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水槽の自然、多様性。

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僕が思う多様性をnoteします。思考の備忘録です。
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あらゆるステレオタイプからの脱出

ステレオタイプ。日本語だと固定観念や類型化という言葉が近い。ステレオタイプからの脱出は私の生活の中で常にテーマとなっている。 ステレオタイプのデメリットはたくさんある。偏見や差別が分かりやすい例だろう。これらにより、特定の集団や個人に対する誤解が生じる。また、個人の独自性や多様性が無視されるし、固定観念の強化にもなりうる。人間関係において摩擦を生む原因となるし、変化や新しい視点を受け入れる柔軟性を妨げるのは明白である。ステレオタイプ型の思考は個人や社会全体の発展を阻害するだ

環世界と貴族道徳というレンズで多様性を覗く。

今回は、私が考えていた多様性の話と親和性の高い哲学概念があったので、紹介したい。 みなさんは、「環世界」という言葉を聞いたことはあるだろうか。環世界とは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルによって提唱された概念だ。個々の生物が自らの環境をどのように認識し、相互作用するかということについて言及している。生き物それぞれに認識の仕方があり、それぞれの世界が存在するのだ。 ユクスキュルの著書『生物から見た世界』で書かれているマダニの話はよく知られている。マダニは、視覚や聴覚を持たない

自分が考える多様性の話を共有したとき見つめ直したこと。

前に『水槽なんかいくつでもある』という、自分が考える多様性をnoteした。 この水槽の多様性の話をすると、しばしば都合の悪いことがある。なにかというと、「自分も水槽から外されるのではないか」と不安に思われること。 「自分も嫌われるのでは」と考えるのだろう。だけれど、それはこの水槽の話とはまったく方向性が違う。というか、「嫌う」という概念があまりなくなるのかもしれない。 もうすこし噛み砕いて説明すると、対象の相手に憎しみを持っているわけではなく、「この人は別の考え方を持っ

効率化のために詰め込まれた水槽の名前はぼやけるのか。

ネオンテトラの水槽。アロワナの水槽。ベタの水槽。 別に違和感を感じないが、これが、男性の水槽、女性の水槽、健常者の水槽、障がい者の水槽、となったときに違和感を感じる人は多いと思う。 この違和感がどこにあるかを考えると、「その単位でものを見る」というところにあるのだと思う。 男性の中にもいろんな考え方の人が居ると思うし、障がい者の中にもいろんな考え方の人が居ると思う。勝手に個人に干渉して、男性だからこうあるべきだとか、障がい者だからこうだとか、逆にこれはしてはいけないとか、が

自分の水槽を壊しつつ、他人の水槽に餌を投げる人。

自分の水槽を壊しつつ、他人の水槽に餌を投げる人。 要するに「しつこく言及してくる人に対して、反応してしまう人」のことだ。 これは、SNS上でよく見かける(特にTwitter)。攻撃してきたり、しつこく言及してきたりする人はとにかく相手を変えてやろうと、自分が思う正解に正してやろうと、必死なのだが、それに反応してしまう人もなにか残念だなと思っている。 自分は自分、他人は他人。ああ、こういう人もいるんだな。としておけばいいのに、わざわざめんどくさい方向に走ってしまう。 14

水槽なんかいくつでもある

自分が思う多様性です。 この社会にはいろんな水槽がある。 例えば、アロワナがいる水槽、ネオンテトラがいる水槽、ベタがいる水槽、など。どれもとても素敵な水槽だ。 だが、アロワナはネオンテトラの水槽には共に住めない。 水量が足りない。または、ネオンテトラが食われてしまう。 ネオンテトラはベタの水槽には共に住めない。 ベタは水流が好きではない。または、ネオンテトラが殺されてしまう。 しかし、アロワナやネオンテトラなど、それぞれとても綺麗だし、それぞれが個々に住んでいる水槽も

私の、雨ニモマケズ。

オマージュ自己紹介です。 雨には傘を差し 風にも傘を差し 雪や夏の暑さには気を配り 丈夫な体をもち 欲は程々 決して怒りの感情に踊らされず いつも静かに笑っている 一日に白米一合と なにか蛋白と野菜をたべ あらゆることに 自分の感情を入れずに よく見聞きし分かろうとし そして忘れず 田舎の三重の林の蔭の 小さな探究部屋にいて 東に絶える様の草木あれば 行って護ってやり 西につかれた人あれば 行って慰みを与え 南に理不尽なことあれば 行ってその問の核を正し 北に喧嘩や争いがあ