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デイヴィッド・ホックニー展:1 /東京都現代美術館

 現代を代表する具象画家、デイヴィッド・ホックニー(イギリス、1937~)の大回顧展である。
 ふだん、日本美術を中心に観て・書いているわたしとしては、甚だ異色のジャンルではある。2,300円という観覧料にも正直のところ尻込みはしたが、ぐるっとパスのアシスト(460円引き)もあって、家族連れでごった返す日曜日の木場公園を通り抜け、現美までやってきた。

 展示をひとしきり拝見して最も印象に残ったのは、「視覚の探求者」としてのホックニーの姿と、そのユニークで柔軟な手法であった。
  「見る」ということは、単に「視覚で対象を捉える」という行為のみならず、なんらかの体験をともなうものだ。
 たとえば、大きな滝を見に行けば、「水が流れ落ちるのを見る」という行為がおこなわれるだけでなく、そこに至る道のり、要した時間、周辺の環境、居合わせた人、また天気や温度、においといったものも、滝本体と分かちがたく溶着して記憶にとどめられる。そういった体験的な部分を含めて絵画化しえたものを、「写実」というのだろう。
 ホックニーは、自分が見て、体験することによって得た大きなものを、そのまま絵に落とし込むことがどうにかしてできないだろうかと、常に考えつづけてきた人なのではと思った。

 日本や中国の芸術にも深い関心を寄せるホックニー。京都・龍安寺の石庭を訪ねて、考えた——この庭を正面から描いたり撮ったりすると、台形になってしまう(下図)。でも、見る人は誰も、この空間を台形とは認識していない。四角形とわかっているのだ。どうしたことか……

 つまり「遠近法」から脱して、自分が得た肉眼での視覚体験により近いかたちで、この風景を絵として捉えることはできないか、思考/試行したのである。しかも、立体や映像ではなく、平面で。
 その成果が、こちらのフォト・コラージュ作品。

 ホックニーは、左から右へ少しずつ歩みを進めながら、見えてくるものを逐一カメラに収め、構成しなおしたのだ。グラフの横軸のように、靴下を履いたホックニーの足が下に連ねられている。
 画家の目に映った龍安寺の石庭とは、このようなものだった。

 大作《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007年)もまた、「見たまま」「感じたまま」を平面で描ききるにはどうすればよいか……といった点が追求された作品。
 どれだけ大きいか、下の写真に佇む人物から、よくおわかりいただけるかと思う。横12.25×縦4.59メートルもある。

 本作は、もとは1枚のキャンバスから始まった。
 けれども、それでは足りない。目の前に広がる自然を表すには、とても及ばない。この木々のダイナミズムを、その枝をすり抜けていく微風を、広がる空を描ききることなんて、できない。
 まだだ、まだ……と繰り返していくうちに、50枚ものキャンバスを費やした。
 作品名のとおり、戸外で制作された作品である。そのもようは、先日のNHK「日曜美術館」でも放映されていた。
 大自然という最大のお手本を前にして、がっぷり四つで組み合った結果、単に大きいというだけでなく、展示空間をジャックしてしまうような絵が生み出された。その絵のなかに分け入っていくことが、無理なくスッとできる……そんな錯覚をいだかせる絵だ。(つづく


とても広い、木場公園



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