ママ友って何?
どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。
次男が入園し、やっと生活のマイナス2をマイナス1に戻すではなく、
PCに向かったり家中を整える作業に着手できることに喜びを覚え、
そんなことで喜べるなんてどれだけの生活だったんだろう?とゾッともするのでした。
リバウンド現象とでも言いましょうか?
底辺に落ちると少しの上昇がより色濃くくっきりと強調され、
幸福を感じられるなとよく思います。
次男を園に送っていくと、
支援センターでしゃべりやすいなと思っていたママさんをお見掛けし、
嬉しくて手を振ってしまったわけですが、完全に”キモイBBA”になっていたかもしれないと反省しているところです。
さて、みなさんにとってママ友とはどんな存在ですか?
ということでXで聞いてみました。
みんなの“ママ友”
みなさん個々に様々な“ママ友”の概念をお持ちなようで、
中には自分がママ友だと思っていた相手に「まだママ友じゃない」と言われたり、ママ友だと思っていなかったのにママ友だと言われたりして驚いた方もおられました。
ママ友は深い付き合いという意見
・子どものこと抜きでも一緒に過ごせる人
・子どもも親もフレンドリーに話せる相手
・連絡先を知っている人はいるけどそれは知り合いでママ友ではない
・一緒に出掛けたり情報交換できる関係がママ友
・お互いに友達だと感じたママ同士
ママ友は浅い付き合いという意見
・子どもの友達のママはみんなママ友
・子どもが遊びたい子と円滑に遊べるように、代理コミュニケーション取る間柄の人
・連絡先を交換したらママ友
・プライベートに立ち入らず、子どもを介してやり取りする関係性のママ
・子どもが間に居ないと気まずいのがママ友
・知り合いとママ友は紙一重
浅い付き合いだという方の中には、親同士が仲良くなった場合は“ママ友”ではなく“友人”になるという意見も多数ありました。
私がその中でそのくらいの関係性がいいなと思ったのは、
こちらのすずなさんのママ友の概念でした。
ママ友と一言で言っても、人により関係性の濃度は様々なようです。
私とママ友
見かけると「○○君のママ~!」と手をふったり、
会ったら話をする関係性のママさん、
「携帯失くしたからちょっとかけて~」と連絡先をさらっと教えてくれたママさん、
こどもが同じクラスだったり、同じ支援級在籍だったり、ご近所だったり
子どもがよく遊びに行かしていただくからすれ違えば
一言二言交わすママさんもいますが
ママ友か…と言われると、ママ友と言えるほど深い関係ではないのかな?
相手に失礼なのではないかな?と思うので
私にとってママ友は深い関係を意味する言葉なのでしょう。
保護者会の場で、参観日で、懇談会で、
仲良さそうに話したり、深い関係のママさんたちを目にして、いいなと羨んでいるから深く見えるのかもしれませんし、
長男を支援センターに連れて行っていた頃は数人のママ友がいて
一緒に遊ばせたり、お宅に伺ったり、逆に家に呼んだり、おすそ分けをしたり、飲み会をしたりしていました。
だからそういう関係がママ友なんだろうなと、きっと私の中にインプットされているのかもしれません。
県外出身でこちらに知り合いがいない分、ママ友に求める固着力のハードルが高いのかもしれません。
ですが、子どもがイレギュラーなタイプで
子どもに関する雑談をしてもあちらが「できなくて困ってる」という内容はうちの子には苦なくできるし、
うちの子にできなくて困っていることを告げるとドン引きされる…という状況です。
懇談会や雑談の中では常に浮いた存在になってしまう。
そんな状況に慣れてしまうと、
子どものことをこちらから話そうとも思わなくなり、あちらから話しかけられても開示できず、深い関係が築きにくいと感じます。
ですが改めてこうして考えてみると
私にママ友がいないのは、
理想が高く、”ママ友”という関係性に求めるものが多いのかもしれないとふと気づくのでした。
車椅子のママ友
子どもも交えて仲良くしていただいている数少ないママ友のひとりに
車椅子のママさんがいます。
彼女との出会いはSNSで、同じ学区でも同じ県内でもありませんし
子どもを介して知り合ったわけではないのですが
子ども同士も全くタイプが違うにも関わらず、お互いに興味を持ち合い、
仲良くしてくれています。
彼女は不慮の事故で頚髄を損傷し、その後に結婚と出産を経験されています。
人の背骨の中には、脳から末端まで指令を伝える重要な神経の束である脊髄が入っていますが、ここを傷つけてしまうと脳からの指令は損傷部位から下に伝わらない、もしくは伝わりにくくなりますし、
逆に末端情報も脳へと伝達されない・されにくい状況となります。
彼女の場合はその箇所が首であり、そこから先への神経伝達が困難となり
手にも足にも、もちろん体にも麻痺が現れました。
四肢麻痺の方とママ友になれば、あなたが色々してあげなくちゃいけないんじゃないの?!
と思われるかもしれませんが全くそんなことはありません。
障害によりできない部分を頼られることはもちろんあります。
お子さんが買ったジュースのキャップがお子さんの握力ではまだ開けれないから
「ふたさんこれお願いしていい?」
なんて時はもちろんありますが、
障害によりできないことを代替する方法を自ら編み出しておられたり、
親ができないことがあるからこそ、お子さんが上手に自立をしていたり、
そうやってどうしても難しいことは頼ってくれるから
私も「私じつはこれが苦手なんだよね」と気軽に話すことができるのです。
彼女の凄いところは、私が雑談の中で話したそれらをとても細かく覚えていてくれて
「これ苦手だよね。じゃ私がこうすればいいねー」
とさりげなくフォローしてくれるところです。
だから私も
「ここ芝生だから押すねー」
と言えるし、
「はい芝生おしまい。離すよ?あと自分でよろしく~」
とグリップから手を離せます。
2人でできないことは子どもたちの知恵や力を借りればいいし
時には道行く人に声を掛けることもあるかもしれませんが、
できることをできる方ができるようにやればいい関係はとても心地が良いのです。
私が彼女に一方的に手伝うだけではなく、私の苦手をナチュラルに補ってくれる彼女だからこそ
一緒にいて楽しいし、また会おうね!と思えるのかもしれません。
そして苦手の幅の大きい私たちだからこそ、
住んでいる距離が遠くなかなか会えないからこそ
一緒に過ごせる短い時間がより濃く深くなるのかもしれません。
だから、私はそうした深くて濃い関係をママ友だと思ってしまっていますが
ちょくちょく会う学校関連・習い事関連・ご近所のママさんたちとの関係が
彼女とのように深く濃い必要なんて、ないのかもしれません。
ママ友って??
ではママ友とは何か?
Wikipediaによると以下のように書かれていました。
ママ友とは人間関係の形態の一つに過ぎず、そこに共通認識を持つことが難しいようです。
ですが共通認識を持つことが難しいがゆえに、
認識の差や誤解が生じ、子どもの人間関係と親の人間関係が入り乱れて複雑化していきがちになります。
ママ友に限らず、
人はみな見えるもの、感じるもの、考え方、置かれた状況、当たり前の感覚、
その他ありとあらゆるものが異なる中で
一時、同じ空間や時間を共有しながら生きています。
その中で違いを認め、お互いの感覚を尊重し合いながら
奢ることなく、
互いにできることできないことを認め合い、補い合いながら
そこそこの快適さを共有して生きていく姿勢を忘れずに生きていけたらいいですね。
このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。
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