十和田神社へごあいさつ
とくに信心深いわけではないけれど、気持ちを切り替えたいとき、ついつい神社に足が向く。なんとなくいつも「いい神社はないかな」と気にしていて、住まいを移すたび徒歩圏内にお気に入りをみつけては通っている。十和田湖にきてからは、湖畔沿いにある十和田神社が行きつけになった。
大きな杉の木に、立派なシダ植物。濃ゆい緑が広がる十和田神社は、古くからこの土地に根付く十和田信仰の中心地なんだそう。十和田湖には龍の神さまが眠っていると信じられていて、神社には青龍が祀られている。青い龍がいるとは、今度の行きつけはいちだんと立派だなぁ。
ふだんのお散歩と変わらぬ気持ちで「ふむ、この緑の強さがパワースポットらしいな」とか、「生い茂る葉の隙間からあふれる光がきれいだ」だとか思いながら参道を歩く。
かつての誰かがつくった石碑が、苔むしているのを見ると、自然とひとの共同作品のように思えて感動を覚える。
本堂に着くまでに、ひとつ、ふたつ、鳥居をくぐる。そのたびに、かっこいい龍の神さまを想像して、「おじゃまします」と頭をさげる。本堂では、作法にならって二礼二拍手一礼でごあいさつ。目を閉じてしばしの祈祷。気がすんだら、ぱちり目を開ける。
その瞬間、いつも気持ちが前向きに切り替わっている。不思議な気もするけど、やっぱり「祈る」や「願う」は前向きな行為なんだろう。何かにとらわれた意識をいちど離すきっかけになるみたいだ。
きっとわたしたちの脳は、人間ならではの行いをするためにずいぶんと発達してきた。それゆえに、日々大きな負荷をおっていると思う。
考えごとをする、無象に入ってくる情報を処理する、など。現代社会での生活と、元来もつプリミティブな性質との折り合いをつけようとしても、どうにも生まれてしまう摩擦に雑然とするときがあるのではないか。
そんなとき、手を合わせて立ち止まることで、一瞬でも頭とこころを休めることができる。わたしが神社に通うのは、きっとセルフケアの一環で、バランスを保つために必要な時間なんだ。
それにしても、十和田神社。信仰の中心地という重厚感を漂わせつつ、観光地だからなのか、湖から吹く風のおかげか、ひらかれた懐の広さも感じる。
この土地で、いい神社に出会えてよかった。