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言葉を「使える」ことと、「わかってる」ということ

最近、2歳の長男がいろいろわかるようになってきた。

言っていることが伝わっている手ごたえを感じうれしく思うこともあれば、反対に、わかりかけてきたからこそ、困ったこともある。

言葉「だけ」を、うまいこと使えるようになってしまったのだ。


わかっていない「わかった」

どんな言葉を言えば今の状況が終わるか、
次に進めるのか、長男はそこだけわかってしまった。

「ごめんなさい」「わかったよ」「もうしない」。
わたしが必死に言葉をつなぎ息つぎをするその瞬間に、すかさず長男は必殺技のごとく謝罪の言葉をのべ、けろりとした顔で次の話題を話しはじめる。


わたしのミスだ。

「いけないことをしたらごめんなさいって伝えようね」
「お母さんの話、わかったかな?」
「これはもうしないでね」
わたしが何度もくり返し伝えてきた言葉を、すなおに反すうしているだけなのだ。
その言葉の奥の、きもちや意味を知らないまま、彼に決まり文句の使いかただけを教えてしまった。


「なんでこうなったか、考えてみよう」
「なんでこれをしたの?」
「なんでやりたいの?」

考えるくせをつけてほしいと願って伝えてきた言葉は、その意味が抜け落ち、表面だけが届いてしまった。

「なんで?」
とたびたび聞いてくる長男に説明をしても、釈然としないことも増えてきた。

しかるときにどうしてほしいか、なにを考えてほしいのか伝えようとしても、それをさえぎり「ごめんなさいっ。それでね〜」
となってしまう。

もどかしくて、つい語気があらくなる。
長男も「ごめんなさいって言ってるのになぜ終わらないんだ」と不満になる。

どうにか、どうにかしなければ。


なにがわかったか、教えて?

ごはんを用意するとき、食事が命の次に大切な長男は待ちきれない。
「ごはんは?」「ぼくのお皿は?」「ごはんまだ?」「ぼくの飲みものは?」
質問ぜめである。

「いま準備してるからね」「ここに君のはあるよ」「もう少しだから待っててね」
……そう返している。返しつづけても待ちきれない長男はやがて癇癪を起こす。その対応で準備が遅れ、彼はまたそれに怒る。

いつもはそれでも「はいはい待っててねー」と軽くあしらってごはんにするのだけど、今日はちがう。

「泣いたり怒ったりしてもいいよ。してもいいけど、ごはんを早く食べたいのなら、どうするといいのかな?泣いたり怒ったりすると、早くごはんになるのかな?」

少し考える顔をして、泣きやんだ長男をいすに座らせ、向き合う。

「いつもごはんを楽しみにしててくれてうれしいよ。早く食べさせてあげたいと思っているよ。だから……」
「わかったよ、ごめんなさい。いただきますしよ?」

いつもは途中であきらめるる「話さえぎり謝罪」を、今日は受け入れなかった。
用意した夜ごはんが冷めていく悲しさをぐっと飲みこんで、両手を合わせ食べる気まんまんの長男と向き合いつづけた。

「待ってね。なにがわかったか、お母さんに教えて?」
「うん、わかったよ、いただきます」
「わかったことを教えて。そしたらみんなで食べようね」

みるみる長男の顔が曇っていく。
みそ汁の湯気はなくなっていく。

自分のしていることが正しいのか、不安になった。
でもちがう。正しさなんてどこにもない。だから、わたしのエゴだとしても、伝えつづけてみるしかない。

「しっかり返事をできるのはすてきなことだよ。だけど、ちゃんとわかってる?」
「わかってる」
「なにが、わかった?」
「んーと……」

言葉につまる長男を見て、胸が苦しくなった。まだ2歳のこの子に、ここまでさせる必要があるんだろうか……。
けれど、なんとなく「今日ならいける」という直感があった。今日なら、一緒にもう少し先へふみ出せるかもしれない。


「君はどうしたい?」
「ごはん食べたい」
「そのためになにをすればいいと思う?」
「んーと」
「どうしたらいいか、わかった、って言ったよね。なにがわかった?ほんとはわからない?」
「わかる…」

たぶん、長男はいっしょうけんめい、考えていた。
「わかった」ということについて。その意味を。だから少し苦しそうでも、もうひとふんばりだと思った。

「お母さんもね、その場しのぎのこととかつい言ってしまうことがあるよ。ごめんなさいって言おうってだけ教えて、ちゃんとその意味を伝えられてなかったね」
「ごめんなさい」
「あやまらなくていいんだよ。『ごめんなさい』はね、相手にゆるしてほしくて、この話題を終わりにしたくて言う言葉じゃないんだよ。相手のことを思って出てくる言葉だよ」

