レッド・デッド・リデンプションが描いた「リアリティ」とは。その浪漫と代償
どうも、こぶちです!
今回の記事は、主にレッド・デッド・リデンプション(以下RDR)シリーズに関する記事です。大きなネタバレはありませんので、ご安心ください。
つい先日この記事を読みまして。
私自身プレイしたのが1も2もそれぞれ発売直後なので、だいぶ前の話にはなっちゃうんですが、当時の感動や学びを色々思い出しちゃいました。そしてちゃんと情報として残してなかったので今回記事にした次第です。
今回も恒例通りゲームデザインについての話がメインですが、興味ある方はぜひお付き合いください!
レッド・デッド・リデンプションシリーズとは?
いわずとしれた、西部劇を題材としたオープンワールドアクション。シリーズっていっても基本的には2作しかないんですけどね。
(※厳密には1には追加パッケージとして、アンデッド・ナイトメア版が存在しています。が、私そっちはやってません。すみません。だって怖いんだもん…)
とにかく私はこのシリーズが大大大好きでして。とにかく圧倒的な没入感。広い荒野を駆け巡り、鬼気迫る銃撃戦をくぐりぬけ、個性的な人物と出会い、時代に翻弄される者達のドラマを目の当たりにする。まさにあのウェスタンな時代の世界観をありのままに肌で感じられる、文化的価値すらあるゲームといっても過言ではないでしょう。
余談ですが、当時あまりにRDR1にはまったせいで、アメリカ旅行で銃の射撃場に訪れた機会に、記念写真を撮ってくれたんですが…そのときのポーズがこれでしたよ。
後々見返したら全然似てませんでした。完コピだと思ってたのに銃口下がり過ぎという…拳銃って思ったより重いんだなと。あらためてガンマンって鍛えてんなーと思いましたよ。
…さて、そんな個人的な思い出はおいといて。
そんな素晴らしいゲームを形づくる、このシリーズ最大の魅力でありコンセプトを私は
「徹底追及された、西部開拓時代のリアリティ」だと思っています。
開発元はあのオープンワールドゲームの金字塔であるグランド・セプト・オートを世に送り出したRock Star Games 。
リアリティの追求自体はGTAからも受け継ぐところではありますが、なんといってもRDRはさらにそこにそこはかとなく流れる漢達の浪漫が流れている。これに尽きます。
だが…浪漫には犠牲がつきもの。光あるところに影あり。そう、それはゲームそのものにも言えること。
このゲームは徹底的にリアリティを追求した結果、ゲームデザインにもとある代償を払っていた…
果たして、その代償とは……!?
それでは、ここからいくつかのカテゴリごとにそのリアリティの側面について具体的に語っていこうと思います。
リアリティその1:移動
西部開拓時代を彷彿とさせる、圧倒的に広大なフィールドを馬に乗り、ヒーハー言いながら走り回る! もうそれだけでも十分気持ちがよいです。
ちなみなRDR1はアメリカだけでなくメキシコまで入ってますからね。一体どういうスケール感してんだよ! とツッコミたくもなりますが、その表現しようとしているものの壮大さに私はゲーマーとして、そして開発者として浪漫を感じました。(またメキシコについたときの音楽がいいんだなこれが)
しかし…その一方で広いが故の弊害もありました。それは移動の煩わしさです。
これはRDRに限らず、あらゆるオープンワールドゲームに付きまとう課題ですが、目的地と目的地の間に距離があるため、どうしてもゲームが間延びしてしまうリスクがあります。それを解決するうえで大抵のゲームにはファストトラベル(マップで指定した地点へ瞬時にワープする、という機能。大抵はマップ上のいくつかのポイントにあらかじめ定めている)があり、このゲームにもあります。
RDR1のファストトラベルポイント。たき火。個人的にはここで愛馬とゆったり時間をつぶす雰囲気が好き。
が、そこにもやはりジレンマはあります。
ずばり、
「ファストトラベルを多用すると、マップ移動を楽しむ機会が減ってしまう」
というものです。そしてRDRはそれ故にファストトラベル機能はかなり制限されていたように思います。2に至ってはファストトラベルそのものがロックされてる時期が長かったりと、ゲームを進めるうえでは多少苦痛だった記憶もありました。
それでもRDRはリアリティを優先し、移動を楽しんでもらうことを選択したのだと思います。それが私が通してプレイしたうえでの感想です。
クエスト移動を面倒に感じさせないための究極のアプローチとしては、その過程を遊びとして楽しめるか、に尽きると思います。以前の私のこちらの記事、DEATH STRANDINGについての回にその問題に対するひとつの解があるということを述べていますので、興味ある方はぜひそちらもごらんください!
