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浮世絵でわかる!忠臣蔵展:3 /那珂川町馬頭広重美術館

承前

 馬頭へ向かう前に、稲垣浩監督の映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(東宝 1962年)を観た。3時間27分の大作である。
 大石内蔵助を演じるのは、八代目松本幸四郎。その妻・りく役の原節子さんが、銀幕に登場した最後の作品でもある。

 講談などで流布された忠臣蔵像にもとづいていて、浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に比べると、より史実に近い。『仮名手本忠臣蔵』は時代設定からして異なっており、創作の部分が非常に多いのである。
 この予習は、大いに役立つこととなった。

 展覧会の後半では、登場人物を単独で取り上げたシリーズものを展示。
 まずは、歌川国芳《誠忠義士伝》。
 『仮名手本忠臣蔵』に登場する四十七士と浅野内匠頭、吉良上野介をモデルにした人物など51人・51図からなる。
 四十七士各人のポーズは同じものがなく、持ち物や身につけるものは描き分けられ、いかなる人物か、討ち入り時にどんな活躍をしたかが視覚的にわかるようになっている。仏像でいう印相や持物(じもつ)、西洋美術でいうアトリビュート(attribute)のようなものが、どうやら赤穂浪士にもあるらしい。
 たとえば、この笛を吹いている人物。

 忠臣蔵に通じていれば、この人物が吉良を発見し、呼子笛で皆に知らせた「間十次郎(はざまじゅうじろう、役名は矢間重次郎〈やざまじゅうじろう〉)」であると、すぐに理解できるというわけだ。映画でも、力強く笛を吹く間十次郎の姿はたしかに描かれていた。
 《誠忠義士伝》を観ていくと、映画の討ち入りシーンで見覚えのある描写が、間十次郎の他にも多々見受けられた。大きな木槌を持つ者、鴨居に蝋燭を設置していく者、柄杓の水で火鉢を消していく者……映画のさりげない場面、登場人物の所作のひとつひとつに、典拠があったようなのである。
 そして多くの視聴者は、それをわかったうえで観ている。「ああ、これね!」「おお、そうきたか!」……とつぶやきながら、画面に観入ったことだろう。
 わたしは今回、その輪に加わりきることはできなかったが、そういった見方ができると、また一段と楽しみが増すに違いない。

 ※《誠忠義士伝》は、下記リンク先で全点が閲覧可能。

 もうひとつのシリーズものは、尾形月耕《義士四十七図》。
 時代は下って明治35年(1902)の作。義士は『仮名手本忠臣蔵』の役名ではなく、実名である。
 四十七士をひとりずつ取り上げる点では国芳《誠忠義士伝》と同様だが、討ち入りだけでなく、それ以前の外伝的なエピソードが多いのが特徴となっている。
 名うての俳人でもあった大高源吾の図は、橋の上で宝井其角と出会う場面の絵画化。この逸話は広く流布され、『松浦の太鼓』という歌舞伎にもなっている。

 映画に登場した場面もあった。
 岡野金右衛門が大工の娘と恋仲になり、吉良邸の絵図面の入手に成功するくだりである。ほとんど映画そのままで、思わず「あ!」と変な声が出てしまった。

 義士の各人による外伝、サイドストーリーも豊富。忠臣蔵の世界はかくも広く、奥深いのだ。

 ※《義士四十七図》も、下記リンク先で全点が閲覧可能。


 ——展示としては、以上であった。
 看板どおりに「忠臣蔵入門」としての役割を果たすと同時に、忠臣蔵という物語がどれだけ支持されてきたか、その熱量を伝えるに十分な内容であった。
 今後、どこかの展示で忠臣蔵に材を取った絵に出くわしても、もう大丈夫……というほどではまだないにせよ、これまでためらいがちであった一大コンテンツへの扉を開け、内側へと誘ってくれた、丁寧でよい展示であった。

 ※館内では「吉良を探せ!」という企画が開催。浮世絵のパネルから切り抜かれた吉良が、どこかに隠されていたらしい。わたしは、ついに吉良を見つけられなかった。いったいどこに隠れていたのだろうか……美術館には、炭小屋はないのだし……

 ※那珂川町馬頭広重美術館といえば、隈研吾さんの建築が非常に有名。いまや国内外のあちこちに隈さんの美術館はあるが、その名を一躍知らしめたのはここだった。



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