水槽なんかいくつでもある
自分が思う多様性です。
この社会にはいろんな水槽がある。
例えば、アロワナがいる水槽、ネオンテトラがいる水槽、ベタがいる水槽、など。どれもとても素敵な水槽だ。
だが、アロワナはネオンテトラの水槽には共に住めない。
水量が足りない。または、ネオンテトラが食われてしまう。
ネオンテトラはベタの水槽には共に住めない。
ベタは水流が好きではない。または、ネオンテトラが殺されてしまう。
しかし、アロワナやネオンテトラなど、それぞれとても綺麗だし、それぞれが個々に住んでいる水槽もとても綺麗だ。
アロワナにネオンテトラを食うなと言っても無理だろう。
それはアロワナにとっての当たり前だからだ。
どうにかしようとしても無理だろう。
ベタに水流に乗れと言っても無理だろう。
ベタはそのまま疲れ果ててしまう。
どうにかしようとしても無理だろう。
ネオンテトラに上手く合わせろと言っても無理だろう。
食われたり、殺されたりしなくとも、神経をすり減らすだろう。
しかし、それぞれが個々に住んでいる水槽はとても綺麗なのだ。
だから、いろいろな水槽があっていいと思うし、あるんだと思う。
ネオンテトラはひとりで泳ぐとは限らない。
仲間と泳ぐかもしれない。他のテトラと泳ぐかもしれない。
アロワナだって他の大型魚と泳ぐかもしれない。
ベタは、ひとりか。それもいい。
個々に合ったそれぞれの水槽の中で泳いでいるからバランスがとれている。
人間もそうではないだろうか。
分かり合えない人とは、何をしても分かり合えないことが多い。
そういう人と一緒の水槽にいても身を削る。
その人を変えようとしても、変えることは非常に難しい。
だからその人が悪い。訳ではない。
その人もその人の水槽で泳いでいるのだ。
だからこそいろんな水槽があっていいし、いろんな人がいていいと思う。
アロワナがネオンテトラを食う、ベタがネオンテトラを殺す。
そういう自然である。
ネオンテトラがアロワナやベタから距離を取る。
これも自然である。
今の水槽が居心地が悪いのならば、別の水槽に行けば、共に泳ぐ仲間がいるかもしれない。今泳いでいる水槽も実はとても泳ぎやすいのかもしれない。
人間は水槽から抜け出すことが出来るし、自分で水槽を作れる。
水槽なんかいくつでもある。
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