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発想力を鍛えるデザイン思考-〇〇ってなんだっけ?-

このタイトルの副題は、私が所有しているある書籍にインスパイアされて利用させて頂きました。後ほどその書籍のご紹介とあわせて典拠を明記致します。

前回は、デザイン教育におけるスタディとは?そしてそれにまつわるちょっとこわい話となってしまいました。発想力がないと、この先淘汰されてしまうのでは、といった内容です。
それを受けて今回は、では発想力はどのようにして鍛えるのかを絵本のようにポップな書籍を紹介しながら進めていきたいと思います。この記事も前回とは異なり明るくほっこりとした内容となるようにしたいですね。

「コップってなんだっけ?」
冒頭でお伝えした今回の副題の元ネタとしたのがこの「コップってなんだっけ?」という書籍です。この書籍は日本が誇る世界的デザイナーである佐藤オオキさんが著者です。2018年にダイヤモンド社より出版されました。たいへんチャーミングなグラフィックの絵本で、子どもでも楽しく読むことができるものです。
私もデザインを教える際に、佐藤さんのデザインについてよく例に挙げさせてもらっています。そして年代は近いですが、プレイヤーとしての私自身もいつも刺激をうけ、勉強をさせてもらっている憧れのデザイナーのひとりです。

この絵本では、そのタイトルの通りコップについてさまざまな考えを巡らせるものとなっています。まるで佐藤さんの頭の中を覗かせてもらっているようです。それでは僭越ながら私なりの解釈を交えながら具体的に内容を見ていくこととしましょう。

コップの問題?
コップといってもその用途によってデザインはさまざまですが、ここではラテを飲むための一般的なマグカップをコップとしています。
マグカップには問題があるというところから話が始まります。さてどんな問題か?皆さんもぜひ一緒に考えていただけると良いでしょう。
マグカップになにか問題なんてある?取手もついているし、ちゃんと使えるし、不便をしていることなんてひとつもない、と多くの方は思うかもしれませんね。
でも、頭から「問題はない」ことを前提にしてしまっているかもしれません。発想力を養うためには、決めつけは天敵です。佐藤さんは、デザインをするときに「子どものような目で見る」とも言っていました。

この絵本ではまず、コーヒーとミルクでカフェオレを飲もうとするところから始まります。ところがかき混ぜるためのスプーンが見あたりません。
ないからどうするのか?もちろん探して見つけようとするのが一般的ですが、このことは前回「赤紫問題」として例に挙げたように、なければないなりに探す以外にできることを考えるのがデザイン思考でしたね。
佐藤さんのこの本では、「スプーンを探す」というシーンは一度も出てきません。
コーヒーとミルクがどうしたらうまく混ざり合うのか、コップのカタチそのものがぐにゃぐにゃと変わっていきます。
コップの底がくるくる回るコマのようになって、回転させて混ぜるアイデアや、曲がったトンネルのような形になって、右側と左側、トンネルでいう入り口と出口からコーヒーとミルクをそれぞれ同時に入れて、中で混ざるようにするアイデア、わざとコップに垂直の仕切り壁を作って混ざらないようにし、結果的にお腹の中で混ざればいいんじゃない?という究極の思考など、どれも現実からはかけ離れたとも思えるアイデアです。ですが、現実的な条件に縛られずに、まずはいろいろな角度から考えてみようとする姿勢がとても大切だということを示しているように思います。

私もデザインレッスンをする中で、「それ、無理じゃない?」ということは禁句にしています。むしろ「いいねぇ!それだとこんなことも考えられるんじゃない?」と焚きつけます。アイデアがアイデアを呼び、そのうちに本当に必要なこと、つまりデザインすべき核心的なテーマがひょっこりと現れます。以前「誰でも通える小さな美大=デザインレッスン」のところで紹介した、真ん中でポキっと折ることのできるスティックのりのデザインは、そうしたプロセスからスタートし、最終的にはきちんとしたデザインとしてまとまった例です。
非現実的と思われてしまいそうな発想は、デザインの種であって小さな芽です。それを「無理」という無差別級の大ガマを振り下ろして刈り取ってしまうのは、残念なこととしか言いようがありません。

美味しいパンの生地にする
この絵本は、次々にアイデアが展開されていきます。コーヒーとミルクを分けていた垂直の仕切りが、今度はコップの上の部分と下の部分を分ける仕切りに変わります。すると、上はカフェオレ、下は引き出しになってお菓子を入れるスペースになります。そうなると、お菓子の小皿とセットになるコップのデザインがあってもいいよねという方向が見えてもきますし、実際に佐藤さんによってデザインされてもいます。
中身がこぼれないようにコップ本体とフタを完全に一体化して、いろいろなカタチの穴をドリルで開けているうちに、それはコップではなくて鳥の巣箱のようになる。コップは一つの面が完全に開放されたものをイメージしがちですが、そうではなく穴を開けてコップにするというアプローチにすると、ストローをさして飲むココナツの実のようなコップがデザインできるかもしれません。

