今こそGUTAI 県美の具体コレクション:1 /兵庫県立美術館
いまを去ることちょうど1年前。
諸事取り紛れて疲労困憊の脳みそに降って湧いたナイスなアイデアが「神戸に行って『具体』を観よう」だった。
兵庫県立美術館「今こそGUTAI 県美の具体コレクション」の会期は、まる2か月。いつ行ってもよかったけれど、このときばかりは「いましかない」との確信があり、開会の翌週に訪れたのだった。今こそ、具体。
1954年に結成された前衛美術集団「具体美術協会」(以下「具体」)は、今日、国際的に高い評価を受けている。どちらかというと、国内以上に海外で知られている存在だろう。
拠点が芦屋であった関係で、兵庫県美では具体の作品収集に早くから力を入れており、寄贈品も加わって具体の最大のコレクションが形成された。そのため、所蔵品展とはいえ、具体の全体像を示すに足る規模と質になっていた。
わたしは、白髪一雄がとくにすきである。
昨年1月には、白髪の回顧展が東京オペラシティのアートギャラリーで開催された。日が暮れるまで、巨大な画面に縦横無尽に走る絵の具の跡を追ったものだ。
それからしばらくは、具体のまとまった展示を観ることができないでいた。
流行り病がどうこう以前に、具体の所蔵館は作家のいた関西が主体で、こちらの美術館で目にすることじたいが元来少ないのだ。
具体成分の欠乏耐えがたく、また日頃のつかれの特効薬、気力のカンフル剤たることを期待して、クリスマスを控えた港町・神戸に馳せ参じた。
このときの展示ほど、「没入」という言葉の似合う鑑賞体験もなかったように思う。
薬のたとえついでにいえば、白髪のものをはじめ会場で多くみられたアクションペインティングの大作は、外見そのままの「劇薬」と呼んでいい激烈さをたしかに、はらんではいる。
いっぽうで、その激烈さでもって相手を威圧・恫喝するのではなく、水を打ったように静かな佇まいをも併せ持っているのだ。
激しい動きの結果によってできたのがこのような絵だが、その動きも時間も画面の上で凍結保存されて久しく、跡となって今に残るのみ。これ以上は動いたり、膨らんだりしない。「動」によって「静」が際立っている、とでもいえようか。
そういったものだからこそ、キャンバスにぶちまけられた画家の動きの跡を、好奇心の赴くまま、安心して、いつまでも見つめつづけていたくなったのではないか。そうして立ち尽くして観入っているうちに、時間は過ぎていった。
劇薬の正体は、その実、じわじわと穏やかに効いてくる漢方薬のようなものだった。(つづく)