見出し画像

自分の事業を起こすことは、自分が幸せに生きる方法を模索すること

私は自己受容力が低い。

いや、低かったという方が正しいかもしれない。

自己受容が低かった私がちょっとずつではあるが、自分を受け入れることが出来るようになった話をする。

私は、よく「目立ちますね」と言われる。女性で身長が168センチあるのもあると思うが、それ以上に目立つのはこの性格だろう。

そもそも、目立ちたがり屋といわれればそうなのだが、それを自覚していないときでも、「あのときの藤野さんですね、なんか目立ってましたもんね」と言われることが度々ある。

こういうふうに書くと、なんだか得してそうだが、そうでないこともある。

幼稚園生のときから高校生まで幾度に渡っていじめを受けた。

いじめ自体の記憶はそんなになにのだが、幼稚園生のときのいじめの対応をよく覚えている。

幼稚園の先生にいじめをした子と私が呼ばれて、「そうこちゃん(私)はこう思っていたかもしれないんだけど、○○ちゃんはこう思っていたんだよ。だから、お互い謝ってね」と言われた。

いや、待てよ。相手の勘違いで私はいじめられていたの?だとしたら、全然問題は解決していないし、丸く収めようとしていない?そう思った記憶がある。

その時は、親も親なりの事情があったのか、私のこの問題にあまり構ってくれなかった。

そして、母親は私が小学校高学年ぐらいになると、フルタイムで働き始めた。

私は高校生になっても、寂しいなという気持ちがあった。

その一方で、その寂しさを勉強で埋めていた。

勉強ができると、クラスでも塾でもチヤホヤされるし、居心地が良かったからだ。

成績がいいときには250人いる生徒の中で、総合順位一桁を取ったこともあった。

そうやって、いじめられたりする中で自己受容もできない、親からの無条件の受容も感じれない中で、その場に必要とされるスキルを身に着けようとしていたのだと思う。

そんなこんなで、勉強はできたものだから、奨学金で大学に行き、新卒で希望の会社にも就職した。

しかし、その後が問題だった。就職した会社はとても素敵な会社だったのだが、なんせ、社会人、会社員。

他人から無条件の受容を受けられるほど、甘くない。

そして、スキルだって求められる。

そんなときに私は、文系大学出身だったが、配属はシステム部門になった。

自己受容も出来ていないし、他人からの無条件の受容もない、そして、何よりスキルがないだなんて、私にとっては初めての環境だった。

そこから、体調を崩し、退職をした。

死にたくなるぐらい、自分の存在意義が分からなくなったときもあった。

会社を退職した後は、アルバイトをしながらフラフラと1年半ぐらいをその後、過ごした。

アルバイトとして、塾の講師をすることになった。

その塾は通信制高校のサポート校で主に通信制高校では賄えない受験対策などの勉強を教えるところだ。

中学校や通っていた高校で不登校になったり事情を抱えている生徒が多かった。

調べてみると、中学生の13%、8人に1人が不登校状態であるということを知った。

実は、私も中学校のとき、いじめられて学校に行けない時期があった。その時は、学校に行かないことを親が許してくれて、なんとか居場所を見つけていた。その塾も勉強を教えるだけでなく、彼ら、彼女らの居場所・拠り所になっていた。

そんな場を私も作りたい。そう思って、始めたのが「あいむ」だ。

今、あいむを運営していると、自分の苦手なことがたくさん見える。

連絡が遅い、スケジュール管理ができないなど。

それをフォローしてくれるアルバイト生がいてくれる。

そして、「何でも分かち合いましょう。そのほうが自分も嬉しいです。」と言ってくれるスタッフがいる。

そんな環境がある。

そして、何より、自分で理想を持ち、それを追いかけることが出来ている。これが何よりの自信になっていると思う。


自己受容の不足をスキルで満たそうとする人が多い。

「あいむ」のビジョンを考えるときに、「自分らしく生きていく」というのを掲げたけど、それをどれくらいの人が出来ているのだろうか。

自分らしく生きていくためには自己受容と他人からの無条件の受容と目標と必要なアクションを見つける力が必要だと考える。

自己受容とは自分自身の人間性を、欠点含めて認め、受け入れること。理想の姿であるわけではなく、その姿と違っていることも承知しながらも受け入れている状態。

他人からの無条件の受容とは、自分の人間性を、欠点含めて認め、受け入れてもらうこと。メリットがあるからではなく、条件なしで受け入れている状態。

必要なアクションを見つける力は、自己受容のところにあった「理想とのギャップを受け入れる」姿勢はありつつも、「自分らしく生きていく」ためには自分の理想に向かって前進していくことも必要。そのための力。(自己実現に近い話)

誰かが自分の事業を起こすことは、自分が幸せに生きる方法を模索することと等しいと言っていたが、そのとおりだ。



この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?