さて、絵本の内容に戻ります。鳥の巣箱や階段の段差に置くことができる底部のガタガタしたコップ、さらには照明器具や時計になるコップ、薄くして本のように整然と本棚に並べられるコップ、椅子の脚にまで、コップの用途を飛び越えて次々といろいろな身の回りのプロダクトに展開をしていきます。

あれ?コップじゃなかったの?と読者は思いますが、それで良いのです。それは、ここで考えた不思議なアイデアたちは、考えた本人の中に着実に蓄積されるから別の機会にいつか芽をだすことも十分に考えられますし、コップをコップと捉えずに何か別のものに見立てると発想の幅もぐっと広がります。反対にいえば、「コップはコップでしかない」と考えてしまうことは、発想という生き物を狭い檻の中に入れて飼い慣らすこととなってしまう。つまり伸びないのです。

コップをテーマに様々な思考をぐるりと逡巡させてから、もう一度コップに向き合う時、これまでとは少し違ったコップの見え方がしてきます。そこで、本題に戻ってスプーンがないならどうするか、もう一度冷静になってアイデアを整理します。今まで出したアイデアから何か使えそうなものが出ていることがあります。
場合によってはもう一度、同じように思考を巡らせる必要があったりします。繰り返し繰り返し、粘り強くアイデアをまとめていきます。

はじめは水気が多くベタベタの生地をこねて、やがてまとまったパン生地にしていくイメージというと分かりやすいかもしれません。ベタベタの時点で無理にまとめようとしてもうまくいきません。力を込めて、生地が手にくっついても大胆にこねていくと良い生地になる。この大胆にこねていくというのが、コップという枠を超えて発想を広げるということと、私は同じように思うのです。

それいいの!?
私はデザインのレッスンのときに、子どもでも大人でも、一度はこの絵本を読んでもらいます。だいたいの方は驚きます。10才の子どもでも「それいいの!?」という反応です。もちろん私のスクールに来ている方は、デザイナーになりたいとか、デザインと関わりたいという方、考えるのが好きという方なので、その方たちにとってはいいに決まっています。
デザインは、考えるひとの数だけ正解があります。自由で伸びやかで楽しくて、作り手自身がワクワクする。そんな気持ちで考えたものは受け取る側にも伝わるものです。
ですから一見無茶苦茶だと思われるようなことをおおらかに受けとめてみると、発想力は伸びるのです。

石ころ屋さん
最後に僭越ながら私の発想に関するエピソードをひとつご紹介して終わりにしましょう。学生時代に、とある芸術祭の関連イベントでお祭りの出店をすることになりました。決められたテントの下で、お好み焼き屋さんをするのか的当て屋さんをするのか、なんでも良かったように記憶しています。ありきたりなものでは面白くない。かといってお金と時間をかけることもできません。
当時はまだアイデアを出すのが得意ではなく、一緒にグループを組んでいた仲間とミーティングをして皆で決めていきました。
誰が発案したのか、もう20年も前のことで詳しくは覚えていないのですが、道端に落ちている石ころに着目し、石ころを並べてお店にしないかということになりました。それなら少なくともお金はかかりませんし、他ともおそらくかぶらない。もちろんお店の名前は「石ころ屋さん」。
その辺で拾ってきたたくさんの石ころを水できれいに洗い、透明の樹脂を塗って白いテーブルの上に楽しげに並べました。大きな岩のような石も持ってきて、それは看板にしました。
さて、お店が開店しました。
たしかひとつ10円でしたが、とはいえ一体誰が石ころになんてお金を出して買うのか?そう思われる方はきっと多いことでしょう。結局フタをあけてみると、これが結構売れる、笑!人だかりができた時間帯もありました。

一体どんな人が買ったのでしょう。

小学生の男の子たちでした。彼らはひとつひとつ手に取り、この石はこうだとか、こっちはこうだとか、仲間同士でそれぞれの石の特徴を真剣に話しながら時間をかけて候補を挙げ、最後のひとつを見極めて買っていきます。
選ぶのに時間がかかるから、人だかりができる。人だかりが人を呼ぶ、ラーメン屋さんの行列のようなものです。

そこら辺に落ちている石ころでも、見方・出し方をかえれば商品になる。私は未だに、当時小学生だった彼らから大切なことを教わったと思っています。
私の小さな息子たちも、一緒に外を歩いていると葉っぱを拾ったり、それこそ石ころを拾って家の中に持ち込みます。私はそんなものとは言わず「いいのを見つけたね」と言って、一部ですがアトリエに飾ってあったりまします。

佐藤さんが言っていた「子どものような目線」は、きっとこういうことなのだと子どもたちに教わります。

かつては石ころに価値を見出していた大人たちもたくさんいるはずです。「無理」という有無をいわさぬ反論不能の大ガマを振るうことに、ひと呼吸をいれて一度は飲み込んでみる。私はそんな経営者であり社会人でありたい。

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