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自分の水槽を壊しつつ、他人の水槽に餌を投げる人。

自分の水槽を壊しつつ、他人の水槽に餌を投げる人。
要するに「しつこく言及してくる人に対して、反応してしまう人」のことだ。

これは、SNS上でよく見かける(特にTwitter)。攻撃してきたり、しつこく言及してきたりする人はとにかく相手を変えてやろうと、自分が思う正解に正してやろうと、必死なのだが、それに反応してしまう人もなにか残念だなと思っている。

自分は自分、他人は他人。ああ、こういう人もいるんだな。としておけばいいのに、わざわざめんどくさい方向に走ってしまう。

140文字の長い言い争いで、周りのSNSユーザーを巻き込み、自分の水槽を壊しつつ、相手の水槽に餌を投げる。その後にブロック。がよく見る流れ。おそらく誰一人として得をしない。それなら、最初からブロックして、黙っていたほうがいいのではと思う。


蜂の巣に石を投げて、蜂に刺され、蜂に激怒する。といった感じだ。相手が蜂なら、結果的に自分が傷つくことは明確だが、これが人間になると互いに水槽を壊し合うことになるのだ。

ではどうしたら良いか。それは単純に、蜂の巣に石を投げない、そして適度な距離感を保つことだ。つまり、住み分け。触らぬ神に祟りなし。


無価値な言い争いに時間を割き、体力を使うのはなぜなんだろう。いろんな考え方があっていいからこそ、ブロック(またはミュート)などして、自分の泳ぎやすい水槽にしていけばいいのにと思う。

人それぞれの正解があるから、人それぞれの不正解がある。わざわざキーボードをタイプして、否定的な意見を書く必要はない。


これの例外というか、似ている例として、「議論」がある。時々、議論と否定の分別が出来てない人も見かける。

相手が変な方向に走っていったときに、「それは違うのでは?」というのは議論の類だと思うので、自分はこれを否定と区別している(一方的に議論に持ち込みたい特殊な例は除く)。自分が変な方向に走らないためにもこれは大切にしている。議論は常に「And you ?」の姿勢だ。

社会が議論を避けるようになったら、それはそれで悪い方向に行くだろう。まあ、どちらにせよめんどくさいことに変わりない。


人間関係についての観点として、2-6-2の法則というものがある。
経営学的に捉えることが多いようだが、人間関係においては、「好意的な人2割:どちらでもない人6割:好意的ではない人2割」という法則だ。

どんなに頑張って気を使っても、2割には嫌われるのだ。そして、6割にとってはどうでもいいし、残り2割には好意的でいてもらえる。
だったら、2割の好意的でない人に流されるのは、2割の好意的でいてくれる人にとって失礼で残念なことかもしれない。

この2-6-2の法則を初めて聞いたとき、妙に納得してしまった。どんなにすごいオリンピック選手でも、好意的ではない人(いわゆるアンチ)はいるし、世間を騒がせまくる迷惑YouTuberでも、ファンのような人はいるからだ。

自分の人生は自分のために消費できるようにしたい。これが理想だ。

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