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ひょうご五国の奇祭事情㊤

  屋台やだんじりが勇壮に街を駆け巡ったり、数千発の花火や華麗な踊りを披露したりするのが、祭りに抱くイメージです。兵庫で言えば、豪華絢爛な屋台の練り合わせで知られる灘のけんか祭り(姫路)やサンバチームのパレードで有名な神戸まつり、西日本最大の民謡の祭典であるデカンショ祭(丹波篠山市)などが知られるところです。
 しかし、五国からなる兵庫の各地域に目を凝らしてみれば、何百年と脈々と引き継がれる「奇祭」と呼ばれる祭りが数多く残っています。ド・ローカルが2回にわたり、クローズアップします。

鼻をつまんで健康祈願 高砂「なんなる神事」

鼻をつままれ、泣き声を上げる赤ちゃん=大歳神社

 男児の鼻をつまんで泣き声を神様に聞かせ、健康に育つことを祈る神事「なんなる」が、高砂市北浜町西浜の大歳神社であった。西浜地区在住者と出身者の子ども5人が、家族に見守られながら、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
 神事は、魔物にさらわれるのを防ぐため、神様に守ってもらおうとして始まったとされる。前年に生まれた同地区ゆかりの男児を対象に、毎年1月3日に営んでいる。
 「なんなる」の名前は、「難がなくなる」がなまったという説と、「鳴神神道」の「なるかみ」から派生したという説がある。
 同神社を受け持つ大塩天満宮(姫路市)の宮司が、祝詞を読んだ後、ビニール手袋を着けた右手を子どもの鼻へ。最初は平然としていた子も、つままれ続けると声を上げて泣いていた。
 近くの自営業の夫婦は長男を連れて参加。「あまり泣かない子なので、無事に泣いてほっとした。元気に育ってほしい」と話した

(2023年1月4日神戸新聞朝刊)

ミョウガの成長で吉凶占う 新温泉町「お茗荷祭り」

ミョウガの芽の成育を確かめる安藤隆広宮司や氏子ら=面沼神社

 神社の境内に生えるミョウガの成長で吉凶を占う伝統行事「お茗荷(みょうが)祭り」が、新温泉町竹田の面沼(めぬま)神社であった。境内にある小さな池の小島では、ほかの地域より早くミョウガが生え、但馬七不思議の一つとされている。
 行事の由来や始まった時期などは記録がないが、江戸時代には既に始まっていたとみられる。
 この日午前6時ごろ、氏子らが見守る前で、宮司が祝詞を上げ、小島でミョウガの芽を3本摘み取った。池の水で清めた後、神前に供えて神事。続いて、氏子らに芽を示し、成育状況を説明した。2本は太いが、1本は細く赤みがかっていたことから、「農作物の出来はいいが、日照りの心配がある」と占った。
 昨年も「天候不順の心配がある」との占いで、夏場の日照不足に悩まされた。氏子総代会長の男性は「氏子らは占いを参考にしてきた。自分も稲作をしており、天候に十分注意したい」と話していた。

(2018年2月12日神戸新聞朝刊)

三田で続く稲引き、樽引神事

酒だるを奪い合う氏子。バラバラに割れると拍手が沸き起こった=加茂神社

 三田市加茂の加茂神社(橋本隆之宮司)で1日夜、秋祭りの宵宮があり、市指定無形民俗文化財の「稲引(いなひき)神事・樽引(たるひき)神事」が奉納された。市内随一の奇祭とされる火祭りに、大勢の人がカメラを向けていた。
 両神事は、稲束を取り合った村人と氏神が、酒を酌み交わして和解した―との伝承に由来する。
 午後9時半ごろ、氏子らは境内でたいまつに火を付け、「エイトー」と威勢のいい声を出しながら街へ。境内に戻った後は数人が円になり、たいまつを地面すれすれに振り回すと、暗闇に赤い炎が浮かび上がった。
 続いて本殿前では、数人の氏子が入れ代わり立ち代わり、酒だるを激しく奪い合った。酒だるが木の根にたたきつけられてバラバラに割れると、大きな拍手が湧いた。
 氏子総代長の男性は「子どもの数の減少という課題はあるが、行事を続けることで地域の歴史を伝承していきたい」と話していた。

(2016年10月3日神戸新聞朝刊)

