると空腹がどうのこうの問題ではなくなってきます。最悪なことが沢山おきて、それを受け取る気分はもちろん最悪です。具体的には眠れなくなり睡眠時間が短くなる。これが2週間続くと脳は2日間徹夜した思考力に疲弊する。それが数か月続く。さらに運動時間は倍になる。有酸素の距離は増え息切れは収まらずトレーニング時間も長くなる。終わった後は急な睡魔に襲われます。重力に押し付けられる感覚、ビリビリと肌を刺す甘いしびれ、世界が逆さまになったよう立ち眩み。普段なら夢中になるはずの女性関係はどうでもよくなり、マスターベーションをする気にもならない。いつも面白おかしく見てるはずのお笑い番組も全然、面白くない。逆にグルメ番組は脳裏に焼き付き忘れられなくなるので速攻OFFの有害なコンテンツです。

はたから見れば何に取りつかれて夢中になってるのか不思議に思う。マジで意味わかんないのが自分ルールです。一見すると自分で決めたことなんだから守り抜くのは簡単そうに思えるかもしれない。でも実際に苦しみが訪れるすぐにズルを考え始める。自分ルールはうつろいで自分が変えていいルールになり始める。結果的に変わるのは自分ではなくルールのほうです。

最高のルールはやがて最悪の結果をもたらします。逆に最悪なルールに従うのなら最高の結果がもたらされる。

ベットから起き上がれない朝は最高ではなく最悪を想像し尽くします。これから良いことなんかひとつもない。笑うことも興奮することもきっとない。いつもと同じで予期せぬハプニングも特別おきない。栄養が足りてなくて病んでるように思うかもしれませんが、でもリアルってそんなものです。非現実的な期待を抱いていては盲目的に流される。一日中、布団に包まって寝ているために生まれたのか?いいえ、私たちは見たいものを見るために生まれてきました。最悪の世界で最高の自分になるルール。落ちるところまで落ちていくと心の奥底にある真実を悟ります。

リスクを回避する危険

ラスト2日に差し掛かると浮腫みを抑えるために水抜きをします。これまで水を制限したことが1度も無かったのでかなり貴重な視点を得ることができました。口の中が粘々になり、食べ物が喉を通りません。水を飲むたびに500mlタンブラーがどんどんと軽くなっていくので、渇きの恐怖が増幅していきます。空腹になる何倍も喉が渇くのは恐ろしい。恐怖ヒエラルキーがあるとすれば普段の破産してしまうとか、お化けを見てしまうとか、ゴキが突然、現れるとか。そんな呑気なレベルじゃないくらい水が飲めないって心理状態は人を怖がらせます。今は幸運にも自分の選択で水を飲んでないだけであって、きっと何かの有事で街全体の水が絶たれたのなら、サイコスリラー映画が現実でも起きるだろうと想像しました。いたるところで水を争い暴動、略奪、殺人だってこれは起こりえると。なのに、かつて私は水の重要性を知りませんでした。

最も危険な生き方はリスクを取らない生き方です。安全なうちに進んでリスクを負っておかないと、本物の危機が訪れたときに備えることができません。言い換えると水が確保されてるうちに根拠のない恐怖は克服しておいた方が安全だということです。お金も、お化けも、Gの問題だって克服するのに時間がかかりますよね?だから今のうちにリスクを取っておくんです。水が無くなってからでは準備が間に合いません。

もし私が渇きの恐怖を知らないままだったら、断水になったとしてもお金の心配をするでしょう。バルブを閉めたり、タンクの確認したり、ボトルの準備なんて検討にもおよばない。なぜならお金で水は買えると思っているからです。安全なときにリスクを負っていないので具体的な脅威が何なのかを正しく判断できていません。【リスク=避けるべきだ】と直結していると失敗が許される状況ですら、自分の愚かさを把握できず、価値ある知識を遠ざけてしまいます。

フィットネスジャーニーは3年半を迎えました。何気なく記録を振り返っていると偶然の一致なのか、あの頃の私と最終調整が同じ57キロで質の違いに驚きです。筋肉を増やす筋トレと脂肪を減らすダイエットが組み合わさると、ここまで見え方に違いが出るのかと感心しています。3年半という時間は何もしていなくてもただただ過ぎ去ってゆくものであり、課題を選び取り組んでいなければ今回お伝えした報告の全てを体験することはありませんでした。もちろん結果が約束されていたことなど一度もなく振り返って蓋を開けたら驚きの発見が沢山あっただけで、狙ったものはほとんど入っていません。見え方だけじゃなく考え方をも変えてしまう。筋トレとダイエットは悟りを開く最強のコンビネーションです。

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