見出し画像

お股から人が出てきた

出産をした。死ぬかと思った。

お産は本当に人それぞれなので、もしこれを読んでくれている誰かが出産を控えていたりいつか子どもを産みたいと思っていても、全く参考にはならないということだけは覚えておいてほしい。

■ルール説明

・陣痛はずっと痛いのではなく、キューっと下腹部が痛んで、1分くらいしたら痛みが引いて、間隔があいてまた痛みだす、というのを繰り返す。この痛みが徐々に強くなり、間隔も短くなっていく。

・子宮口は徐々に開いていき、10cmが全開で、全開になったらいきんでいざ出産。子宮口の測り方は助産師さんや先生がお股に指を突っ込むいう原始的な方法。すんごいね。

・無痛分娩は背中にチューブを挿し麻酔を入れて、陣痛や出産の痛みを和らげる方法。あんまり無責任な情報は載せられないので、興味がある人は調べてみてね。

・コロナ禍なので夫の立ち会い分娩は無し。

■令和4年2月8日

午前11時に目覚める。起きたときから生理痛のような鈍痛が15分おきに始まっていたが、全然耐えられる痛みだったので「これが陣痛かー!?」とちょっとテンションが上がる。「出産したらしばらく外食できないから…」と2km歩いてイオンへ出向き、陣痛の中ハンバーグとカットステーキのセットを食べる。食い意地がえぐい。

この弱めの陣痛が12 時間以上続いたため、流石に長いかなあと思い23時半ごろ病院に電話したところ、「入院セットを持って、病院に来てください」とのことだったので準備を始める。「次いつごはんを食べられるか分からないから…」とおにぎりとハーゲンダッツのストロベリーを食べてから病院へ向かう。食い意地がえぐい。

このときはまだ、「そんなに痛くないから今日は入院なしで帰されちゃうかなー?」と呑気なことを考えていた。

■令和4年2月9日

▷ 0:30
産院に到着し、陣痛室に案内される。陣痛室はシングルベッドと洗面台がある、ビジネスホテルを少しおしゃれにしたような個室だった。痛みも強くないのでちょっとした旅行気分。

▷ 1:00
徐々に陣痛の痛みが増し、10分間隔になる。
ここでやっと「もしかして今日生まれるかも?」と思い始める。

▷ 2:45
痛みがどんどん強くなるので、夫に「今日生まれると思うから仕事休んで家にいて」と電話をする。(直接立ち会いはできないけど、生まれる瞬間はテレビ通話でつないで見守ってもらうため)

▷ 3:30
人生最悪の下痢よりひどい痛みになる。ナースコールをして、無痛分娩に移行することに。背中にチューブを挿す処置が結構痛いとネットに書いてあったが、陣痛の方がよっぽど痛いのでそれは平気だった。

▷ 4:00
麻酔が効いて一気に痛みが和らぐ。ここで「麻酔を入れたので出産が終わるまで飲食不可です」と宣告され絶望する。入れる前に言ってほしいよね。

▷ 9:00
子宮口の開きが遅いので、陣痛促進剤を投与することに。
痛みが強くなってきたら麻酔を追加してもらう、というのを数回繰り返す。左半身は全然平気なのに右半身はすぐに麻酔が切れて、毎度本気の痛みが来る。「ヴヴヴ…」と手負の獣のような声しか出せなかった。
昨日から一睡もしていないので麻酔が効いているうちに仮眠を取ろうとするが痛みですぐに目が覚める。ランチなんか行かずに少しでも寝ておけばよかった。

▷ 13:00
子宮口が5~6cmまで開く。麻酔がすっかり切れてしまい、とにかく痛すぎて一番やばいときの炭治郎(遊郭編参照)みたいになる。あまりの痛みに「アガガガガッ」みたいなことしか言えないし全身が震え始める。分娩台に移動し、背中のチューブを挿し直して強めに麻酔を追加してもらい、なんとか自我を取り戻す。
普通は子宮口全開になってから分娩台に移動するのだが、私の場合は麻酔で下半身の感覚がなくなってしまっているので、分娩室と陣痛室を移動できないためここから6時間分娩台の上にいることになる。

