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美しき備え /永青文庫美術館

 永青文庫美術館「美しき備え」展は、細川家伝来の文化財から「武具・戦着(いくさぎ)」に焦点を絞って紹介する展示である……などと書くとすんなり読み流してしまいそうだが、この展示のポイントは「武器」ではなく「武具」であることか。
 刀や槍など、それ自体が殺傷性をもつ「武器」の類は、肥後象嵌の施された火縄銃1挺 を除いてなかった。身にまとうことで装着した者の身を守り、また飾り立てるためのアイテム、質実剛健だけではない美しさをもった武の具(そな)え=備えこそが今回の主役だ。
 もちろん、日本刀の出品もゼロ(刀装具は出ていた)。刀剣をメインに据えて、その他の武具も一緒に……といった傾向とは一線を画す形となっている。
 刀剣ブームのこのご時世にあって、あえてそれにあやからない道を選んだ思いきりのよさと、「武具」だけでも展示を成り立たせることが可能な細川家のお蔵の深さを感じさせる、エッジの利いたテーマ設定といえよう。

 展示の冒頭には、細川家の始祖・細川頼有所用の《白糸褄取威鎧》(重文・南北朝時代)が。満身創痍の姿からは、鬼気迫るものを感じた。部外者のわたしですらそうなのだから、その血を引く代々の当主はさらなる畏怖を覚えて背筋が伸びたであろうし、聖性すら感じてやまなかったのではないか。家宝とは、こういったもののことをいうのだろう。
 続いて展示されていた《柏木菟(みみずく)螺鈿鞍》(国宝・鎌倉時代)には、文様の線を描くために螺鈿が用いられている。仏像や仏画に施される截金(きりかね)のような、繊細な螺鈿の使い方だ。柏の葉にミミズクの意匠は軍記物の記述に由来するとのことだが、その前提にはどんな意味・寓意がこめられているのだろうか。気になるところだ。

 細川斉樹(なりたつ)所用の《鳥毛陣羽織》に関しては、近年おこなわれた調査・研究によりさまざまなことが判明した。ポスターやリーフレットにも大きくあしらわれており、今回の最大の目玉となっている。
 表面には鳥の羽根が規則正しくびっしりと、一糸も乱れずに丁寧に差し込まれ、縫いつけられている。キャプションにあったようにまさしく「超絶技巧の陣羽織」で、観るほどにため息が出た。
 画像や印刷物では潰れ気味になっている黒い羽毛の箇所は、肉眼では角度を変えるごとに青みを帯びた光沢の変化をみせ、複雑な表情を呈していた。いわゆる「カラスの濡れ羽色」に近い。もっとも、じっさいにはカラスではなく雄のキジの羽根で、白い部分の羽根はサギだという。
 この陣羽織は、今回の調査によって制作年代が一気に上がった。
 もとは所用者・斉樹公と同時代、江戸時代後期(19世紀)頃の制作とされていたところ、実用性重視の工夫などから判断し、桃山~江戸時代(16世紀末~17世紀前半)の制作と考えられるようになったのだ。
 制作年代と、所用された年代が異なる――それはすなわち、江戸後期の時点ですでにヴィンテージ、アンティークの域に達していたものを、斉樹公が好んで選び取ったということだ。
 古物に対する関心が高まり、松平定信が『集古十種』を編纂させ、現在に至る文化財保護の先駆けとなったこの時代。斉樹公は、蔵にあった古い甲冑を目録化した《御甲冑等之図》を作成させるなど父祖の顕彰に尽力したというから、こういった時代の趨勢に符合するともいえそうだ。
 今回、陣羽織の実物を観て感じたのは、これほどのものがお蔵から出てきたら、まず「仕舞っておくのはもったいないな」と思ってしまうのではないかということ。それが琴線に触れるようなもの、平たくいえば本人にとってカッコいいものであれば、なおさらだろう。「先祖の誰それの所用という伝もないことであるし、自分が着てしまおうか」――斉樹公がそんなふうに考えたとしても、その気持ちはなんだかわかるような気がするのである。

 ほかにも、関心をもったものをいくつか。
 細川三斎がみずからの戦場での経験をもとに編み出し、その後も肥後で受け継がれた甲冑のスタイル「三斎流」の機能性には驚かされるいっぽう、鉢巻きの意匠の変わり兜《紫糸素懸威鉢巻形兜》のゆるさにもまた、驚かされた。 
 ハチマキというにはあまりに間の抜けた、お行儀のよい結びぶりなのである。仁清の結び文の香合でも、もっときっちり結ばれている。思わず「気合い入れろ!」と突っ込みたくなった。ゆるゆる変わり兜。
 甲冑のインナーである「鎧下着」の隠れた意匠性にも粋を感じたし、極密の刀装具も見ごたえ十分であった。油滴天目の斑が肥後拵の小紋に見えてきたところで、本日の観覧はお開き。

 他館も含めてふだんはなかなかお目にかかれないものが多く、そういった意味でも楽しい展示であった。




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