そしてもちろん、RDRもただ手をこまねいていたわけではありません。
途中でサブイベントが発生するという工夫もそのひとつです。道中で突如として強盗が現れたり、盗人が馬車を奪って逃げたりというハプニングに出会します。私の中でとても印象深かった思い出がありまして、盗まれて逃げる馬車を追いかけていったら、たまたま線路を渡る瞬間に列車に跳ね飛ばされて、目の前で馬車も悪党ももろとも粉々になった瞬間を目撃したときは、「なんて神ゲー…」って思いましたよ。
また、他にもサブイベントではありませんが、「狩り」の要素も醍醐味のひとつです。移動中に出くわすウサギや鹿などの野生動物はきちんと生態系が存在し、地域によって生息している動物も異なるだけでなく、動物が動物を襲うといったこともあったり、その光景は出会うたびに状況が異なるほど緻密にできていました。
ですがやはりこれらも、スケールの大きい舞台故に、体験を直接的にコントロールしづらいものではあります。狩りすぎて動物が出なくなるとか、ターゲットを追っかけているうちに本来むかっていた目的地から大きくコースをそれてしまう、という目的を見失ってしまう現象もときどきありました。移動に遊びをもたらす、ということは何かひとつのシステムで完璧に解決できるような問題ではないのです。
リアリティその2:アクション
このゲーム、色んなところで言われていますが、プレイヤーキャラの動きが基本、もっさりしています。あまり小回りがききませんし、動き出しが結構遅いんですね。
物陰に隠れようとしたときも結構張り付きがむずかしく、銃撃中にトイレにいきたいのかお前、頭撃ち抜かれるぞっていうぐらい壁のへりでもぞもぞしちゃう動きときが多々あります。出るのか戻るのかどっちだよジャンカジャンカジャンカ…というアンガールズ的(古!)な状態がたびたび起きます。
全体としてプレイヤーは自分が行った操作に対する反応、リアクションの境目がわかりにくいのです。例えば、ボタンを押したのに、動きがないから、もう一度押してみたときにしゃがみはじめたから、また間違えてまた立ったりとかしてデーデデデーデ……ヒゲダンス的(もっと古!)な状態ですよ。
これって結構洋ゲーあるあるなんですよね。
ちょっと話がそれますが私が大好きなサッカーゲーム、ウイイレとFIFA。この操作感の差も似たような特徴の差があります。前者であるウイイレの開発はコナミ、日本で生まれたゲームです。すごく小気味よく動きますが、動きとしてはちょっと人間離れしているんですね。逆にFIFAは開発元がEAですが、まさに洋ゲーといった感じでとても実際の選手の動きに近いです。その反面やはり操作の反応を掴みづらい側面もあります。RDRはまさにFIFAの操作感に近い感じです。
RDR1の頃はまだ許せたのですが、2になるとさすがに他のゲームでもだいぶリアルかつ小気味よく動かせる3Dアクションゲームが増えてきたので、違和感が強かったです。最初にさわった瞬間、ちょっときついなーと思いました。
また操作性とは別に、このゲームはとにかく色んなアクションが多いです。例えばRDR2で狩った獣の皮をはぐとき。めちゃめちゃ凝ってるんですよね。しかも動物によってちゃんとさばく工程が変わったりとか。
しかし、そういった一見無駄な部分が逆にいい味を生んだりもするのです。「ほんっとバカだなお前…でもそういうことろが好きだぜ」っていう記憶に残る感じ。わかります!?
