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Walls & Bridges 壁は橋になる:1 /東京都美術館

 5人の作家を紹介する、オムニバス的な展覧会である。

 企画の存在を知ってから会場に入るまでアール・ブリュットの展示だと思いこんでいたが、蓋を開けてみると、当たらずとも遠からず。まがりなりにも専門的な美術教育を受けた人物や、アカデミックな評価を得た作家も含まれている。

東勝吉(1908-2007) 83歳から水彩画を描きはじめた
増山たづ子(1917-2006) ダムに沈もうとしている故郷の村を撮影しつづけた
シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934-2000) 彫刻家の妻として夫を献身的に支え、ひそかに制作
ズビニェク・セカル(1923-1998) 強制収容を経験。立体造形家
ジョナス・メカス(1922-2019) 元難民。「日記映画」を制作

 展覧会名にあるように、この5人の共通点は「壁」を「橋」にしたことという。
 逆にいうと、それ以外に共通点は「ない」。時代、分野、経歴はばらばらで、国籍も日本にかぎらない。
 「壁」はその人の前に立ちはだかり、あるいは取り巻いたものを象徴している。高い障壁を乗り越えた先にある、その過程を経ることでしか獲得しえなかった表現と個性をもった5人の作品が、ここに集められた。
 ところが、展示を観ている最中もそのあとにも、完全に腑に落ちることはなかった。コンセプトを読みなおしてみても、いまいちピンとこない。なぜこの5人なのか……
 それでも、ずしんとくる感触には偽りがないように思われた。名すらはじめて知る5人のつくり手の五者五様の生涯と作品が、重くのしかかって離れないような気がしていたのだ。
 そんな感覚的な一点のみを突破口として導き出した予測は、こうだ。

 ――企画者は、5人それぞれの活動に以前より注目し、いつかは展覧会にしたいと思っていた。ところが、それぞれを単独で扱う内容ではおそらく興行面で弱く、企画が通りづらかった。だから、このようなオムニバス形式の構成としたのではないか……

 誠に失礼な想像ではある。「抱き合わせ」という言葉も浮かんでしまう。邪推というほかないだろう。
 しかし、わたしとしては、かえってこういったところに、企画者としての並々ならぬ執念を感じたのである。
 まだ広く認知されているとはいえないが、どうにかして多くの人にその存在を知り、作品に触れて、感じてもらいたい。そんなふうに強く思って、この企画が編まれたのではないか。

 つくり手や作品に関して前提となる知識を得ても、純粋な鑑賞を妨げず、むしろ増幅させる。いっぽうで、作品じたいを単独で観ても、そこから揺るぎない力を確かに感じることができる――そういった高次の双方向性をもつと思われた出品作家から、ひとりのつくり手について書いてみたい。(つづく


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