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『ヘベムニュラの落星(おちぼし)』13

 間抜けだった。どうしようもない。間抜け。救いようもない無能。引き金にかかった指に徐々に力が込められる感触が後頭部に触れた銃口を通じて伝わってくる。ダブルアクションの撃鉄が内部の機構と連動して起き上がり――撃鉄が倒れた。

「は? 」

 弾は出なかった。当然だ。入れてないのだ。一発だけしか。暗がりをあえて選んだのは人目を避けることのほかにこういう誤認に対して補強を加えるためだ。困惑する青山の頭部に向かって、横なぎの鉄パイプがさく裂する。「石田、やっぱまだなんか隠してやがったよ。このクズ」
 さっきまで動けないふりをしていた工藤が地面に放った鉄パイプががららんと音を立てた。暗くて何処かは判然としていないが工藤はナイフが刺さった場所を圧迫しているようだ。今のように動き回れるところを見る限り問題なさそうだった。
 ぼくの背中からどかされた青山はうーうーと呻きながら頭を押さえている。その手から離れた拳銃を拾い上げて立ち上がる。ポケットから弾丸を一発取り出してシリンダーに詰めた。
「青山、話せよ。なんで市波が死ななきゃいけなかったのか。ヘベムニュラの儀式のこと」

 話は、ぼくたちが廃工場を去って公園で「遠くへ行く」約束の話をしていた時までさかのぼる。
「この携帯電話を餌にしよう。青山の犯罪の証拠やあいつの家が秘匿してきたヘベムニュラの情報が山ほどある。マスコミや警察に渡されたくなかったらって言えば必ず来るよ」
「工藤。ぼくはまだ実感が湧かないところがあるんだけどさ……」
「なに? 気が変わったの? 石田」
「そうじゃない。でも、青山が本当にヘベムニュラに対抗する力があるなら本当にこんなに簡単に殺してしまっていいのかな」
「……良くない。青山の家について信じられていることが本当に本当なら……でも、関係ないじゃない。私たちには」
「関係ない。確かにそうかもしれない。でも、市波を助けられなかったのはぼくも、そして工藤の責任でもあるんじゃない? 」
「どういう意味よ? 石田? 」
工藤は明らかに不機嫌になった。彼女にも思い当たる節があるに違いない。
「そのままの意味だよ。ぼくたちは見殺しにしたんだ。市波を。その点でいえば青山の暴力を見て見ぬふりしてきたみんなと同じだ」
「それは、ちが――」
「違わない。だから、ぼくたちは知らなきゃいけない。どうして市波が死ななきゃいけなかったのか。青山が秘密にしていることも。全部知るべきなんだ。それに」

 ――あれが本当に市波なら、終わらせてあげたい。


 ぼくは青山に向けて一発装填した拳銃を向けた。彼は地面に座り込んだままこっちをにらみつけていた。
「今度はちゃんと弾が入ってる。話してよ青山。市波とヘベムニュラの関係。そしてあの蟹の化け物の秘密」
「お前? 鏡見たことあるか? 」
「は? 」
 ぼくがあまりに拍子抜けな質問に思わず聞き返すと、青山はそれを遮って続けた。
「宿主を中心にその周縁の人間が感じる幸福と不幸の高低差幅が連中の餌になる……らしい。だからこれをどちらかに振ることで、生まれる前に餓死させるんだ」
「それが、ぼくたちに振るわれた暴力の理由? 」
「何に幸せを感じるかは明確な基準がないからな。維持するのが難しい。だから宿主をいびる。徹底的にな」
 ぼくは青山の脇腹を蹴っ飛ばした。呼吸が止まったのか苦しそうに呻く青山に今度は油断せずに銃口を向け続ける。
「まるで仕方なかったような言い方だな。青山。お前たちは楽しんでた。仮にそれが本当だったとして、ぼくや市波が死んだあと工藤まで巻き込んだのは完全にお前の趣味だろう」
 すると、青山は急に笑い出した。狂ったように。ひどく愉快そうに。ぼくが向けている銃口は脅迫じゃない。何の真相に触れられなくとも青山をいつでも殺すつもりだし、青山が不要になっても市波の無念を晴らす気だった。多分、ぼくがやらなければ工藤がそうする。でも、ぼくは工藤が人を殺すところを見たくなかった。
 蹴とばされた脇腹の痛みのせいで時々、途切れさせながらも青山はまだ笑っていた。
「ははははは、お前。そうか、はは。本当に何も聞かされてねえんだな。おい、工藤! お前もひでえやつだ。こりゃ傑作だわ。趣味なのは否定しないけどよ」
「楽しそうだな。青山、こっちは冗談で引き金を引けるぞ」
「そんなもんで脅しても、もう何も吐かねえよ陰キャ」
「まだ立場が分かって――」
 ぼくのとなりで工藤が倒れて崩れ落ちた。ぼくは青山を警戒しつつ、姿勢を下げて工藤の様子をうかがう。浅い息を繰り返しており、まともな状態でないことは明らかだった。触れてみると手のひらに生温い血液が触れた。
「俺はラッキーだわ。この暗がりでしっかり急所に当たってたのかよ。そのブス死なせたくなかったら銃捨てな。陰キャ」
 こういうのもあるんだぜ。そう言って、青山は靴のつま先からボールのような丸い物を取り出して、そこにぶら下がったリングに指をかけた。ぼくは一瞬だけたじろいだが、工藤は努めて冷静に言い返した。
「石……田、言うこと聞いちゃダメ……こんな場所……自分もただじゃすまない……」
「なあ、賢くなろうぜ。俺は帰る。ああ、携帯は返してくれよな。それに書かれてるヘベムニュラに関する秘密も今の話も嘘じゃねえ。いびりの正体とあの化け物の秘密が多くに知られれば、青山はこれまでの好き勝手の代償を払うだろう。俺も弱くてお前らに負けた。これで手打ちでいいじゃねえか。市波のことだって仕事だったんだよ」
 青山はそういうと立ち上がった。ぼくは工藤のポケットから青山の携帯電話を取り出して泣く泣く青山に渡した。コピーは取ってねえだろうな? 青山に念を押された。取ってない。ぼくの答えに青山は爆弾を振って応じてみせた。ぼくは工藤のスカートからディスクを取り出した。このための準備に忙しく別の場所に保管する余裕がなかったことが悔やまれた。

 ぼくは多分、鬼のような形相で青山をにらみ続けていたと思う。
だから、この路地裏に差す光の先に、ククの姿を認めた時、思わず叫んだのだ。

――クク。そいつを殺せ!

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(kobo)  

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