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もしも水彩描けたなら 五百城文哉作品展 /青梅市立美術館

 水彩画が自在に描けたなら、どんなにか楽しいだろう。
 水彩の心得さえあれば、これはという景色を前におもむろにスケッチブックを取り出し、たちどころに印象を描きとめることができる。油彩よりも身軽で気軽。写真よりも主観がこもる。旅先で過ごす時間に似合いの画材は、水彩をおいて他にない。

 明治の終わりごろ、日本に水彩画のブームが起こった。ベストセラー『水彩画之栞』を片手に、職業画家ではない一般の人々がこぞって水彩画に挑戦した時代があったのだ。山の風景が好んで描かれたのは、登山の隆盛、レジャーの勃興と軌を一にする。水彩画は、アクティブに野を駆けるアウトドア派の人々に歓迎された絵画だった。
 水彩画ブームの立役者・大下藤次郎や三宅克己よりもひとつ上の世代で水彩画をよくしたのが、五百城文哉(いおきぶんさい)。今日では顧みられる機会の多くない作家だが、青梅の美術館でまとまった展示があると聞き及び、馳せ参じた。
 文哉の代表作にして展示の目玉が《高山植物写生図》全100点。精緻な描写は植物学の該博な知識と、高山植物を自宅の庭で丹精し、日々観察を重ねた成果を表しているが、この連作のなによりの魅力は、本草学の図譜・博物画に連なるような正確性とともに、絵画としての鑑賞性が等しく具備されている点だ。描写はきわめて写実的で、駆使された技巧はゆるぎない。生態をよく捉え、記録的な価値もある。しかし、そのどれにも寄りすぎていない。
 それらの骨格をなすのは、天性の構図力・構成力だと思う。モチーフの主従をはっきりとさせながら、主となる草花だけが図鑑の絵のように浮いた存在に見えぬよう、添え物の植物や岩、霧の配置が計算されている。じっさいは野生ではなく庭で育てたものをスケッチすることが多かったようだが、そんなことは想像もつかぬほど、自然のなかに生きる植物「らしさ」をいきいきと描く術に長けていて、遠目でぱっと見ただけで引きこまれてしまうものがある。 
 文哉は栃木県の日光に長く居を構え、日光東照宮などの名所絵も手がけた。こういった作例は外国人向けのお土産として販売され、サインも英文になっており、じっさい近年になって海外から日本へ里帰りした作品が多いのだが、あの複雑な日光東照宮の社殿を細部までいっさいの破綻なく描きこんでおきながら、その高い技量と苦心の跡を誇るような「どうだすごいだろう」といった威勢を感じさせない。《高山植物写生図》もそうだが、文哉の描きぶりは、じつに淡々としているのだ。

 いわゆる展覧会芸術とは趣の異なるこういった絵には、肩肘を張らずに親しみ、すっと入りこんでいけるようなよさがある。ましてそれが水彩画ならば、練習しだいでは自分でも……などと、あらぬ欲を張ってしまう。それもまた楽しい。


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