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戦国最強の家老 ―細川家を支えた重臣松井家とその至宝―:3 /永青文庫

承前

 宮本武蔵は晩年、熊本藩に客分として招かれ、熊本の地で生涯を閉じた。兵法の秘伝『五輪書』も、熊本城の西・金峰山(きんぽうざん)麓の洞窟・霊巌洞で書かれている。武蔵は松井家二代・興長とかねてより親交があり、武蔵の招聘には興長が深く関わったらしい。
 そういった経緯から、永青文庫と松井文庫には武蔵に関する資料・絵画作品が多数所蔵されている。最初の展示室では武蔵筆の書状、一行書、また『五輪書』、木刀など、図版でおなじみのものが続々と登場。
 木刀は「巌流島ではどんな得物を使ったのですか」との問いに答えるため、武蔵が再作製したと伝わるもの。ものの本にあるとおり、柄の先に穴が穿たれているのを確認できた。紐を通して木刀を手から落とさないようにする工夫で、つまりはガラケーについていたストラップ用の穴と同じ機能だ。

 ――個人的な話で恐縮だが、少年時代の愛読書のひとつに、宮本武蔵についての読み物があった。当時はテレビの時代劇を熱心に観ていて、殺陣の大立ち回りや侍の生きざま、江戸人の暮らしに魅せられていた。
 展示に出ていた資料・絵画作品には、実物はお初のものこそあれ、どれも記憶の奥底におぼろげな像がある、懐かしいものであった。
 それはとりわけ、絵画作品において顕著だった。本に載っている図版をお手本に、習字のセットを使って武蔵の水墨画の模写に励んだ時期があったのだ。模写をとおして、写しの段階から飛躍して独自性を加味していくことのむずかしさを身をもって学んだのも、このときだったように思う。

 《鵜図》は、まさにノスタルジーの一図。線のひとつひとつをよく覚えている……つもりでいたのだけれど、その後さまざまな作家の絵や線を観てきたことで、見え方は少しばかり変わっていた。

 形態の把握が上手い。線に無駄がない。
 隙をみせれば、斬り伏せられる。一閃で決めなければ、こちらがやられてしまう……そんな果し合いの心境に相通づるところもあるだろうか。
 いっぽうで、淡墨でへろへろへろと引かれた線に、特徴的なものを感じた。細く蛇行しながらも、この線からは間の抜けた印象は受けず、やはり、無駄がない。こういったところに、描き手の卓越ぶりがよく現れている。

 《芦雁図屏風》は、改めてみると「ヘンな絵だなあ」と思った。

 右端に雪持ちの枯木、左端に松、中央には、浮き島のように鳥の群れが。まるで三尊形式の、奇矯といえば奇矯な構図。
 そして、要素が多い。鳥の数も多いし、柳?の枝はこれでもかと垂れ下がり、芦も、松葉もずいぶんと生い茂っているではないか……
 この屏風には落款・印章がないけれど、このようなちょっとした違和感から、職業画人の手によるものではないのかなとは思われた。予定調和とは、少し異なった趣をもっている。
 それでいて筆遣いはこなれており、全体をみてもまとまりが感じられる。ヘンだけれど、それゆえの楽しさがある屏風だと思った。
 もっとも、木々の描写には、別人の手が入っている可能性も示唆されているという。
 大画面の絵を描き慣れない武蔵先生に配慮し、背景は職業画家が用意、先生には鳥の描写をお願いします……といったことも、あったのだろうか。

 「書は人なり」というが、水墨の簡潔な線描やにじみ、かすれもまた、よくその人となりを表していそうな面がある。武蔵の絵は、とくにそのような性格のものではと感じられた。
 『五輪書』を味読しながら、図版を見返すのもまた一興か。



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