▷ 15:00
子宮口8~9cm、人工破水をする。

▷ 16:00
子宮口全開、いきみの練習を始める。助産師さんは「一番痛くなったタイミングで「ふんっ!」て気張るんだよ」と言い残し、先生を探しにどこかへ行ってしまった。根っから怠惰な私は、助産師さんがいなくなった途端いきみの練習をサボる。

▷ 17:00
右半身の麻酔が効ききらず、右半身だけがとんでもなく痛い。経験したことのない、言葉で形容し難い激痛。
陣痛の波が来るたび「ああああああ!」と声が出る。本当は声を出さずにフゥーと息を吐いた方が痛みが逃がせるらしいが、ぜーんぜん無理だった。
『無痛』分娩を選択したことで痛みに耐える覚悟が全くできていなかった私は想定外の痛みに心が折れ、分娩台の上で「もう私いきめませーーーん!!!!」「麻酔追加してぇぇぇぇぇーーーー!!!!!!」「誰かーーーーーーー!!!」と叫び散らかす。奥のナースステーションで「誰かーだってw」と笑われているのが聞こえた。ちょっと悲しかった。

この後すぐに助産師さんと先生が来て、吸引分娩に移行するという話をされた。もう何でもいいから早く終わりにしてほしかった。何て返事したかは覚えていない。

▷ 17:36
お股は切り刻まれ吸引カップ(トイレのスッポンみたいなやつ)を中にねじ込まれ助産師さんには上からお腹を押される。
陣痛の波に合わせていきむ。先生が赤ちゃんを引っ張り出す。お股からドゥルドゥルっと人が出てきた。本当に人が出てきてびっくりした。1,2秒してからその赤ちゃんは「ホンニャーーーー!!!!」と大きな産声をあげた。

■その後

生まれた瞬間は喜びより「終わった…」という気持ちの方が強かった。
吸引のときに産道が複雑に裂けたようで、下半身からは2リットルも出血し(普通だと300~400ml程度で済むらしい)急に気分が悪くなり寒気と吐き気をもよおす。意識が朦朧とする中、夜中から飲まず食わずだったことを思い出し「ごはん」と言い残し気を失う。食い意地がえぐい。

助産師さんに名前を呼ばれ、ハッと意識を取り戻し「寝てましたw」とヘラヘラしてまた気を失う、というのを三回ほど繰り返す。人生初の酸素マスクを経験したが、気を失っているのでそれで楽になったのかは不明。目が覚めたら裂けた会陰と産道を縫われている最中で、「痛いですーー!!!!!!」とまた叫び暴れる。助産師さんが数人がかりで暴れる私の四肢を押さえていた。しばらく暴れるとまた気を失い、次に目が覚めると全ての処置が終わり分娩台の上で経過観察ということで放置されていた。本当に迷惑な産婦だったと思う。

翌日、朝9時半から「先生来たよ〜!」とそれ以上は何の説明もなくストレッチャーで手術室へ移送され、昨日の会陰と産道の処置の続きをされた。また朝から助産師さん達に押さえられながら大暴れをする。最後の方は「痛いーーーー!!!」「大騒ぎしてごめんなさーーーーい!!!!!」「もうやめてーーー!!!!」と叫んでいた。やめられたら困るんだけどね。出産よりこの日の処置の方が痛くてつらくて人生で一番苦痛だった。一生忘れない…

■赤ちゃん

約3300gのとっても健康な女の子。
赤ちゃんにもしものことがあったらつらいから、お腹にいる間はなるべく赤ちゃんのことを愛おしいと思わないようにしていた。
でも実際に顔を見たらぶわっと涙が出てきて、「好き!!!ずっと会いたかったよ!!!」という気持ちが爆発した。「この子を幸せにするために私は生まれたのかもしれない!!!」という自分でも驚くような激しい母性が溢れ出す。

でもまだ自分がお腹で育てて産んだという実感がいまいち湧いていないところもある。退院の日も「この一番可愛い赤ちゃん、お持ち帰りしていいんですか…?」というような不思議な距離感。

生まれてきてくれてありがとう。私たちを親にしてくれてありがとう。大きな怪我や病気をせずに健康に育ってくれれば、私たちはそれだけで十分です。

■教訓

・陣痛が来たらランチなんか行かずに睡眠とっとけ
・「産ませてもらう」と思うな自力で産め
・無痛分娩も痛いよ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?