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『ヘベムニュラの落星(おちぼし)』12



 繁華街から四キロほど外れた廃ビル街は寂れた雰囲気と活況のなさからさらに人気は遠ざかり、まともな人間はあまり近づきたがらない。行政の開発がとん挫して久しく、管理の行き届いていないむき出しの鉄骨組みの構造体は、いつか崩れて誰かを下敷きにするだろう危険を想像させた。

 ぼくたちが合流した後、工藤が青山の携帯で取り巻きの一人に電話をかけた。数度のやり取りの中に明らかに動揺と怒りを隠せない様子の怒鳴り声がスピーカーから聞こえてきた。工藤の方はというと、至って平静かつ事務的で、あんなことのあとなのにすごいなとぼくは思った。

 青山を待つ間、工藤はやけに静かだった。これからぼくたちは人を殺す。例えば、ついさっきみたいな感情に自我をゆだねたような覚悟ではなく、整理された心境から冷静に導き出された選択だというだけで、これほどまでに緊張の質が違うのかと思った。そういえば、ククはどうしているだろう。クリシェを殺したククをぼくはいまだに許せるかわからない。だけど、あんな形でいなくなってしまうのは不本意だった。そんなことを考えていると工藤が居住まいを正して、ぼくの脇腹をつついた。時間が近い。ぼくたちは計画の通り準備に入った。

 約束の時間に青山が一人でぼくたちの前に現れてからはとてもスムーズだった。後ろから頭を一度鉄パイプで殴りつけてふらついてるところを背中に銃を押し付ければ簡単に言うことを聞いた。その間に工藤は青山の体を改め、ポケットのバタフライナイフと靴に隠してあった拳銃を取り上げた。
「わかりやすいところは囮。見つかりにくい場所には本命を隠しておくんだ?  青山の家は筋金入りね」
工藤は皮肉交じりだったが、素直に感心もしているようだった。これだけの周到な準備も打ち砕かれて、青山は小さく悪態をついた。ぼくは、不謹慎にもこの時だけは、力を持っていることはきっと楽しいんだろうなと青山に親近感を覚えた。

 林立する廃ビルの間はただでさえ街灯や星の光がさえぎられており、そこで何が起きてるのか表の通りから視認するのは困難な上、このエリアは飲食店や娯楽施設があるでもない。つまり、こんな時間帯にここを訪れる人間は皆無である。

 だから、こういうことをするのには好都合な場所なのだ。
 青山は息も絶え絶えで、何度も殴られて歯が折れたせいで止まらない血が喉をせき止めるためか、湿った咳を吐きながら言った。

「げほっ……いびりのターゲットが俺たちの気まぐれだって思ってんのか? ばかかよ陰キャ! ! ごぽっ……町ぐるみとも知らずによ! 本当におめでたいばかだてめえは。決まってるんだよ、誰になるかな! 」
「……どういうこと? 」
「自分の頭で考えることもできねえのか? お前が殴られることに意味はあったし、市波が死んだことにも意味があったってことだ」
「青山、じゃあお前がここで死ぬことにも、きっと意味はあるのか? 」
「ヘベムニュラ……わかんだろ? 」
 青山の言葉に工藤がやや眉をひそめた。
「工藤。このよそ者陰キャにも話してるんだろ? 俺じゃなきゃあの怪物を退治できねえって」
「そんな妄言もう信じてないわ。さっきは、のこのこ逃げてたじゃない。友達を見捨てて」
「俺たちだって正面から戦ったんじゃあれには勝てねえよ。何の力もない連中があれに食われて何とも思わないのか? みんな死ぬぜ? お前の親父もお袋も、クラスの連中も、仲の良いともだちも。みんな」
工藤は少し逡巡しているようだった。工藤は青山の家を古くから知る地域の人間だと言っていた。いざこんな風に突きつけられた時の、この脅しの意味することの切実さがぼくとは比較にならないのかもしれない。
「それは……」
「どうでもいい。みんな死ねばいいよ。ぼくたちには関係ない」
「石田……! 」
「陰キャてめえ……」
「市波はお前に殺された。工藤も、ぼくもお前に殺されようとしていたのとおんなじだ。けれど誰も助けてくれなかった。なら周りの人間があの化け物に殺されても、ぼくにとってはどうでもいい」
「これだからよそ者はよ……工藤、お前からもこいつになんか言ってやれよ」
 青山に促された工藤は少し何かを言いかけて、すぐに唇を引き結んだ。それを見た青山は小さく舌打ちをした。
「私刑は必要な儀式なんだよ。陰キャ。てめえも市波に関わらなきゃ目をつけらんなかっただろうにな」
必要? ぼくは青山に見せられたあの動画や工藤の鎖骨についた火傷を思い出した。あんなことが? ぼくは納得できなかった。
「さっきから……わかるようにしゃべれよ! ! 」
「だからてめえは、脳みそねえんだよ陰キャ」
 その時――ぼくの油断が招いた結果は、あまりにも残酷で、沸き上がった怒りの半分は青山へのものと残りの半分は自分自身へのものだった。

 青山はナイフを投擲してきた。ベルトのバックルかどこかに隠し通していたのだろう。ぼくをかばった工藤にそれが突き刺さった。
うっと声と一緒に肺から空気がぬけた工藤が脱力して倒れた。
ぼくは青山に向けて一発発砲したが、この隙に体勢を整えた青山にあっさりかわされた。そのまま銃を取り上げられて地面に組み伏せられた。後頭部に銃口をゴリゴリと押し付けてくる青山は、この逆転劇に興奮が隠せない様子で荒い息を吐いていた。

「陰キャ。てめえ覚悟しろよ。もうヘベムニュラの儀式なんてどうだっていい。てめえは殺してやる」

 ぼくは、背中に乗った青山よりも、工藤が気になって仕方がなかった。動かない。工藤が動かない。工藤と呼びかけても答えない。もう一度呼びかける。
「工藤! 」
「騒ぐな陰キャ。工藤も後で丁寧に殺してやるよ。あの世でどんな死に方だったか感想聞いとけザコ」

 間抜けだった。どうしようもない。間抜け。救いようもない無能。引き金にかかった指に徐々に力が込められる感触が後頭部に触れた銃口を通じて伝わってくる。ダブルアクションの撃鉄が内部の機構と連動して起き上がり  ――撃鉄が倒れた。

(kobo)


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