版画の青春 小野忠重と版画運動:3 /町田市立国際版画美術館
(承前)
「新版画集団」および「造型版画協会」の作家たちに関して、次のように書いた。
今回は、予告どおりに数名の版画家をご紹介してみたい。
いずれも、ウェブで検索を試みたところで、略歴すら見つけられない作家たちである。
まずは、武藤六郎という人物。
《東京駅》(1932年 町田市立国際版画美術館)は、東京駅の赤煉瓦駅舎と街並みの遠望を画面下に配し、中央をがらんと空ける特異な構図が目を引く。この余白に、情趣を感じさせる絵だ。
上端には、薄くグラデーションが入っている。浮世絵にみられる「一文字ぼかし」を意識したものであろう。同年の『新版画』4号に収録された類似する小品《都市礼讃(東京駅)》(小野忠重版画館)では、藍色のぼかしとなっていた。
同じく六郎《夜の日本橋》(1931年 町田市立国際版画美術館=下の写真左)は、近景のモチーフを大きく強調し、遠景を淡くぼんやりと描く点に、浮世絵的な構図感覚が認められる。あるいは、川瀬巴水や井上安治あたりが直接の影響源かもしれない。
先行する作の面影を濃く残すだけに、スッと入ってくる表現といえそうだ。
《日暮里遠望》(1932年 個人蔵)も、おもしろい。4枚続の大作である。
描かれるのは日暮里駅の北改札、谷中の玄関口。現在も、同じ場所に駅舎が立つ。奥でもくもくと煙をあげるのは、工場だろうか。その手前が、日暮里の繊維街であろう。
上野のお山から連なる台地がちょうど駅舎のあたりで終わり、崖の下は一気に平坦になる。この落差、高低差がつくる景観的な魅力、ひらけた感じが、本作にはよく表されている。
駅舎入り口の看板には「初詣臨時列車」とあり、雪がちらほら残る。冬の空気を思い出す作品。
六郎は、のちに小笠原諸島へ渡航。当地の気候に影響されてか、温和で明るい画風に変貌を遂げる。
江戸調から、南国調へ。タヒチへ渡ったゴーギャンをも彷彿とさせる、異色の版画家である。
蓬田兵衛門(よもぎだ・へいえもん)の本業は医師とのことで、こちらも異色といえば異色の経歴。《綾瀬川風景》(1932年頃 小野忠重版画館)のような、ミニマルな風景画が会場には並んでいた。
《荒川風景》(小野忠重版画館=下の画像は和歌山県立近代美術館蔵)には、かの「おばけ煙突」が描かれている。4本の見え方で、おおよその場所がわかりそうだ。
こういった兵衛門の作品から即座に思い出されるのは、幕末期に量産された「泥絵(どろえ)」だ。
主に江戸やその周辺の名所を、安価な画材、簡素な筆致で描いた泥絵は、浮世絵版画ほど手が込んでいないぶん気軽に購入でき、庶民の江戸みやげとして好まれた。
色面が広く、色みは強く、描き込みが少なく、空が広い風景画……といった点は、兵衛門の作品と大いに共通する。
そういえば、新版画集団のボス・小野忠重には、泥絵に関する先駆的な著作があるのだった。兵衛門はきっと、小野から江戸の泥絵を見せてもらっていたのだろう。
——新版画集団や造型版画協会の展覧では、会員たちの新作とともに、江戸や明治の浮世絵を展示する特別陳列が幾度か催された。本展では、その一部を再現。歌川広重や小林清親、司馬江漢、亜欧堂田善らの作品も、わずかではあるが観ることができた。
武藤六郎や蓬田兵衛門の作品には、そういった活動の賜物ともいえそうな温故知新ぶりが看取されたのであった。(つづく)
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