蛇に見立てハモ退治 篠山・鱧切り祭り

ハモを半回転させ、退治するしぐさを披露する切り役ら=沢田公民館

 篠山市の奇祭の一つに数えられる沢田八幡神社(同市沢田)の神事「鱧切り祭り」が20日、神社近くの沢田公民館で開かれた。収穫に感謝する祭りで、大蛇に見立てた体長約2・1メートル、重さ約12キロのハモを退治する様子を19人の住民が演じた。
 祭りは、村を荒らす大蛇を神が退治した伝承から始まり、同神社の南北にある北沢田と前沢田の2集落が継承している。少子化などのため、今年は前沢田のみの開催だった。
 神事では、住民が成人し独り立ちした祷人(とうにん)を祝う宴を開いていると、戸をたたく大きな音が響き、淡路島沖でとれたハモが座敷に搬入。その後「鱧切り役」が出刃包丁を当てると、「ドンドン」と怒りを表す音が激しさを増した。
 蛇が酔いつぶれたところを切り落としたという伝説になぞり、最後はハモにお酒を含ませ、包丁で持ち上げて半回転。おなかを切るしぐさを披露すると、訪れた人から歓声が上がった。
 同地区に移り住んで3年目の男性は初めて「鱧切り役」に。「ハモは思った以上に重かった。ようやく村の一員になれたと思う」と話していた。

(2018年10月23日神戸新聞朝刊)

豊岡・夜空彩る「御柱祭り」 

激しい音を立てて燃え上がると、住民から歓声が上がった=豊岡市日高町松岡

 老女に見立てたわら人形を燃やし、豊作などを願う奇祭「御柱(おとう)祭り」が、豊岡市日高町松岡の円山川河川敷で行われ、地元住民ら約50人が炎に祈った。
 13世紀、後鳥羽上皇の第四皇子、雅成親王が但馬に流刑された。後を追ってきた妻幸姫は産後の体調が悪い中、老女の告げたでたらめな道のりの長さに絶望。円山川に身を投げた。姫の霊を慰めるため、近くの十二所神社に祭ったのが始まりという。「ばば焼きまつり」とも呼ばれ、かつては八集落で行われていたが、現在は松岡のみで受け継がれている。
 この日朝から住民らが、松や竹で約5メートルの鉢型の御柱松を組み立て、わら人形をくくりつけた。日没後に今年の吉方、西南西から点火すると、御柱が勢いよく燃え上がり、炎が川べりを照らしていた。

(2005年4月15日)

南あわじ・大蛇担ぎ息災祈願

わら製の大蛇を担いで練り歩く住民たち=南あわじ市倭文安住寺

 わら製の大蛇を担ぎ豊作や無病息災を祈願する伝統行事「蛇祭り(蛇供養)」が、南あわじ市倭文安住寺地区であった。時折小雪が舞う寒空の下、地元の児童ら住民約20人が蛇を操りながら、約1時間にわたって地区内を練り歩いた。
 約500年前から続くと伝えられる奇祭。農作物を荒らす大蛇を地元の領主が退治したところ不作が続いたことから、たたりを鎮めるために始まったとされる。明治初期に一時中止したときにも凶作や伝染病の流行があったという。
 輪番の住民8人が安住寺集落センターで、午前8時から3時間以上かけ、長さ約12メートル、重さ約100キロの大蛇を制作。目にはミカン、舌には赤い布、手足にシキビをあしらい完成させた。
 法要後に「祝いましょう」と掛け声をかけながら練り歩き、行き交う車や住民の体に蛇を巻き付けて「御利益」を授けた。最後は同センター近くのムクノキに蛇を巻き付けて供養を終了。大蛇を担いだ男児は「長い道のりで疲れたけど、算数の成績が上がればいいな」と笑顔をみせていた。

(2009年1月12日神戸新聞朝刊)

<ド・ローカル>
 1993年入社。いかがでしたでしょうか? 播磨、但馬、摂津、丹波、淡路の五国からピックアップしてみました。メジャーな祭りに比べ、紙面の扱いはとても地味なのですが、その土地その土地に長年息づいてきた風習や伝統が垣間見えます。一方で、担い手不足から「継承」が大きな課題となっています。「奇祭ツアー」みたいなものも考えていければと思っています。

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