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切紙 ~東北地方の正月飾りを中心に~:2 /紙の博物館

承前

 東北地方の伝承切り紙は、他の地域では類を見ないほど精巧なものだ。
 また、神職がみずからハサミを入れて作成し、地域の人びとに頒布するといった点も大きな特徴。氏子たちは新たに授与された切り紙を飾りつけて、新年を迎える。

吉祥のモチーフがふんだんに(宮城県南三陸町)
上の全図。壁に投影される影もまた見どころ

 ――白い装束をまとった神主さんが、さくさくさくと紙を切り抜いていく。紙を広げると、たちまち複雑な文様が現れる……

 さながら手品である。
 イリュージョンを見馴れたわれわれからしてもそうなのだから、当地の人びとにとって、この生成過程を目の当たりにすることがどれほど神秘性を帯びた体験だったか、察するに余りある。
 切り紙が生み出される光景からは、陰陽師・安倍晴明が紙を使って式神を操る姿すら想起されよう。
 時節柄、晴明(SEIMEI)の姿はそのまま羽生結弦くんに重なるものだが、彼は宮城の産。あの白魚のような指で器用にハサミを操る羽生くんを思い浮かべながら、わたしは切り紙を観たのであった(まったく勝手なものである)。

 この伝承切り紙、近年はハサミを用いず、「スタンパー」と呼ばれる道具でガッチャンコと量産してしまうところもあるそうだ。手で切ったものとスタンパーで型抜きしたものが並べられていたが、後者はどうも味気なく、なんというかオーラに欠ける。
 それでも、すたれずに続けてくれているだけよいほうで、神職の継承者が途絶えてしまい、切り紙の技術どころか風習じたいが失われてしまうといったことも、年々増えているのだとか。氏子の高齢化、集落の過疎化に、震災が追い打ちをかけている。早急な保護と記録作成が必要である。

神棚に飾るもの(宮城県南三陸町)
飾りつけの実例

 こうして飾りつけられたようすを見ていると、仏教寺院の内陣を飾る天蓋(てんがい)や瓔珞(ようらく)、幡(ばん)といった荘厳具に似通った形態であることに気づく。
 神事の際に設ける簡易的な祭壇の上部に、まさに天蓋と同じようにして切り紙が使われているものも、展示のなかにはあった。
 例としては上等に過ぎるが、切り紙を観ていて幾度も法隆寺献納宝物の《金銅灌頂幡》(国宝、飛鳥時代)が頭をよぎった。幡も、神聖な場を飾るために天井から吊るされる。

 「透かしの彫り」の入った、少しの風でも「揺らぐ」ものを「吊る」して「かざりたてる」という意味では、切り紙も荘厳具も同じ。暗い日本家屋のなかでは白い紙がよく映えるので、「輝く」という点も同じであろう。
 集落にはもちろん寺があり、荘厳具を目にする機会も日常的にあったはずで、造形上でこれを模したり、似ていったりといった展開もじゅうぶんに考えられる。
 古来より、「垂れ下がる」ものには神性・聖性が宿ると信じられてきた。松しかり、藤しかり、柳しかり。その伝統が、切り紙にも脈々と受け継がれているのだ。


 ※なにを隠そう、わたしの父の郷はこの切り紙の文化圏のど真ん中にあった。以前、千葉さんの本を見せながら聞き取りを試みたものの、残念ながら見覚えはないという



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