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電線絵画:2 /練馬区立美術館

承前

 碍子と現代美術の数点を除いて、出品作品はすべて絵画である。絵画は写真とは違い、目障りなもの・意図と異なるものがあればいともたやすく画面から消去・描き加えができる。絵空事たるゆえんである。
 それでもあえて電線/電柱を描きこむのは、構図など表現上のなんらかの効果が期待されていたり、具体的な意味・意図が込められていたりといったことが考えられる。
 おもしろいのは、川瀬巴水と吉田博の二つの作品。大正新版画の双璧、風景画をよくした二人には、ほとんど同じ場所を描いた作品がある。ともに隅田川越しに浜町を望む構図であるが、巴水は電線/電柱を描きこみ、博はこれを意図的に消している。
 そういえば、巴水の描く風景の片隅にはたいてい人影が見えるのに、博にはそれがない。博が主に取り組んだモチーフは、グランドキャニオンのような雄大な大自然であり、人の気配はない。電線/電柱の有無に、こういった二者の作家性・スタンスの違いがよく表れていて、たいへん興味深かった。

 もう一点、気になったのは、画家自身が電線/電柱について述べた言葉の引用が少なかったこと。画家自身が書き残し、語った言葉は基礎的な資料として作品解説で引用される機会が多い。出品作家でいうと劉生や木村荘八はとりわけたくさんの文章を残したが、本展で詳しく紹介されていたのは荘八のみだった。
 現代のわれわれと同じく、彼らにとっても、電線/電柱はすでに特別ではなく、特段気にもかけない存在だったのだろう。本展の作品解説では、絵そのものと描かれた当時の状況から、電線/電柱が画面にもたらす効果や意味・意図を読み解く姿勢が徹底されており、非常にスリリングであった。

 これまでに好企画をコンスタントに催してきた練馬区立美術館。今回の展示で取り上げられている作家には、過去に練馬区美が単独で回顧展を開いたことのある人物も多く、積み上げられた館の歴史と力量をよく示す展覧会だとも感じた。

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