浅ましきは人の欲か、醜きは資本主義か、
諸君、私はお金が好きだ。大好きだ。私のモチベーションは大体においてお金のためといってもいい断言して良い。好きなもの、お金とはリアルではなかなか言えない。
人間性を疑われるという悲しい結末につながるからである。
ちなみに貯めるのが好きなのではなく使うのが好きなのだ。お金は使うためにある。ただし宵越しの金は持つ派。たくさん持っていたい。
何が言いたいかというと、モチベーションが上がらない報酬がないと好きな事柄でもやる気にならない。
好きでもお金という物理的な見返りがないと楽しめなくなってしまった浅ましい大人になってしまった、という嘆きである。
評価が欲しいわけではない。お金が欲しいのである。正確にはお金と言う形で。評価してほしい。めちゃくちゃにほしい。
ただ、お金が稼げるからと好きでもなく興味もないことはしたくない。
すきなことでお金をバンバン稼ぎたいのだ。
都合のいい夢物語を望んでいる。
さもしい人間になったな、という失望感もある。
楽しいから、面白いから、というただそれだけで好きに書きなぐっていたあの頃が懐かしい。
できたら、あの頃のワクワク感をもう一度味わいたい。
でも、それだけが原動力になるには、いろいろと失いすぎたし知りすぎた。つまりすれてしまった。
いつまでも、少年の心、幼女の心?を持ち続けるのは難しい。
むなしい、かなしい、さもしい。
それはそれとして、お金は好きだと堂々としていたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?