冒頭に紹介した謎部さんの記事もこういうことを楽しめた、というエピソードだと思うんですよね。
そういったささいな所作のひとつひとつにスポットライトを当てているゲーム、それが良くも悪くもRDRです。
しかし…「じゃあ君の短所は全部長所だよね!」と手放しで言えるほど人間できてないわけで…
以前DEATH STRANDINGの記事でも似たようなことを書いたのですが、テーマに対して忠実にゲームを描いてこそ、没入感が得られる。逆に言うとテーマを感じるところと関係ないところで無駄があったとすりゃ、やっぱそれは無駄だなとなります。
特にリアリティと関係ないところで結構わかりにくい部分は確かにあったんですよ。それがUI。
例えば、パッと思いつくだけでも下記のようなケースがありました。
・決定が×ボタン、キャンセルが〇ボタンの洋ゲー仕様(1は振り替えられていたが、2では不必要と判断したようだ)
・アイテムの種類に合わせて拾うボタンが異なる
・拾うのに長押しが長すぎ
・ゲームオーバー直後に出る「リスタート」と「リトライ」の違いがわからない
初めてこの画面をみたときにリスタートを押してしまい、長いデモを最初から見るハメに…
このあたりは適切なボタン配置だったり、キーを押す時間の調整だったり、誤解ない文言だったり…という細やかな対応で割と解消できるところなんですよね。もしかしたらローカライズによる弊害もあったのかもしれませんが、このあたりはシンプルに頑張ってほしいなと思いました。
ただここは少し視点が異なるんですが、この問題はどちらかというと悪意があったというより、作り手がユーザーの受け止め方の変化に対応しきれていないからだと私は思いました。
一番顕著なのは、F2Pゲーム、特にモバイルゲームの席巻にあると思っています。日本は特にそうですね。
無料ゲームではユーザーの継続が第一。ゲームを続けてもらうためにはいかに不快感を排除するかが勝負になります。私自身はコンソールゲームもモバイルゲームも両方開発に携わったことがあるのでわかるのですが、遊びにくさを感じた時点で、ユーザーは去ってしまう。
コンソールは最初にパッケージを買う時点で大金を払っているので、多少の遊びにくさには目をつぶる、というケースも少なからず感じます。別にRDRがおごっていたとは思いませんが、そこまで気にしていなかったんだろうなーとは思います。
多くの人に楽しんでもらうゲームをつくるには、どこに落としどころを持つべきか。何が必要な無駄で、何が無駄な無駄なのか。これらを常に自問自答し続ける必要がある、と思っています。
リアリティその3:人間ドラマ
最後に、やはりRDRの魅力を語る上で欠かせない要素がやはり人間ドラマだと思います。
ネタバレは避けますが、RDRは結末が本当に感動的。特に私はこのゲームのファンになったきっかけが、あの1の終盤の…ああこれ以上は言えない!頼むからプレイしてほしい!時間もハードもない、っていう人は最悪動画でもいいからみてほしい!
…なんというかね。ウェスタンの良さって、やっぱりあの漢達の生き様の格好良さなんですよね。そして救われなさ。浪漫と代償のストーリーがまさにそこにあるんです。これはもはやアメリカ史を生き抜いた男達の生涯を描いた、西部開拓時代の大河ドラマといっても過言ではありません。
脇役の登場人物もひとくせふたくせあるやつばかりで、まあ西部劇とくれば荒くれものやら娼婦やら悪徳商売人やらのオンパレードなんですが、ちゃんと自分のバックグラウンドを持っていて、その時代に生きた人々の空気感が伝わってくる。
RDR2に登場する退役軍人のミッキー。よく見ると左腕がない。
物乞いをしておりお金を上げると抱き着いてきたりする。相手し続けるうちに妙に仲良くなってしまう憎めないヤツ。モブにも愛着入ってますね。
そしてそんな熱いドラマをどのように進めていくかと言いますと、基本的に1も2も、クエストをこなしながらゲームを進めていきます。
わりとシンプルですね。そうですね。もうキャラクター=クエストです。元も子もない表現をすれば、マップ上でキャラクターの頭文字がついたやつのところにいって話かけると、クエストを受けれる。それをこなすと次にまたクエストが現れる。これが基本です。GTAとも同じつくりでその文法をそのまま持ってきています。
ありふれた仕組みですが、私はこの地味なつくりこそがRDRの人間ドラマの「リアリティ」を演出していると思うのです。
それはなぜか。
このゲームに存在するクエストはマップ上ですべて、キャラクターのクエストというひとくくりで表現されています。なので基本的にメインクエストもサブクエストも違いをあまり意識しなくてすむようにできています。
すると、どうなるか。
プレイヤーはどれが物語のメイン進行かあまり気にせず、とりあえず話したい人に話してみるという形でゲームを進めます。するとなんとなくエピソードが進み、いつの間にか別の地にいて、また別のやつがいて、話をきいて…とあれよあれよといううちに、物語が転がっていることに気づくのです。
これって、我々の人生で考えてみても同じですよね。あなたは、今までの数々の出会いの中で、自分の人生に大きく影響を与えるのは誰かあらかじめわかっていたでしょうか?