うまく伝えられてるだろうか。泣きそうな愛おしい長男の顔を見て、私まで涙が出てきてしまった。
つらいよね。ごはん早く食べたいよね。お母さん話長いよね。だけど、もう少しだけ。


「『わかった』もね、お母さんやお父さんが伝えたいきもちを理解したときだけ言ってね。わからないことをわかったふりだけはしないでね。『わかった』って言葉だけで言うのと、本当に『わかった』……知ってることとは大きなちがいがあるんだよ」
「……」
「わかったふりをすることが、いちばん、君の未来をせばめてしまうし、やりたいことができなくなってしまうかもしれないんだよ。知ることのチャンスをなくしてしまうことなんだよ。いろんなことを『わかる、知る』っていうのはね、君が楽しく生きるために、ものすごく大切なことなの」

ここで長男の目つきが変わった。変わった気がした。私の希望フィルターでそう見えただけかもしれないけれど、少し前のめりになった彼のからだと、少しひらいたくちびるで、「ああ、理解しようとしてくれている」と確信できた。


「わからないことは、わからないと言ってね。なるべくわかるように何度でも伝えるからね。君がわかったふりしなくてもいいように、お母さんもがんばるから、君にもがんばってほしい。一緒にいろんなことをわかって、やりたいことをやって、楽しく生きよう」

「……わかった」

目にたまっていた大粒の涙が、ぷくぷくのほっぺに流れた。本当に、わかってくれた、と思えた。

「なにがわかったか、教えてもらえる?」

「わかったを、わかる。ごはんは、みんなで、楽しく、食べる。だから、ちゃんと、まつ」

ふたりで泣いていた。
泣いてひくひくしながら、いっしょうけんめい伝えてくれた長男が、ひとつ乗りこえて成長してくれたのがうれしくて、思いっきり抱きしめた。

「ありがとね、ありがとうね。よくがんばったね、考えたね。えらいよ、ありがとう。一緒にがんばろうね」


私の言葉は支離滅裂だったと思う。ぜんぜんうまく説明できなかった。

もしかしたら、また明日もわかったふりをして、わたしの話を半分も聞かずに「ごめんなさい」と言うかもしれない。ごはんを待ちきれず泣いてしまうかもしれない。

でも、なんとなく、大丈夫だと思う。
わたしも長男も、昨日よりずっとはやく、自分たちが使う言葉の意味を理解できるようになる。

「ありがとね、おいしいねえ」
と鼻を赤くし、笑いながら食べる長男を見ながら、希望を抱いた。


わかるのために、できること

「なんて言えばいいんだっけ?」
というのを、なるべくやめた。
まずは長男がなにを感じ、どうしたいのかを彼の言葉で受け止めようと思った。

「なんて言うといいかな?」ではなく、
「どうしたい?どうしたらいいかな?」とたずねる。

似たような響きだけど、このふたつはぜんぜんちがうのだと知った。言葉だけを限定して抜き出すのではなく、思うことをそのまま聞いてみる。
正解は教えない。いや、正解なんてない。あくまで「お母さんはこうしてほしいと思ってる」という姿勢をつらぬきたい。


わたし自身がそうだったのだけど、具体的な正解を探しはじめてもいいことはない。母が正しいと勝手に思いこんで、その正解を勝手に予測し依存してしまった経験が苦く残る。
正しさなんてものはない場合がほとんどで、大切なのは「自分がどう感じて、どうしたいか」だ。

だから、言葉の表面だけをすくうことの少ないように、言葉を選んで伝えていきたい。そしてなにより、親自身もわからないことが多く、まちがえることがあり、絶対ではないと伝えたい。
ともにいろんなことを学び、わかり、成長していきたい。わからないことは恥ずかしくなく、かくさなくてよいのだと心に刻みたい。だって、今からわかろうとすればよいのだから。



勢いで書いてしまって、よくわからないところも多いと思う。でも、それでも、記念すべきときをどうしても文字にしたかった。熱量がある、今のうちに。


長男、話を聞いてくれてありがとう。
君ならたくさんのことを理解できる。わたしはそう信じている。

そしてなにより、
長男に向き合うなか、冷める離乳食を前に待っていてくれた次男も、ありがとう。
7ヶ月の君にはだいぶ早い話だったと思うけれど、察したのか、とてもごきげんに遊んでいてくれたね。たのもしい兄ちゃんの背中を見て、追いつけ追いこせで大きくなってね。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
子育てはなにがよいのか、それぞれの家によってもちがうからわかりません。わたしはそれが理由で、そして自分が影響を受けやすいことをわかっているので、とくに個人の書いた育児書は読みません。

「こんなことがあったのね」くらいで読み流していただけたらうれしいです。子育てしているみなさんが、それぞれのお子さんと楽しく過ごせる時間が増えますように。







お読みいただきありがとうございました。 あなたすべてのアクションが私の血となり肉となります。大感謝!