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飲食店の消えゆく文化、それは相席
今日は短いエッセイです。
私がまだ20代前半だった頃のある正月、埼玉で暮らす祖父母に連れられて浅草へ遊びに行ったことがあるんです。
当時は3人ともお酒大好き人間だったので、正月ぐらい昼から飲もう!(いや年中飲んでました)ということになり、一軒の居酒屋へ入りました。
この日は一年で最初のG1レース「金杯」が行われている日で、店内は大混雑。猫の額ほどの小さなテーブルに案内され、私たちは身を寄せ合うようにして思い思いのお酒を飲んでいました。
しばらくして、50代ぐらいの女性店員さんから「相席よろしいですか?」と声がかかります。えっ、この狭いテーブルに相席なんて信じられない!と思ったんですが、まぁ浅草だし、これもこれでいい文化体験になるかなと思い、私たちは了承しました。
案内されたのは60代ぐらいの男性。襟付きのジャケットを着た紳士な方で、相席に不慣れな私はホッとひと安心しました。
しばらくすると、男性の注文しただし巻き卵が運ばれてきます。そのだし巻き卵、なぜか三角形にカットされていて、そんなだし巻き卵を見るのは初めてだったので珍しげにじーっと眺めていたら、欲しがってそうに見えたのか、なんと「良かったらおひとつどうぞ」と男性が声をかけてくださったのです。
うわ〜視線に気づかれた!どうしよう!と焦っていたら、男性から「私が箸を付ける前に取ってしまって」と言われたので、お言葉に甘えて三角形のだし巻き卵を一切れ、自分の皿に移しました。不思議な見た目でしたが、ふわふわで美味しかったです。
これをきっかけに私たち4人はしばらくお酒を交わしながら談笑し、とくに連絡先を交換することもなく、私たちが先にお会計を済ませる形で別れたのでした。
*
それから10数年が経ち、当時住んでいた大阪から関東に引っ越してきた私は、今の夫と知り合い、彼の営む店で女将を務めることになりました。
初めに基本的な仕事を教わるなかで、テーブル案内の方法を聞いて驚きました。なんと夫の店でも、いまだに相席の文化が残っているというのです。
「昔は相席なんて当たり前。常連さんなんかはわかってくれてるから、こっちからお願いしなくても自分から『相席失礼しまーす』なんて言って座ってくれるよ」とサラリ。常連同士は自然と顔なじみになるので、店内はちょっとした社交場のようだったと言います。
いや、わかるんですけど。
当時から今に至るあいだには、移転をしてお客さまもガラリと変わっていますし、時代も時代ですから、下手すると相席がどういうものなのか知らない人すらいるかもしれません。
えっ、本当にお願いするの?ドン引きされたらどうするん?めちゃくちゃ気がひけるんだけど…と、初めは憂鬱な気持ちでいっぱいでした。
ところがいざお願いしてみると、ほとんどの方があっさりOKして下さるんですよね〜これが。常連さんならともかく、初めてお顔を見るような方でも、案外すんなり了承してくれるのです。
もちろん中には「カウンターが空くまで待ってる」という人もいますし、「それならまた来るわ」とおっしゃる方もいます。でもほとんどの方が二つ返事で「いいよー」と言ってくださるので、私には良い意味でカルチャーショックだったんですよね。
たださすがに浅草で訪れたあの店のように、お酒を飲む人同士の相席は行ないません。ランチタイムに、さっと食べてさっと帰るような方たちだけです、お願いするのは。
3名&1名のような組み合わせのような相席もありません。最大でも2名&1名で、なるべく同性同士になるように案内します。カウンターが空いてなくてやむを得ず4人がけテーブルに1名様をご案内するときは、前もって相席になるかもしれない旨を伝えるようにもしています。
実際にお願いするのは月に10回もありません。たぶんですが、相席になるのが嫌な人が忙しい時間帯を外して来られるので、うまい具合にカウンター席が回転するのです。
とはいえなかなかレアじゃないですか?リアル相席ができる店。もう日本にはそうたくさんは残ってないと思うんですけど、どうなんでしょうか。
*
ちなみにこの相席文化、うちがなんかとかギリギリ通用しているのは、お客さまに年配の方が多いからなんです。
年配の方って、他人との心理的な距離が近い人が多いですよね。先日話題になった、ベビーカーの赤ちゃんに断りなく触ってしまう人も、ポテサラぐらい家で作れ!と怒り出す人も、たしかどちらも年配の方だったと記憶しています。大阪のおばちゃんが初対面の人に飴ちゃんを配るのも有名な話です。
一方で若い人の場合、赤の他人にとつぜん触ったり、怒りをぶつけたり、食べ物を渡すことはありません。そこまで近づくことがまずないのです。1つのテーブルで他人と一緒に食事をすることに居心地の悪さを感じるのは、その延長と言っていいでしょう。
男性なのか女性なのか、若い人か年配なのかもわからないし、すごくよく喋る人だったら面倒臭いなぁとか、くちゃくちゃ音を立てながら食べる人だったら不愉快だしなぁとか、そんなことを考えると煩わしさも感じます。わからなくもないです。
でも人との関わりって、一期一会なものも含めて、たいてい煩わしさや面倒臭さを内包しているものです。
仲良くしようとしたけど無視されたり、苦手なタイプになぜか好かれてしまったり、政治的信条が合わなかったりすることが得手してあるわけです。
そんなことを繰り返すなかで、ときどきたまーに気の合う人が現れる。これが昔ながらの人と人との出会いでした。
ところが今や、友だちも交際相手も、確実に自分と合いそうな人をアプリやSNSで効率よく見つける時代。どこの誰だかわからない人と同じテーブルで飲食をするような、不確実性が高く、時間と気力をすり減らすリスクを伴う行為を現代人は好まないんですよね。だからこそ相席という文化はなくなりつつあるわけです。
コロナはこの現象にさらに拍車をかけました。うちの店も、パンデミック以降は相席のお願いを一切していませんし、もしかしたらこのまま復活はしないかもしれません。同じようなお店も多いのではないでしょうか。
日常生活の中で、他人との小さな接点を持てる機会が社会からひとつ消え去ってしまうのかと思うと少々もの悲しい気もしますが、これも時代の流れなのでしょう。
あるいは、人間関係が希薄になった時代の反動で、「相席ができるレトロな店」がブームになる未来が来たりするのでしょうか。もちろん近年できた、男女が出会うためにお店が設定した相席酒場とは違いますよ。混んできたらテーブルをシェアするというナチュラルなスタイルのお店。あり得なくはなさそうです。
少なくとも20代の私が経験した浅草での、あのノスタルジックな出来事は、あの日観光したどんな場所よりも思い出に残っていますから。なくなってしまうのは、やっぱり少し寂しいです。
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