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Walls & Bridges 壁は橋になる:2 /東京都美術館

承前

 東勝吉(ひがしかつきち)さんの絵は水彩画だが、ぼかし、にじみといった「水っぽさ」はない。色調は明瞭で、画然としている。切り絵や貼り絵のようだ。

 構図に安定感がある。色の感覚がすぐれているのだろう、隣あう色が調和している。遠まきに捉えやすく、けれど近づいて観てみたくもなる絵だ。
 至近距離で、ようやく水彩だなとわかる。同時に、描かれているものが見馴れた形状とはちょっと違うのに、それらが山や木々、川の流れだとしっかり認識できていることに気づく。個々のモチーフが勝吉さんなりのフォルムに変換されながら、命脈を保っているのだ。
 もの静かな絵だが、興味は尽きない。

 勝吉さんは元・木こり。83歳まで、まともに絵を描いたことがなかった。そこからはじめて99歳で永眠するまで、老人ホームで100点ほどの作品を残した。
 描いたのは、一貫して地元・由布院の風景。しかし、足が不自由であったため外出はできず、新聞や雑誌に掲載された写真をもとに制作していたのだという。勝吉さんの絵からは音がしない。そんな気がしていたのも、事情を聞けば合点がいくというものだ。

 ――もっと外に出て描きたかったろう。
 そのように思いをいたすとき、安楽椅子やステイホームといった暢気がふさわしくない切実さを作品から看取できてしかるべきなのだろうが、そういった淀みはみられない。

 勝吉さんにとっての「壁」は足の不自由さであり、日に日に衰える体力だったのかもしれないが、ご本人がそれをどれほど「壁」と思っていたか。ほんとうのところは不明だ。

 それよりも、無心に絵に打ち込む。「壁」を壊してやろう、「壁」を超えてなにかを得てやろうというのではなく、ただただ、目の前の絵に向かう。そんな姿が浮かんでくる。
 芸術家よりも職人に近く、求道者の気配すら感じるつくり手だったのではと思う。自己表現につきまとう主張のとげとげしさとは無縁の作品が、なによりもそのことをよく物語っているのだ。柳宗悦のいう「たくまざる美」にも似たありようが、そこには認められる。

 とらわれず、たくまず、感受したままに描く。
 たやすくはないどころか、とてもできないことだ。
 また、そうしてできたものがすべからく美しいかというと、そうともかぎらない。朴訥然とした勝吉さんの絵は、じつは、ものすごくむずかしい位置に立っている。

 年々、こういった「たくまざる美」に魅せられるようになってきた。歳のせいだろうか。


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