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うちの兄弟から見えた世界

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

今日は2歳3ヶ月の次男の話です。
話はじめは早かった割に、あまり言葉が爆発しないなーと思っていた次男も
2歳2ヶ月の終わりから、随分喋るようになりました。

えーと、うるさいです。

ところで、そんな彼も単語はわかるのに発音がまだ上手くいかぬがために
1文字で伝えようとする節があり、
「ママ、ト!」「パパ、ま、いく」
というように、ヨーグルトを要求したり、パパが車に行くよと
夫の出勤を伝えてくれます。

これを私は理解して「はいはいそうだね」「あ、ヨーグルト?さっき食べました。また明日です。」
と会話を成立させてしまいます。

それが彼にできる最善で最大限の表現なので
それで伝わるのであればそれで良いのです。

ですがその言い方を可愛く思い、家族も
「次男くん、まが居たね」「ほら、カンカンカンだね」「トがあるけど食べますか?」
という具合に、
次男ならではの最大限の言語を無意識的に真似てしまいます。

そうすると、次男は強調された言葉に追随し
「ま」で通じるからこれは「ま」で良いと認識し学習していきます。

ですが彼は成長し、何れ「車」という単語か発音できるだけの
口の発達を迎えるでしょう。

しかしその時、いやその時を待たずして
「ま」では通じないという世界線にぶつかる日が来るでしょう。

その時、彼は衝撃を受けるかもしれません。
通じるはずの言葉が通じないことに。

ならば家族ははじめから、彼に何度でも「車」を強要すればいいか…
いや、彼の今できる最善で最大の言語が
通じるという共感や安心感を育ててやりたいと私は思います。

ところでこの、反復により強められ定着し、
可逆していく現象は般化なのでしょうか?

名前…あるのかな?

可逆していくというのは、この彼特有の話し方や仕草に
愛くるしさと合理性とを見出した長男が
それを真似るということです。

2歳の次男にとっては現時点で「ま」「ト」が最善で最大限の自分にできる方法。それを駆使してできる方法でコミュニケーションを成立させることが可能になっています。

9歳の長男にとって、その方法は最善で最大限でしょうか?
持ちうる全ての力を使ってコミュニケーションを取ろうと言うよりは、
可愛いし最小限の力で要求を通せる合理的方法を見つけたというところでは無いでしょうか?

この2人の、
持ちうる最大限の力の差と、それが反復により強調されることで
可逆していくという現象は
実はこの兄弟に限ったことではありません。

周りを見渡してみて、ああ、同じだなと思ったのは
多目的トイレやエレベーター、思いやり駐車場の話でした。

そこは言及すると燃えそうなので、
みなさまのご想像にお任せしますが、
嘘かホントかよくわからないままの父の話を載せておきます。

父「お前知らんやろけどな、AT車は元々障害者用に作られたんや。
出た頃はみんな、障害者の車や言うてみんなバカにしよってな。
せやのに、それが便利やいうて気づいた途端にコロッと変わって。
今はもうみんなATやろ。MTの免許はとる人がすくのうなった。
おかしい思わんか?わろとったんは誰なんやろなと儂は思うけどな。」

ふた「いいんちゃう?それで普及したことで救われた層もおるんやし、
一般的になったことで開発も進んで、元々必要としてた層の選択肢も増えるんやから。
そうやって人間はより合理的な方に転がって行く生き物で、当たり前は変わっていくんよ。
そうやって文明は発展してきて、そうやって人は便利を獲得して行くんよ。」

その流れの中で、私も父も全ての人も
利便性を享受して生きている。

それが最大限の方法だからそうするしかない人がいて
それは最大限の方法ではないのに、その利便性に目をつけて
獲得していく人がいる。

それは全く自然の流れでしかないのだと、2歳と9歳を見ながら思うのでした。

ひとは波でしかありません。
海面でぶつかり合う波でしかない。
時に混ざり合い、渦をなす波でしかない。

その中で、息子たちも
誰に習うでもなくそのように
“生きて”いるなと思ったのでした。


このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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