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藤牧義夫と館林:9 藤牧義夫の「編集力」⑤ /館林市立第一資料館

承前

 古美術の鑑賞に馴れ親しんでいると、《隅田川絵巻》の、絵巻の体裁をとって風景を描きつらねていきながら、季節や時間を感じさせる描写が明確にみられない点が引っかかるもの。
 肖像画でもないかぎり、日本絵画では、なにがしかの季節を感じさせる事物が描きこまれる。絵図のような記録性の高いものにすら桜が咲き、紅葉をみせるほど。絵巻や屏風のような大画面の作例ともなると、四季折々の風物を異時同図で同居させることが珍しくない。ところがこの長大な《隅田川絵巻》には、そういった要素が見当たらないのだ。
 隅田川、向島、濹堤とくれば、桜。お花見である。江戸の人にこの地を描かせたら、かならずや桜の花を満開に咲かせるだろう。
 義夫が《隅田川絵巻》を描いたのは秋口で、画中の光景もそのときを映してはいるが、(白描ということもあり)紅葉は認識できない。桜や紅葉といった「月並」は、義夫の関心をひくものではなかった。

 さらにいうと、《隅田川絵巻》には人間の気配が薄く、人影はまばら。釣り堀など、いるところにはいるものの、基本的には無人だ。
 近世までの風景画には人物が描きこまれ、風俗画としての性格を備えたものが多い。豪奢な宴席の描写がある近世初期の遊楽図や、風景画の体裁をとりながら同等かそれ以上に美人に注力した浮世絵の画巻などを思い起こすと、賑々しさ・華やかさとは無縁の《隅田川絵巻》の画面は、えらくさびしいものとして映る。
 描かれた当時の向島の人口密度は、実際にこのくらいのものだったのかもしれない。
 あるいは……義夫が現実の風景から間引き、配置しなおしたものとも考えられよう。いわば、人間を画面構成上の装置・アクセントとして将棋の駒のように扱い、このような描写となった――どちらかといえば、こちらの側面が強いように感じている。

 《隅田川絵巻》において流れ、移ろっていくのは、絵のなかの視点と隅田川だけ――季節も時間も月並も人物描写も放擲して、義夫がこの作品の主眼としたのは、スケールの大きな視覚上の変化そのもの。それをみずからの筆で描ききるには、版画のかぎられた画面では事足りず、絵巻という舞台が必要だった。義夫にとって、版画は表現のための一手段にすぎなかったのだ。

 それにしても、創作版画を飛び越えて、絵巻という伝統的な日本絵画を濃厚に匂わせるフォーマットを選択してしまう発想の転換には恐れ入る。それは、これまで積み重なってきた絵画の歴史に対峙する姿勢ともとれるからだ。
 《隅田川絵巻》は何度観ても、「次はどんな場面が繰り出すか」と胸躍らされるものがある。藤牧義夫その人自身に対しても同様で「こんな仕事をやってのける作家は、この先どんな展開をみせるのか」といった空想へと、わたしをいざなう。
 よぎった思いは、絵巻を描いた翌年に作家が失踪する事実に気づいて、かき消される。君は、隅田川に消えたのか。(つづく


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