隣に引っ越してきたあの人が親友になるなんて。隣の席になったあの人が将来の伴侶になるなんて(みた瞬間から運命を感じてたぜという誇大妄想族は除く!)などなど。出会いってそんなものですよね。
そんな数々の出会いの連続の中から、ふと絡み合った誰かと運命が交差し始める。気づけば、それが自分の一生を左右した誰かとの出来事だったことに後から気づく。そんな感覚。それがまさにRDRなのです!
キャラクターの設定や描写だけではない、この出会いと別れの流れそのもの。これが極上のリアリティだと、私は思うのです。
さて。一方で、人生とはそこまで常に刺激的でしょうか?そうではありませんね。まあ、長い目でみたらそうかもしれません。そう、長い目で。
つまり、このいわゆる大河ドラマ的手法の欠点、その弱点は長く遊ばないと気づきにくいという点にあります。
ここもUIの話と似ていますね。モバイルの潮流がゲーム業界を席巻し、ソーシャルゲーム、F2P型のゲームが増えたことで、冒頭からユーザーをゲームに引き込むのが大事!というセオリーが急速に固まっていきました。
無料のゲームは手を出しやすい反面面白くなさそうと思ったらすぐに手放してしまいます。お金をかけていないので、見切りも早い。
すると最初の5分においしいところをまず見せられるか、っていう発想になってきますね。
すると5分10分たっても、そこまで盛り上がらない…となってくるとゲームの中に居続けてもらえない状況になります。
ちなみにRDR2はゲームの冒頭から「真夜中の吹雪シーン」でスタートします。マリオだったらワールド4からやろ!って叫びたくなるやつです。
道はみづらいわ、操作はまだおぼつかないわ、登場人物も誰が誰だかわからん…みたいな状況。さすがにこのドSっぷりはいかがなものかとファンである私ですら思いました。
これで無料ゲームだったら、離脱率はやばいでしょうね。いや、実際買った人の中にもやっぱ続かん…っていうユーザーは少なくなかったのではないでしょうか。
しかしこれもやはりリアリティの追求の結果だと私は思います。
最初に猛吹雪の中肩身を寄せ合う仲間たちを描いて、この過酷な世界と、仲間の絆をまず強調したい!という思いが作者の中にあったのではないかと。
特にRDR2をやった人ならわかりますが、これ、とにかく仲間の物語なんですよね。なのでまずこういうシーンでその結束をみせ、彼らを導くために頑張ろうというモチベーションを生ませるためにあえて最初に辛い状況を持ってくる。それはそれでとても効果的な演出だと思います。
口に入れた瞬間は何この味?と顔をしかめる料理も、噛んでいくうちに旨みが出てきて、しかも今まで味わった事のない極上のおいしさだったら、食わず嫌いのままではもったいないですよね。そういうやみつきになる味が潜んでいるゲーム、それがRDRです。
まとめ
RDRは
「徹底追及された、西部開拓時代のリアリティ」
が魅力である。その三本柱は以下の3つ。
・移動が面倒だけど、世界の息づかいを感じられる!
・アクションがもっさりしているけど、人間らしい癖がじわじわくる!
・プレイ時間がかかるけど、その果てに究極のアメリカン大河ドラマの感動がある!
さて、いかがでしたでしょうか?
今回の記事に関しては正直、読んだ後にこのゲームの魅力がより多くの人に伝わるかちょっぴり不安です。ここまで申し上げてきたように、このゲームは西部開拓時代の浪漫を「リアリティ」をもって体験させようとしているゲームです。そしてそれは単なる快楽だけでは語れない。
私はそれでもあえてこのゲームを多くの人にプレイしてもらうことを勧めます。
なぜならこんな極上の仮想体験、なかなかないじゃないですか。自分の命を脅かさずに、知らない時代の知らない場所、普通では出会えない人と巡り合える。それが1万円程度で手に入るとすれば、これほど贅沢な旅行はないと思いませんか?
遊びやすさの代償があれど、確かにそこにしか味わえない感動がある。
このゲームを作った人々もまさにカウボーイさながらにそれぞれの浪漫を込めこの作品を仕上げた…そんな気がします。私もこんな素晴らしく心に残る作品を死ぬまでに一度は作ってみたいものです。
この記事を書きながら、そんないちクリエイターとしての情熱の炎が揺らめきだった気がしました。
ではまた!
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