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寺田小太郎 いのちの記録 /多摩美術大学美術館

 多摩美術大学美術館「コレクターズ/Collectors」は、ひとりのコレクター=美術品を集めた「人」にスポットを当てるシリーズ企画。昨年末に開催された第1弾は「須藤一郎と世界一小さい美術館ものがたり」だった。
 今回の第2弾で取り上げるのは寺田小太郎という人物。東京オペラシティ アートギャラリーの所蔵品「寺田コレクション」の寺田さんで、なにを隠そう、東京オペラシティの地主だった方だ。
 寺田コレクションの代名詞は難波田龍起・史男で、質・量ともに最大。そのほか戦後から現代まで、抽象画を中心に4000点が所蔵され、東京オペラシティ アートギャラリー4階の常設展示で随時公開されている。

 寺田さんが現代美術のコレクションに開眼したきっかけもまた、難波田龍起にあった。それだけに、入ってすぐの最も広い第1室全体が難波田父子に割かれていた。
 なかでも龍起は、生涯にわたる画業の変遷を示す各時期の代表的作例を網羅。
 若描きの自画像にはじまり、戦中の世相を反映したかのような暗い画面の作、戦後は一転して色彩豊かなコンポジション、そしてポロックあたりの抽象表現主義を感じさせる激しいタッチのもの、さらにはより穏やかで詩心をたたえた抽象画へと至る。
 画家の名を聞いて思い浮かべるのはこの「激しいタッチ」「詩心をたたえた」あたりの作例で、出品点数としても手厚かった。わたしはその飛び散った絵の具の一粒、筆のひとはけまで凝視してやまないのであった。
 今回の展示のポスターにも採用されている最晩年の大作《生の記録》では、単色の画面におおらかな波が打ちよせている。幅4メートル弱というサイズ感もあいまって、凪いだ大海原にいだかれるような鑑賞感。
 時代の荒波に翻弄された作家が老いの果てにたどりついた無音・寂寞の境地が、そこにはあった。

 難波田龍起からはじまった寺田さんの蒐集は他作家にも広がり、「東洋的抽象」を宿したお隣・韓国の抽象絵画まで拡散していった。2室、3室にはこういった作品を展示。白髪一雄にも李禹煥にも、後期の難波田龍起に通ずる「詩心」が底流に流れているのをたしかに感じたのだった。

 2階の3室では「ブラック & ホワイト」と題してモノクロームの作品を、4室では「わが山河 故郷への旅路」と題して日本の風景を描いた日本画を展示。アトリウムには、寺田さんの遺稿や遺品も。これらの品々からは、寺田さんが根っこのところに禅の心、東洋人としての自我を携えていた人だったことが偲ばれた。
 というのも、寺田さんの本職は造園家。学究肌で、園芸高校で教鞭をとり、専門誌への寄稿もしていた。
 思えば、日本の庭園というものは、「この岩は山」「あの砂利は海」といったように、現実の山水・景物になぞらえたものとしばしば説明されるのだが、そうも単純な話でもなく、もっと形而上的なステージで捉えられるべきものらしい。
 それはたぶん、抽象画を観て、具象的ななにかに似ていると安直にカテゴライズしてしまう野暮ったさにも似ている。
 寺田さんとコレクションと、庭。
 展覧会の結末としてはちょっと意外な取り合わせながらも、わたしのなかでは得心のいくものであった。


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